旧都電路線23系統は 浅草通り (北十間川)と 清澄通り (隅田川)と、川沿いを巡る路線で、廃線時期が札幌オリンピックが開催された昭和47年(1972)11月12日と遅い時期である。
村谷は午前11時30分、亀戸香取神社に本日の無事をお願いしてから出発する。明治通りを少し北上し、浅草通りとの交差点「福神橋」が出発点。5月17日のYSC散歩の際に、雨を避けるため、この橋の下を昼食場所としてお借りしたばかりだ。
橋の名前の由来は、亀戸七福神が近隣に点在するからだろうと推定。「業平線」と呼ばれていた。
通りをスカイツリーめがけて南側の歩道を西進する。川沿いで歩く人も少なく最初からマスクを外して半ズボン姿。建物の切れ間から日差しが差し込むこともあるが、ほぼ9割は日陰になる。
十間橋で横十間川が分離している。もちろん、どちらの川も家康が江戸入府以降に開削した人工河川だ。
押上駅前交差点で東陽町駅から続く四ツ目通りをお横断する。先日、豊洲から東陽町を経て押上に至る東京メトロ有楽町線の延伸計画が発表されたが、もう乗車機会はありそうにない。この先しばらくは都営地下鉄浅草線の上を行く。
業平橋で大横川親水公園を跨ぎ超える。見下ろすと昨年12月21日にYSC散歩で借用した草むらの横に、青い花を付けたアジサイがすっきりと立っていた。
その先でようやくコンビニを見つけて、麦茶のペットボトルを購入し、早速一口飲む。
本所吾妻橋交番前交差点で、木場駅方面に続く三ツ目通りを横断した。
吾妻橋1丁目交差点で、道が三方向に分かれる。南北に走る墨堤通り、吾妻橋方面に向かう浅草通り、そして駒形橋方面に進む清澄通りだ。23系統は清澄通りへ続く。都営地下鉄浅草線とはお別れする。出発から30分経過。
交差点脇に佃煮の老舗・海老屋総本舗本店がどっしりと店を構えている。
駒形橋東詰交差点でほぼ直角に道が右折するので、西側歩道を選択した。首都高速向島線と並進する。
厩橋東詰横の本所1丁目交差点から終点の月島まで都営地下鉄大江戸線の上を歩くことになる。
石原1丁目交差点で蔵前橋通りを横断、目の前にある横網町公園で一息入れる。折しも昼食時で5月3日のYSC散歩の際にお借りした日陰のベンチが空いていなかったので、復興記念館横の桜の木で腰を下ろす。チョコナッツひと齧りと麦茶一飲みで済ませ、緑陰を楽しみながら清澄通りに復帰した。
第一ホテル両国 や 日大一高・中が日陰を提供してくれる。両国駅が近いので人出が増えたが、ほぼ全員マスク着用中。
この4月から2025年度まで長期休館中の江戸東京博物館横を通過し、JR総武線を潜り抜け、緑1丁目交差点で京葉道路を横断する。この先から「高橋(たかばし)線」だった。交差点の右わきにあったブックオフがダイソーに替わっていた。
二之橋 で 堅川を渡る。橋の手前の左手に小林一茶旧居が、右側は鬼平犯科帳にしばしば登場する軍鶏鍋屋「五鉄」があった。
森下駅前交差点で新大橋通りを横断する。5月3日に打ち上げをした 「50円焼き鳥・きんちゃん家森下店」は健在。
右手奥の深川神明宮は遥拝して通過。
魚三酒場森下(常盤)店は暖簾は出ていないものの、戸に「刺身・天ぷら・フライのお持ち帰りができます」との張り紙が出ていたのでネットを覗くと、結構利用者がいるようだった。
高橋 で 小名木川を渡る。
清澄3丁目交差点で清洲橋通りを横断すると、右手に清澄庭園の緑が広がる。
渡辺橋 で 仙台堀川を渡ったすぐ先に「採茶庵跡」があり、芭蕉像の横が空いていたものの、恐れ多くて着座は遠慮。
小さな天ぷら屋さんから昼食を済ませたらしいOL二人が出てきて、油のよい匂いが漂ってくる。
深川1丁目交差点で葛西橋通りを横断すると左手に赤札堂の大きな看板が出てきた。
門前仲町交差点で永代通りを横断、この先は「月島線」だった。
左手の東京海洋大学(ここは旧東京商船大学だった)付近が越中島停留所で、現存する最古の帆船・明治丸の黄色いマストが3本見える。
相生橋 で 晴海運河を渡り、月島にゴールイン。時刻は午後1時10分、100分の散歩だった。
佃島 の 住吉神社に本日のお礼を申し上げてから、舟泊が望めるいつものベンチに向かい、日陰の席を確保し、冷たい缶チューハイ・チョコナッツ・ミニカステラで遅めの昼食とした。
次回は24系統(福神橋〜須田町)を巡る予定。(村谷 記)
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★2022年5月30日(月)『旧都電路線巡り「23系統(福神橋〜月島)」』