さんぽ

 村谷は旧都電路線については全41系統(都電荒川線の運行部分を除く)を踏破したが、まだ臨時運行の6系統が残っているので、引き続き歩くことにした。
ただし、これまで踏破した系統と重複する部分が大半なので、沿線で立ち寄らなかった個所を訪れるなどして、全線ではなく部分的に歩いてみることとした。

 最初は臨時1系統(三田〜雷門)を選んだ。「金杉線(三田〜新橋)」=第一京浜、「本通線(新橋〜室町三丁目)」=中央通り、「室町線(室町三丁目〜浅草橋)」=江戸通り、「蔵前線(浅草橋〜雷門)」=江戸通りから成る路線で、都心部を南北に縦断するので、歩道が歩きやすい日曜日を選択した。

 NHK杯戦で藤井竜王の勝利を見届けた関係から、午後1時に第一京浜・
三田駅前を出発した。左手には都電最古の車庫・三田電車営業所があった場所で、明治36年(1903)1月に、街鉄(東京市街鉄道)が建設した。現在は港区立港勤労福祉会館と都営芝五丁目アパートになっている。

 曇天でやや強めの風という絶好のコンディション、歩いている人がほとんどいない歩道を進む。

 
芝4丁目交差点で道が少し左手に曲がると同時に、日差しが出てきたので西側の歩道に移動した。時折、キャリーケースを押しながら周辺のホテルから出てきた若者たちとすれ違う。金杉橋古川 と頭上の都心環状線を横断する。渋谷川の下流部・古川の海岸近くに架かる橋で、広重などの浮世絵にも描かれた江戸の景勝地の一つだった。

 
大門交差点を通過する。新橋駅前交差点までの区間は、地下に都営浅草線が走っている。

 左手の路地の奥には芝神明宮があるが、度々お参りしているので遥拝して通過した。

 
浜松町1丁目交差点で通りがやや右手斜め方向に変わった。歩道橋の表示が「銀座2km、日本橋4km」と出ている。

 第一京浜を挟んで手前に
S信金本店、右手先にD信組本店の建物が出てきて、30年以上も前の現役時代にしばしば訪れたことを思い出す。

 東海道新幹線を含むJR各線を潜り抜ける。ガード下の飲み屋街は頑張っていた。道沿いにある新橋駅前ビル1号館・2号館は、烏森口にあるニュー新橋ビルを含めた駅前再開発計画の一環で解体されることが決まっていて、シャッターが下りていた。YSC散歩で鎌倉を訪れた際の定番土産だった小川軒のレーズンウイッチが買えた店も閉店。

 
新橋駅前交差点を横断し、一旦右折する。前方の汐留方面には今何かと話題になっている巨大な電通本社ビル

 汐留シティセンター入り口手前から左折し、旧新橋停車場に向かう。都電とは異なるものの、鉄道発祥の地を訪れるのも久々だった。

 外堀通りに沿って東進し、
蓬莱橋交差点で歩道橋を渡って首都高速都心環状線に沿って中央通りに向かうと。ちょっとしたハプニング。

 路地からスクーターで出てきた男性がヘルメットを被っておらず、たまたま自転車でパトロール中のお巡りさん二人に咎められた。「すいません」と言いながらヘルメットを装着したが、「5点ですよ」と言われた途端に慌てて逃げだした。
 「待て」と自転車のお巡りさん二人が後を追いかける。昭和期のサザエさんの漫画で見たような光景だった。
中央通りに復帰すると、日曜日なので恒例の歩行者天国。しかし、人通りが全く少ない。

 GINZA6前まで来ると、道の真ん中に日傘と椅子が設置されていて人出が増えてきた。エンターティナーもいて、ようやく休日らしくなった。

 
銀座4丁目交差点は、何とか休日の銀座らしい人出になっていた。マスクを着けていないのは外人カップル一組だけ。

 
銀座3丁目交差点松屋通りに右折して2度目の寄り道。先ず、王子製紙本社ビルの対面にある王子不動産ビル。通称「王子ハム」だ。1967年創業のスモークサーモン製造子会社で、その先見性は流石に当時のトップメーカーの経営者の眼識だ。

 道の反対側にある朝日稲荷神社にお参りしてから、中央通りと並行する銀座三原通りを北上する。隕石専門店などは珍しい。

 銀座1丁目エリアが近づいてきた。1990年代後半の数年間、京橋勤務経験があった村谷にとっては、昼食や夜飲みで頻繁に訪れた懐かしい場所。また、度々利用したF銀座クラブもあった。20数年の歳月は、記憶を薄れさせていた。

 
中央通りに戻る。前回訪問時には閉店していた魚や一丁の跡はお洒落なお店が入っていた。右手の警察博物館の入り口には、入場待ちの家族連れが数組いた。

 
京橋交差点で鍜治橋通りを横断する。周囲がすっかり高層ビルに変貌した中で、明治屋ビルは健在だった。反対側のコンビニは京橋勤務中にしばしば同僚と角打ちした朝日屋酒店があった場所と確認した。京橋界隈のOLさんたちと交わした何でもない会話が思い起こされる。

 丸善日本橋店前でさくら通りを左折し、日本橋プラザビルに入る。京橋在勤当時の1997年秋の数か月間に、同僚のN君と出向していたオフィスがあった建物だった。折しも証券大不況で、Y証券関連会社にお世話になっていたわれらが、毎晩そばにあった居酒屋で諸兄と酒を酌み交わしながら、緊張した会話を行っていたこと場面が浮かぶ。もちろんその店はもうない。

 
日本橋交差点で永代通りを横断した。

 徳川慶喜の揮毫になる橋標がある日本橋を渡り、道路元標を確認する。五街道で唯一残った白河の関到達が村谷の最終目標。街道歩きができる体調回復を誓って室町へ入る。

 例によって休憩を兼ねて右手やや奥にある福徳神社のお参り行列に並ぶ。お清めの水はセンサーが付いていて、手をかざすと流れてくる。

 そのまま日差しが遮られる中央通りの一本裏道を北上すると、ビルの壁面に日本酒製造関係のパネルが次々に出現した。帰宅後調べてみると、YUITO日本橋室町野村不動産ビルで、6階では「IWC受賞プレミアム日本酒試飲会」が行われた実績があるという。

 
室町3丁目交差点横から江戸通りに出て右折する。

 
小伝馬町交差点が近づき、左手にお馴染みの十思公園が見えたので本日はここで打ち止めとする。

 時刻は午後2時30分、本日は90分の散歩だった。YSC散歩で定番の待ち合わせ場所・桜に木の下のベンチを確保し、いつものスタイルになった。先ずは、冷たい缶チューハイ、つまみはレモン味のベビーチーズと蜂蜜カリントウ。大30分のリフレッシュを味わった。

 次回は残る臨時5系統の中から選択する予定。

 帰途に
岩本町駅まで江戸通りを北上したが、岩本町3丁目交差点横にあった酒場は閉店していました。(村谷 記)

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★2022年9月11日(日)『旧都電路線巡り「臨時1系統(三田〜雷門)」のうち、三田〜小伝馬町』