村谷は冬晴れの予報に誘われて旧都電7系統の路線巡りを行った。
なお、終点予定の古川橋から先の泉岳寺までの区間は「伊皿子線」で、4系統で走破しているので省略した。
正午過ぎに四谷三丁目交差点から出発。まずは外苑東通りを南下する。
交差点のすぐ近くには、魚粕漬けで有名な魚久の支店があるが、人気の切り落とし(756円)は午前9時半の引換券に並ばないと買えないので通過する。
真正面から日差しが照り付けていて、サングラスが欲しいくらいだ。手袋はリュックにしまい込む。
好天を利して新宿通りの方へ買い物や食事に行くらしい家族連れとすれ違う。
出発地点から北青山一丁目までが「信濃町線」だった。休日のせいで車の往来は少ないようだ。
右手奥に慶応病院が見えてきて、JR総武線・信濃町駅横を通過すると道筋が斜め左側に変わったため、日差しが正面から右斜め方向にシフトする。
明治記念館横の権田原交差点で、左手にわたる。都電の権田原停留所はここにあったという。
道脇に立つ警察官の姿が現れた。左手一帯は赤坂御用地で、実際に歩いてみるとその広大さを実感する。本日の最高地点でもある。何名ものジョガーとすれ違う。
後ろから速足で来た女性に追い抜かれた。村谷より小柄で、帽子・ウエア・手袋・を淡いピンク色におしゃれに統一したブロンドの若い白人女性だ。青山1丁目交差点で追いついたので顔を見るが、マスク・サングラス越しでも中々の美人さん。信号を横断して、すぐ後ろに着くがすぐに引き離されてしまう。贅肉が一つもない体つきから、相当に歩きこんでいると判断してあきらめ、左手にある青山公園で最初の休憩とした。
例によってチョコナッツを二かけら。広い園内では、スポーツや散歩を楽しむ人たちがあちこちにいた。ボッチャを行う若者グループもいる。
外苑西通りに戻る。先ほどの交差点から天現寺橋までは「広尾線」だった。
右手に広大な青山霊園が広がる。通りの歩道沿いの両側に昼休憩中らしいタクシーの長い列が続いている。利用者が少ない時間帯でもあろうが、長引くコロナ禍では運転手さんも大変だろうと推察する。
南青山陸橋の先で道が二手に分かれ、左手の六本木トンネルに向かう外苑東通りではなく右手方面に進む。
坂道を下ると外苑西通りに合流、一気に人出が増えた。
西麻布交差点で六本木通りを横断する。前方からフランス人らしい親子四人連れがやってきて、歩道が狭くなったので譲り合ってすれ違う。一気に外人比率が高まったようだ。左手の高台には、スイス大使館、ノルウエー大使館、ドイツ大使館、フランス大使館などがある。
道筋には適当な休憩場所が見当たらないので、少し回り道ながら有栖川記念公園に立ち寄ることとした。鉄砲坂、北条坂を上り切って、木下坂を少し下り、左手にあった北側入り口から有栖川記念公園に入った。
鬱蒼としがった木々の間の歩きやすい土の道と、しっかりした木の階段、石の橋を下って水辺に降り立った。さわやかな空気を吸いながら散歩する人たちとすれ違う。池を回りこんだ先にあるベンチをひとつ確保し、二度目の休憩。
広場では昼食後の散歩や運動を楽しむ家族連れで溢れかえっていた。三分の一近くが外国人のようだ。当初予定していた長めの昼休憩は断念し、チョコナッツだけで腰を上げて、東京メトロ日比谷線・広尾駅先で外苑西通りに復帰した。
天現寺橋交差点で明治通りに突当りそのまま左折する。ここから古川橋までの間が「古川線」だった。
すぐ脇の天現寺に参拝する。本堂で本日の無事のお礼を述べてから、正面にある芭蕉句碑をほぼ10年ぶりに眺めた。達筆で全部は読めず「一里はみな花守の子孫かや」と刻まれているという。
明治通りに戻り西進する。光林寺、春桃院、明称寺、西福寺、円沢寺と道筋にお寺が続き、午後1時半に古川橋交差点に到着した。この先は以前歩いているのでここまでとして、昼食場所を求めて麻布十番方面に左折北上する。
二の橋交差点に差しかかると、何やらスピーカーから大きな演説が聞こえてきた。右翼の街宣車が2台停車中。ほどなく静寂が戻った。
左手奥に当地区で唯一の網代公園があるので、最後の休憩タイム。広い公園一杯に、幼児連れの家族たちが日曜日の午後を楽しんでいる。
何とかベンチを1台確保できたので、足元に新聞紙を広げて靴を脱ぐ。残ったチョコナッツ・ベビーチーズ・バナナをつまみに、小30分の休憩タイムを缶チューハイを飲み終えて締めた。
次回は8系統(中目黒〜築地)の予定だが、かなり長いので重複する部分は一部カットして、電車で乗り継ぐことも計画している。(村谷 記)
このページのトップへ戻る
前のページへ 次のページへ
.
.
.
.
.
.
★2022年1月16日(日)『旧都電路線巡り「7系統(四谷三丁目〜古川橋)」』