村谷は好天に恵まれて、旧都電3系統路線散歩を行った。本来は品川駅前からなのだが、1系統と重複する第一京浜の部分は省略した。
午後12時半ちょうど、第一京浜・札ノ辻交差点から斜め北方面に桜田通り(国道1号線)を北上する。札ノ辻の由来は、主要な街道の分岐点の意味である。特にこの場所は吉田・滝澤・清水の諸兄と旧東海道を旅した場所として思い出が多い。
真正面に東京タワーが見えるのが他にはない特徴。
若い白人男女とすれ違う。ブロンドでとび色の目の細身の美女に出会えて本日も幸先がよい。相変わらずの好天で、幅広い幹線道路のせいで背中から暖かな日差しが照り付けてくれて、真夏でなくてよかったと思う。
左手には大きな囲いがあり、三田三丁目&四丁目の再開発ビルが建設予定だ。
赤羽橋で首都高速を潜るが、本日も演歌の歌詞は浮かばない。
坂道を上った左手に、少し前の七福神巡りで通過したウナギの名店・野田岩があったが、暖簾がすっかり仕舞われていて、換気用のダクトもすっぽりとカバーがかかっていた。その先の熊野神社では、年越し用のお祓いのお札が賽銭箱の前に用意されている。3,000円から5,000円が共通の相場のようだ。
飯倉交差点がほぼ一番高い場所のようで、右手の虎ノ門方面への坂道の下りがはっきりとわかる。昭和44年に初めて上京した村谷にとっては、現存する荒川線のほかは、新宿・花園神社付近の平坦な路線跡しか知らないため、買いを重ねるにつれて都電の急こう配には驚かされる。
ここから先は東京メトロ日比谷線の上を歩くことになる。また、イチョウ並木が続き、落ち葉で足元がとられないよう気を付ける。
神谷町駅そばでも再開発ビルが工事中。
血統書付きらしい犬を夫婦連れ?で散歩するカップルが幾組もすれ違う。やや中年らしい白人カップルとも遭遇した。女性はかなりふっくらだ。
左手のビル街の一角に金刀比羅宮があったので参拝し、最初の休憩。いくつもベンチがあり、平日は近隣のサラリーマン・ウーマンたちの憩いの場所だろう。ペットボトルのお茶と定番於チョコナッツで、やれやれ。
虎ノ門3丁目交差点の左手は、最も新しい東京メトロ・日比谷線・虎ノ門ヒルズ駅で、巨大な駅ビルが建設中。
虎ノ門交差点でまた先で出会うことになる外堀通りを横断した。
左手先には現職末期にしばしば通った石造りの文化庁。すぐ先は、それよりもずいぶん先の一時期に訪れた旧大蔵省ビルが続くが、休日とあって無人だ。
桜田門交差点でお濠に突当り、内堀通りを左折する。頭上の掲示板の表示は、右手が国道1号線、左手が20号線。
警視庁を半周して、国会前交差点を通過し、三宅坂の分岐で内堀通りと別れて、二四六(青山通り)に入る。
東京メトロ永田町駅を通過し、弁慶橋で紀伊国坂の上りに入る。右手下の弁慶堀ではボートや釣り堀が営業中で、カップルや孤独な釣り人がそれぞれ快適な日曜の午後を楽しんでいるようだった。
迎賓館の塀を左手に見て、四ツ谷駅前に到着。あと二駅でゴールだ。
新宿通りを横断して、外濠公園に入った。テニスコートの一角ではプレイ中。散歩や休憩の人たちも多く、いずれもしっかりとマスクを装着している。二度目の休憩。
公園のはずれから外堀通りに復帰すると、ほどなく市ヶ谷駅が右手に見えてきた。一旦通りを横断して、少し新宿方面に戻り、市谷亀ヶ岡八幡宮の長い階段を上る。社殿で本日無事のお礼を申し上げて、女坂を下り再び外堀通りに復帰。
午後2時半に飯田橋駅西口にゴールインした。
まだ、夕食までには時間があるので、歩行者天国が実施されている神楽坂を上ることにした。若者のカップルが7割、家族連れ他が3割と推定される人波に交じって、善國寺に参拝。
少し先の白銀公園で最後の休憩。家族連れで大変込み合っていたものの、何とかベンチを確保して、缶チューハイやチョコナッツの残りに妻からのおはぎで締めました。
次回は4系統(五反田駅前〜銀座二丁目)に挑戦する予定。(村谷 記)
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★2021年12月19日(日)『旧都電路線巡り「3系統(札ノ辻〜飯田橋)」』