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 先週は予期せぬ訪問者の出現で見送った旧都電路線25系統路線歩きを、村谷は1週間遅れで行った。

 本来は日比谷公園からなのだが小川町までの神田橋線はすでに走破済みであり、昭和43年(1968)9月29日に先行して廃止されたため、標記路線に限定した。前線の廃止は昭和47年(1972)11月12日。

 午前11時20分、
小川町を出発、土曜日で歩行者も少なくマスクは外す。曇天ながら南側歩道を行く理由は、立ち寄り箇所が多いため。須田町交差点は青信号で中央通りを横断、車の通行量は平日の3分の1程度。

 中央線、山手線・京浜東北線・東北・上越新幹線を相次いで潜り抜ける架道橋は、昭和2年建造の「平永橋架道橋」で、いまだに現役である。その袂に行列ができていてよい匂いが漂ってくる。汁なし/汁あり担々麺とマーボ飯が売り物の雲林坊秋葉原店だった。土曜日の12時前に列ができているのはなかなかの繁盛店だ。

 
岩本町交差点でも青信号で昭和通りと水天宮通りを横断できて順調だ。うな牛950円の大きな看板が出ている吉野家の横を通過。

 
東神田交差点で都営新宿線と分かれ、そのまま直進する。

 
浅草橋交差点で江戸通りに右折し、最初の寄り道先の薬研堀不動院(尊)に向かう。川崎大師東京別院でもあり、目白不動・目黒不動とともに江戸三大不動の一つとされ、住職は代々平間寺(川崎不動)の貫首が務める。講談発祥の地にふさわしく、縁日講談会のポスターが張られていた。
お参りを済ませてから境内に設置されたテーブルの前の椅子の腰を下ろして最初の休憩。チョコナッツを一部を凍らせておいたウーロン茶で流し込む。また、薬研堀の七小見唐辛子本舗は、長野・善光寺の八幡屋磯五郎、京都・清水の七味屋本舗と並ぶ日本三大七味の一つともされる。

 御幸通りを南下し、登校日らしい日本橋中学の男女中学生とすれ違う。全員マスク着用。校舎を半周し隅田川に出て、浜町河岸通りを北上する。左手にある老舗・大木唐からし店は、「唐がらし・焼唐がらし・陳皮・麻の実・山椒・胡麻・芥子」で組成された七色唐辛子が江戸時代からの売り物で、蕎麦屋には不可欠の存在だった。店主が高齢のため、この7月31日で閉店するという。

 
両国橋西詰で両国橋を渡る信号待ち。信号の両側には偶然にも8人ずつで、しかもどちらも自転車と歩行者が4対4だった。

 スカイツリーの頂上まで見ながら両国橋を渡る。ここからは京葉道路になる。

 渡り切ったすぐ先にある いのししのオブジェが目立つ ももんじ屋は、創業が享保3年(1718)の十代続く老舗で、やまクジラすき焼きをメインとしたコースを6,000円から提供中。暑い時期のスタミナ確保にぴったりだが、臨時休業中だった。

 
両国2丁目交差点に着く。左手にJR総武線・両国駅の特徴ある駅舎が見える。ここまでが「両国橋線」だった。

 ちょうど正午になったので、右手奥にある両国花火資料館に二度目の立ち寄りをする。木・金・土・日の午後のみ開館している。村谷は二度目の訪問だ。
常駐している男性に「今年の花火は見れますか?」と声をかけたのが絶好の呼び水になったらしい。「三年連続で中止しますが、来年は復活します」と言い切る。
 墨田区公認のガイドの資格を持っていて、墨田区観光協会の有力メンバーらしい。榎本武揚のファンでもあり、函館ツアーに2回参加したこと、鬼平犯科帳の重要な脇役「おまさ」役を演じた梶芽衣子を囲む会を設営したりと、八面六臂の活動ぶりを披歴してくださった。7月および8月は毎日開館していますよとの声で、20分間の聞き役を勤め上げた。

