さんぽ

 村谷は台風一過の好天を活用して、旧都電37系統路線巡りを行った。37系統は三田〜千駄木2丁目(9.4km)だが、2系統(三田〜東洋大学前)歩きの際に、神田橋まで踏破済みなので上記区間を歩いた。
 廃線日は、昭和42年(1967)12月10日ながら、20系統(江戸川橋〜須田町)および40系統(神明町車庫前〜銀座7丁目)と共用していた上野線の一部である池之端地区の廃線跡である「池之端専用軌道(上野公園〜池之端七軒町」(1120m)は、マニアによく知られている。

 東京メトロ・
大手町駅で下車し、地下道伝いに本郷通りを北上して、大手町フィナンシャルシティから地上に出ると、目の前が日本橋川に架かる鎌倉橋だ。道の反対側には大規模接種センターがある。

 午前11時に
鎌倉橋交差点を出発した。日比谷公園から小川町までの間は「神田橋線」だった。

 オフィス街はほぼ無人で、空も曇っていて歩きやすい。下には東京メトロ千代田線が走っている。

 次の停留所「
神田美土代町」は現在もその地名が残っている。千代田区の解説版によると江戸時代にはこの地は、柳沢吉保に代表される幕閣の上級大名屋敷と商人や職人が住む町屋が混在していたという。ある知恵者が湯女を置いた「丹前風呂」を発案して大繁盛したという記録があり、今のソープランドの前身だろう。美土代町の名は、明治初期に稲の初穂を伊勢神宮に捧げるための水田「みとしろ」があったからだという。

 次の停留所は
小川町交差点。靖国通りに突当りそのまま右折する。信号待ちの際に、交差点の一角に大きな人形が置かれていて、その周辺に十いくつもの風鈴がずらりと綱で張めぐされていて、足元には災難除けの札があった。

 ここから次の淡路町停留所までの短い区間は「両国橋線」。

 
淡路町交差点で外堀通りに突当りそのまま左折する。角の喫茶店からコーヒー豆を焙煎している香りが漂う。路線名は「淡路町線」に変わる。淡路町の地名の由来は鈴木淡路守の屋敷があったからだと平凡だ。

 少し日差しが出てきたが、マスクなしなので日傘は出さない。すれ違う人の数は平日の1割以下だ。

 神田川を昌平橋で渡り、中央本線、総武本線と相次いで潜り抜ける。

 渡り切った先の
昌平橋交差点で外堀通りが左折、国道17号線に名前が変わる。次の神田明神橋交差点で17号線も左折し、昌平橋通りに変わるが道は一直線。

 うなぎの名店「明神下神田川本店」の持ち帰り用のメニューが店先に出ていて、最も高いのが「将門(7,128円)」というところに、江戸っ子の意気を感じた。

 夏休みで近くのビジネスホテルに宿泊しているらしい若者の一団とすれ違う。「まだ、空いている店がないね」と聞こえて、その旺盛な食欲が偲ばれた。

 続く停留所は
外神田二丁目、外神田三丁目と昭和40年以降に味気ない地名に変わったが、それ以前は「松任町」、「旅籠町」と風情溢れる名前だった。都内の由緒ある地名が一気に変わった理由は、東京オリンピック(昭和39年)を控えた昭和37年(1962)に施行された「住所表示に関する法律」のおかげだ。住所の並び方に一定のルールを作るためとはいいながら、背景にあった歴史の名残を消し去ってしまった。

 外神田3丁目停留所から「上野線」に変わる。

 
妻恋坂交差点で右折する。妻恋坂の由来は、明暦の大火(1657)で湯島1丁目にあった妻恋神社(妻恋稲荷)が移転してきたからだという。神社は日本武尊創建とされ、弟橘姫が連想される。

 
外神田5丁目交差点で中央通りに突当り左折する。旧名の末広町は駅名に残っている。人通りが少なくて、普段よりも道が広く感じられた。

 
上野1丁目停留所跡には、旧名の黒門町公園黒門町通りが残っていた。8代目桂文楽が黒門町の師匠と呼ばれ、捕り物で知られた黒門町の伝七と並ぶ有名人。現在も当地に落語協会があるためなのか、上野広小路亭鈴本演芸場が道筋に並んでいる。

 
上野広小路交差点で春日通りを横断、上野4丁目交差点で不忍通りを横断してすぐに中央通りと分かれる。

 この先にあった
上野公園停留所は現在の下町風俗資料館近くにあり、ほぼ動物園通りを走っていた専用軌道だった。そういわれてみると、上野動物園弁天門入り口付近の歩道の一部が、二重になっていて内側に切り込んでいる。
 モノレールの高架を潜った先からは、動物園西園敷地と上野グリーンクラブ敷地塔になっていて、現在は立ち寄れない。迂回して水月ホテル・鴎外荘前を左折し不忍通りに向かうと、
池之端2丁目(七軒町)停留所跡地が、台東区・池之端児童遊園として整備されていて、7500系電車が静態保存されている。なお、路線名は上野公園駅から「動坂線」となる。

 不忍通りに沿って北上する。

 続く
根津1丁目停留所は「根津宮永町」、根津2丁目停留所は「根津八重垣町」だった。

 終点の千
駄木2丁目停留所(駒込千駄木町)に到着したのはちょうど正午、所用時間は60分だった。

 すぐ近くの根津神社にお参りして、本日の無事のお礼を申し上げた。広い境内には夏休みを楽しむ親子連れや、ご祭神・日本武尊にちなむ縁結びの神様に肖ろうと、若い男女数組が訪れていた。中でも青い浴衣に紅色の日傘をかざして、池のほとりで彼に向かってポーズをとっていた色白・細身のお嬢さんが本日の一番と勝手に断定した。

 南門から出て、根津小学校横を通過し、言問い通りに突当り左折、
根津1丁目交差点不忍通りに復帰した。

 昼食休憩は、不忍池の一角にある桜の木の下に腰を下して、シート&新聞紙を広げた。

 つまみは一昨日と同じ白えびもち焼きせんべいとレモンピューレ入りミニチーズ、レモンチューハイを飲みながら大30分を過ごした。

 次回は38系統(錦糸堀車庫前〜日本橋)を歩く予定。重複部分が多いので当日の天候次第で短縮します。(村谷 記)

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★2022年8月14日(日)『旧都電路線巡り「37系統(三田〜千駄木2丁目)」のうち神田橋〜千駄木2丁目』