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 村谷は旧都電路線巡りの皮切りとして、旧都電1系統を歩いた。コースは前半が第一京浜(国道15号線)、後半が中央通り。都内でも屈指の幹線道路のため、比較的すいている日曜日を選んで歩くことにした。

 正午過ぎに
品川駅前を出発した。ここから三田までは品川線。第一京浜に沿って海とは反対側を進む。海側は江戸時代にはまだ陸地ではない部分がほとんどで、寺社はないからだ。なお、本日の行程の地下にはすべて、地下鉄の路線が走っている。

 最初の立ち寄りは高輪神社。本日の無事をお願いした。

 都営浅草線・
泉岳寺駅上の交差点を左折し、泉岳寺に向かう。明後日が義士祭のためなのか、普段は閑散としている広い境内には、大勢の参拝客が屯していた。本堂に参拝してから赤穂義士の墓所に向かうと、入り口にいる係らしい女性から「拝観料はいりませんが、その代わりに線香を一束(300円)購入してください」とのこと。
 墓参は省略して退去した。墓所をのぞくと参拝している人があまりいなかった。以前に訪れた際には線香購入制度はなかったはず。

 第一京浜に戻り北上する。
銀杏並木の落ち葉が目立つ。

 御田八幡神社に参拝する。境内の一角にあった縁台で最初の休憩。チョコナッツをかじっていると、後ろの建物がギシギシと鳴る。茨城県南部を震源とする地震だった。

 都営浅草線・三田線・
三田駅前の札ノ辻に着く。左手に分岐する日比谷通りは、次回巡る予定の2系統の路線跡。

 ここから新橋までは金杉線と呼ばれていた。芝4丁目交差点に差し掛かると右手に、東京モノレールが見えてきた。

 金杉橋で都心環状線を潜り抜ける。何故か神野美伽が歌う「春夏秋冬屋形舟」の歌詞「金杉橋は雪化粧」を思い出す。YSCメンバーとS姉宅でカラオケを楽しんでから、ずいぶん日が経った。

 
大門駅上でいったん左折し、芝大神宮向かう。紫色の「年越大祓」の幟が林立していて、村谷も1年間の穢れの除去と、来る新年の幸をお願いする。社殿では遅めの七五三詣が行われていた。

 再び第一京浜に復帰した。右手にが現役時代に通ったD信用組合の本店が健在で、厳しい金融環境を生き抜いてきた力強さがうかがえてうれしい気がする。

 東新橋2丁目交差点で反対側に移動し、日比谷神社に参拝した。創建以来左手の新橋4丁目にあったが、再開発により2009年に現在地に移転した。

 JR線を潜り抜けて、
新橋駅の先に出る。この先、須田町までは本通線と呼ばれていた。外堀通りを横断して、その先の都心環状線も潜り抜ける。高架下に銀座柳の碑があった。

 中央通りに入り、地下には東京メトロ・銀座線が走る。日曜日のため歩行者天国になっていて、快晴・微風の銀ブラを楽しむ家族連れや若者たちが大勢歩いている。両側のお洒落なお店に負けない格好の人たちが目立つ。大道芸人が2組実演中で、観客とやり取りを交わしている。美男美女のカップルが、プロカメラマンに撮影されていた。

 晴海通りは
厳座4丁目交差点の信号で横断し、三越銀座店に入った。エレベーターで9階に上がった。以前は遊具がたくさん並んでいたが、すべて取り払われて「銀座テラス」と命名されている。トイレをお借りしてから銀座出世地蔵尊に参拝を済ませ、ウッドテラスの一角にあるベンチで2度目の休憩。小さな子供たちが楽しそうにかけっこしている 。どんどんと人出が増えてきたので早々に席を譲り、歩行者天国に復帰した。

 
京橋交差点で歩行者天国は終了。左手にあった魚や一丁の東京1号店は閉店していた。

 京橋に勤務していた際に度々同僚と角打ちしていた酒屋はコンビニに変身していた。

 
日本橋交差点を横断すると前方の首都高速の壁面下に、徳川慶喜の筆になる「日本橋」の表示が見えてきた。橋のたもとにある日本国道元標に着いたのは、午後2時。8キロ歩いた勘定になる。

 三越本店の反対側にある福徳神社に、休憩を兼ねて参拝した。ビルの谷間に位置する小ぶりの神社にもかかわらず、若い男女の参拝客が並んでいた。江戸時代には富くじの発行が許されていて、金運のご利益があるそうだ。

 
須田町交差点で、やや右手に進む。この先は上野線と呼ばれていた。

 すぐ先右手からいい匂いがしてきた。昭和22年創業の神田きくかわ 神田店。3年ほど前に、企業OBペンクラブのグルメと名高いN、T両氏に誘われて、分厚い大串を堪能したことがあった。本日は残念ながら先があるので通過する。

 
万世橋の袂にある肉の万世本店前に、これまた新宿の支店でしばしば昼食に摂ったパーコー麺の大きな写真が出ている。

 神田川を越えた先から再び歩行者天国が始まった。銀座とは客層がずいぶん異なり、ラフな服装の若者たちが大きな紙袋を抱えて歩いていて、ここは秋葉原!という感じがよく出ている。制服姿の女子高校生がポーズをとり、それをプロにはとても見えない中年の男性が撮影していた。
末広町駅で歩行者天国は終了。

 蔵前橋通りを横断した先から、再び
銀杏並木が始まった。銀座より日当たりが多くないためなのか、まだ葉がたくさんついている。 

 
松坂屋前まで来ると、前方左手に上野の森が見えてきて、ゴールは間近い。人出が一気に増えてきた。

 
上野駅不忍口前から東側に出て、井沢八郎が歌った 「ああ、上野駅」の歌碑前に着いたのは、午後3時少し前。

 アメ横を散策して、銀座線・
上野広小路駅を目指す。広くない通路のあちらこちらにテーブルと椅子が設置されていて、冬の寒さを吹き飛ばすように宴会が繰り広げられていた。

 一日で多くの人を見かけたが、マスクをしていなかったのは若い男性が一人と外人三人組だけだった。

 本日は打ち上げに適当な場所がなく、上野駅前上野公園ではホームレスに間違えられそうなので缶チューハイはお持ち帰りとした。

 次回は三田駅からスタートする予定。(村谷 記)

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   ★2021年12月12日〜2022年10月8日、 村谷さんの 旧 都電  路線巡り」 系統 a@ 1  2  3  4  5  6  7  8  9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41  臨時1 臨時20-1?? 臨時20-2? 臨時22 臨時29 臨時30  村谷さん作の小説「家康、 東京へ」掲載ページ
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★2021年12月12日(日)『旧都電路線巡り「1系統(品川駅前〜上野駅前)」』