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 久々に真夏日が一服するだろうとの天気予報を頼りに、村谷は旧都電路線34系統路線巡りを行った。

 35系統は巣鴨駅先にあった都電の巣鴨車庫(現在の都バス巣鴨営業所付近)から内幸町付近の西新橋一丁目までの約8.5kmを南北に結んでいた。他の多くの路線より一足早い昭和43年(1968)2月25日に廃止された理由は、同年12月27日に都営6号線(都営三田線の前身)として高島平〜巣鴨間が開通し、その路線が都心まで延伸される計画があったからだった。
 しかし、日比谷まで都営三田線が延伸したのは昭和47年12月30日。

 都営三田線・
巣鴨駅から地上に出て、まずは地蔵通り商店街の南端に位置する真性寺に参拝した。江戸六地蔵第三番として信仰を集める古刹に、本日の無事をお願いした。
 門外を出た
とげぬき地蔵入り口交差点付近に、巣鴨車庫停留所があった。ここから旧中山道に沿って「巣鴨線」が始まる。塩大福の有名店・伊勢屋前にはまだ行列ができていない。

 幸い曇天ながら、念のため日陰になる西側歩道を選択、アーケード下の商店街を南下する。道脇で若い男性がマイクを片手に昭和調の演歌を歌っている。歌のうまさから無名のプロ歌手と推定した。道の反対の東側のアーケードの上にはずらりと太陽光パネルが設置されており、商店街に必要な電力をカバーしているようだ。

 
巣鴨駅横の巣鴨橋でJR線を跨ぎ超えると「巣一商店街」と表示された街路灯が出現する。人出が少ないのでマスクを外した
道脇に無料のPCR検査所があり、係の人が人の列をさばいている。

 
千石1丁目交差点で不忍通りを横断する。以前は駕籠町と呼ばれていて、江戸前期の元禄時代に幕府の駕籠係51人が当地に土地を与えられて住んだのが地名の由来という。

 
千石駅前交差点で右手に下る白山通りと一旦分かれてそのまま旧白山通りを直進する。昭和62年に拡幅整理された道は、両側に整然と柳並木が続く風情ある通りだ。

 右手に広大な東洋大学白山キャンパスが出現、土曜日なので学生さんの姿は少ない。都電2系統の終点だった東洋大学前バス停の椅子で休憩を摂る予定のはずだったが、家族づれ二組6人がバス待ちをしていたので通過する。

 
白山上交差点に到着した。本郷台西端に位置し、現在も残る五差路は貞享元年(1684)刊行の江戸大絵図にも描かれている名所だった。

 都電が走っていたとは想像しにくい狭い急な薬師坂を下ると路線名は「白山線」に変わる。平日には入店に手間取るほど混みあう両側の飲食店は、本日は家族連れや友人たちが主で心なしか落ち着いた雰囲気が伝わってくる。

 坂を下り切る手前の左手に続く浄心寺坂を登り、圓乗寺に立ち寄った。鉄筋コンクリート製のビルの正面に八百屋お七を祀る「八百屋於七地蔵尊」がどっしりと設置されていた。
本郷追分付近の有力な八百屋の娘・お七は、天和2年(1682)の大火で、菩提寺だった園乗寺に避難した際に、同寺の小姓・山田佐兵衛と恋仲になった。
また恋人に会いたいと付け火したお七は、わずか十七歳で翌年3月に鈴ヶ森刑場で火あぶりの刑に処せられた。
 後年、於七役で大当たりを取った歌舞伎役者・初代岩井半四郎が、寛政5年(1793)に寄進したという供養塔など三体の墓石が並んでいる。村谷の前にも、お参りしている若い男性がいた。

 坂を下り切って白山通りに復帰する。戦時中に火除け地確保のため強制疎開で拡幅されたため、歩道も広くて自転車には格好の通路になっている。
村谷は度々この通りを歩いているので一本裏の静かな通りを選んだ。狭い路地の両側にはいくつも食堂があり、鰻を焼く良い香りが漂う。「染み抜きと染物」を営む間口一間ほどのお店もある。

 オリンピックとクイーンズ伊勢丹が道の両側に並ぶ地点で、白山通りに復帰しさらに南下する。

 往時は何本もの都電が行き交っていた
春日町交差点を通過、「水道橋線」に入った。
東京メトロ丸の内線を潜り抜け、ラクーア先の
壱岐坂下交差点を越えると、右手から歓声が聞こえてきた。夏休みの土曜日を満喫する家族連れや若者たちがぎっしりとつめかけている。

 水道橋神田川を渡り、JR線を潜り抜けると次々に飲食店が出現。平日でもないのに、入店待ちの行列ができている店が数店ある。なかでも「神保町食肉センター」の「ランチ焼き肉食べ放題970円」がひときわ長かった。

 共立講堂前で下校途中のセーラー服の一団と遭遇する。マスクの下からでも大きくはしゃぐ声と、むんむんした熱気に圧倒される。負けじとチョコナッツをかじり気合を入れた。

 一ツ橋河岸日本橋川に突当り、そのまま流れに沿って左折する。
錦町河岸交差点を通過し、神田橋に出た。明治38年の「東京地理教育 電車唱歌」の3番に「渡るも早し 神田橋 錦町より小川町 乗り換えしげき須田町や 昌平橋をわたりゆく」と歌われている。ここから日比谷通りに入り、路線も「神田橋線」になる。

 
大手町交差点先からはお濠端を歩く。年子らしい幼児二人を連れた母親が、一人をベビーカーに乗せ、もう一人を何とか歩かせながらお散歩中。父親は何をしているのかと余計な詮索をする。

 
和田倉門交差点でウェディングドレス姿の東南アジア系らしい女性が二人、それぞれカメラマンを従えて、ドレスの長い裾を両手でたくし上げながら撮影スポットを探している。浅黒い肌ながらすらりとしたスタイルから若さがあふれていた。村谷はまた、婿たちはどこにいるのかと余計な詮索をしてしまう(カメラマンがそうなのかも?)。

 
馬場先門交差点を通過、前方右手に日比谷公園の緑が見えてくるとゴールは近い。この先は「三田線」だった。

 
日比谷交差点を横断、左手に日生劇場帝国ホテルを見ながら、午後1時10分に内幸町交差点に到着した。所要時間は100分、久々に天候に恵まれて順調な歩みだった。

 日比谷公園に取って返し、日陰のベンチを確保して待望の昼休憩。上から下まで汗にまみれた衣類を脱ぎ去り、はだしになって新聞紙に足を下ろす。キンキンに冷えた缶チューハイがうまい。つまみは残ったチョコナッツと、初体験の「レモンピール入りのクリームチーズ仕立てのベビーチーズ」だ。

 本日の園内イベントは「ベルギービール ウイークエンド2022」で、いくつもあるテーブルは満席だった。

 地下に下り、
日比谷駅から帰途に着いた。

 次回は36系統(錦糸町駅前〜築地)を歩く予定。(村谷 記)

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★2022年8月6日(土)『旧都電路線巡り「35系統(巣鴨駅〜内幸町駅)」』