村谷は午前中の比較的涼しい時間を利用して、旧都電路線34系統路線歩きを試みた。
34系統は川沿いの路線としても知られ、渋谷川〜古川沿いの明治通りの全長6.3kmを走っていた。他の多くの路線と同じく、昭和44年(1969)10月26日に廃止された。
34系統は都心部を走るため他の路線との重複部分も少なくなく、陽気次第ではカットする予定で午前9時30分渋谷警察署前から出発。
村谷にとっては明治通りを北上する経験ばかりで、南下するのは珍しい。渋谷駅前はかなりの人出で、マスク着用率は9割以上だ。ここから「天現寺線」が始まる。
曇天でのスタートながら、湿度が高くてすぐに汗ばんでくる。
道の左手にある14階建ての渋谷南東急ビル・ウインズ渋谷の入り口付近には段差があって「スケボー禁止」の表示がいくつもあるのが目に付く。
明治通り沿いに渋谷東商店街という表示が目に付き、お洒落な建物と昔ながらの庶民的なお店が混在している。
暑さにたまらず並木橋バス停前のコンビニでウーロン茶のペットボトルを購入し、信号待ちの間に一口飲む。
渋谷車庫前バス停を通過、都営バス渋谷自動車営業所は今も渋谷川の対岸にある。
渋谷橋交差点で信号待ちをしていると、プラチナブロンドの若いお嬢さんが、日本人男子と手をつなぎながら恵比寿駅方面に通じる歩道橋の階段をさっそうと上がっていった。
交差点を横断すると広尾へと地名が変わり、一気に桜並木が濃い日陰を提供してくれる。道の両側の歩道はいずれも桜の巨木が十分な緑陰を提供してくれていて、村谷一人が楽しむだけでは申し訳ない気持ちになる。
念のため南側の歩道に移ると、右手にまだ真新しい区立臨川四季の森公園が出現。安藤広重の「江戸名所図会」にも描かれている「広尾水車跡」に設けられた公園だった。江戸中期に穀物の脱穀用に渋谷川をせき止めて作った大型の水車があったという。
近くでお仕事中らしいガテン系の若者二人が、ぴかぴかのトイレを借用していた。村谷も予定外の休憩タイムとして、セミの鳴き声を聴きながら はちみつかりんとう2切れをウーロン茶で飲み込む。
広尾病院バス停前のベンチでは高齢(同年配?)の女性お二人がバス待ちの間のおしゃべり中。
信号で北側歩道に渡り、当初予定の休憩場所、広尾公園に入る。広い園内の中央にある池のそばの藤棚の下のベンチで二度目の休憩。母親に連れられた小学校低学年も女児が、セミの抜け殻を収集中。
天現寺橋交差点の歩道橋で外苑西通りを跨ぎ超えた。路線名は「古川線」に川の名前も古川に変わった。
歩道橋を渡り切った袂にある天現寺に参拝した。本堂の正面には、松尾芭蕉の句碑 「一里はみな花守の子孫かや」がひっそりと建っている。その時代には当寺に有名な枝垂れ桜があり、それにちなんだものと推定される。
門外に出ると強い日差しが降り注いできた。
たまらずにフランス大使館下に立つインペリアル広尾前の信号を横断し、首都高速2号線の真下に走る歩道に逃げ込んでやれやれ。
亀屋橋、五之橋、白金公園と順調に通過する。
四之橋では車を通行止めにして、横の商店街の若者男女大勢が週末にむけたお祭り用のテントづくりに忙しい。
古川橋に着いたのが午前10時30分。この先の路線は直角に北上するため全く日陰がなく、何度も歩いているので省略、本日は60分の歩きで終了とした。
周辺には適当な休憩場所がないので、持参の缶チューハイとチーズは帰宅後の昼食用に転用することとして、最寄りの白金高輪駅へ向かう。駅構内ですれ違う奥様達はいずれもお洒落で涼し気な服装のシロガネーゼばかり。
気持ちよく帰途に着きました。
次回は35系統(巣鴨車庫前〜西新橋一丁目)を歩く予定。猛暑の時期でもあり、重複部分はできるだけ省略する方針で臨みたい。(村谷 記)
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★2022年8月30日(火)『旧都電路線巡り「34系統(渋谷駅前〜古川橋)」』