 一本裏通りを東進し、両国中学校前に当地出身の芥川龍之介の代表作の一つ「杜子春」の一節が刻まれた石碑を確認、両国公園で一息入れた。
当所で生まれた勝海舟の生涯のエポックを表示した長いパネルの前では、女性二人が熱心に読みふけっていた。商人だった父が武家の株を買ったという新参の武士ながら、幕末の日本を支えた偉人の一人といっても過言はないだろう。

 
緑1丁目交差点で京葉道路に復帰した。

 
緑4丁目交差点の右手奥には、長谷川平蔵の旧居があった。

 江東橋でYSC散歩でお馴染みの大横川親水公園を越える。テニスコートには人影がなかった。

 
錦糸町駅前に到着した。現在テルミナが建っている場所が、都電錦糸堀車庫跡で、ここまでが「江東線」だった。

 この先から終点の西荒川駅までは江東区と江戸川区を主要路線としていた「城東電気軌道」が大正年間に専用軌道を建設した路線を引き継いだ「小松川線」だった。マッチ箱のような四輪電車で「ガタ電」と呼ばれ親しまれていたという。

 都立両国高校横を通過すると、
錦糸町駅に向かう女子高生が出てきた。先ほどのJCとは異なりJKの雰囲気がある。

 テルミナに隣接する魚虎本店に三度目の寄り道をする。相変わらず店頭にはマグロブツとタコブツを求める行列があり、その横から入店、函館産イカの塩辛248円(税込み)を購入して、クーラーバッグに格納した(夕食時に熱いご飯に乗せて食したら、塩加減が絶妙だった。

 松代橋でこれもお馴染みの横十間川を横断する。

 新金貨物線を潜ると亀戸駅も近い。

 明治通りを歩道橋で横断する。左手には
亀戸駅の駅ビル・アトレが見える。

 
水神森交差点の右側には、旧都電路線38系統ゆかり大島緑道公園の が南側に伸びていて、後日訪問する予定だ。

 4回目の寄り道で、今年4月28日に開業した大型商業施設「亀戸クロック」に入る。入り口に一番近い場所に店を構えるのは、地元の老舗「船橋屋」。大勢の買い物?冷やかし?客が来店中。何も買わずにクールダウンしてから、京葉道路に復帰する。

 
亀戸7丁目交差点で丸八通りを横断し、スタートから雁行してきたJR総武線と離れていく。

 
亀戸9丁目歩道橋で京葉道路と離れて南東に右折する。

 亀戸中学校先の交差点を左折し、すぐ横の亀戸浅間神社に入る。日本武尊の東征の際に、海神の怒りを買い大荒れとなった走水海(浦賀水道)を収めるために飛び込んだ后・弟橘比売命・櫛が当地に漂着し、十二代景行天皇の名で祠を築いたとされている。
富士参詣道沿いにあることから、旧境内の一角に富士塚がある。社殿の向かって左手には、城東電車ゆかりのレールが祀られている。

 参拝を済ませて坂道を上る。

 亀小橋旧中川を横断し、右手の小松川神社に5回目の寄り道。

 小松川第二小学校前、たんぽぽ公園を通過し小松川橋手前で荒川堤防に突き当たった。この付近が西荒川停留所跡らしい。時刻は午後1時30分だった。寄り道が多かったので、所用時間は130分。

 小松川千本桜に沿って荒川右岸を南下し、都立大島小松川公園に入る。広い園内にはテントがあちらこちらにあり、ボール投げや縄跳びにも全く不自由しない。
新聞紙を草むらに広げて、いつもの姿勢に寛ぎ大30分の休憩。

 疲れをいやしてから
東大島駅に向かい帰途に着いた。

 次回は26系統(東荒川〜今井橋)を巡る予定。(村谷 記)

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★2022年6月11日(土)『旧都電路線巡り「25系統(日比谷公園〜西荒川)」のうち小川町〜西荒川』