村谷は、都電歩き定番の明日 日曜日は猛暑日の予報なので、本日 旧都電路線22系統路線巡りを行った。
南千住から新橋までの22系統は都電のドル箱路線の一つだっだ。本日は、新橋まで行かずに日本橋止まりとした理由は、その間はすでに踏破済みであり、前線廃止に先立つ昭和42年(1967)12月10日に銀座路線が廃止されたことも考慮した。昭和46年(1971)3月17日をもって廃線となった。
南北を縦断する路線であるので、直射日光を避けるため午前9時半にJR常磐線・南千住駅改札を出る。
「千住線」からスタート。コツ通りを南下し、南千住車庫があったらしい付近から吉野通り(山谷通り)の東側歩道を進む。マスクは最初から胸ポケットに格納した。
回向院は反対側の歩道沿いにあるため遥拝した。
泪 橋 交差点で明治通りを横断する。
この名前からすぐに想起されるのは昭和の人気漫画「あしたのジョー」だろう。この地でボクシングの猛練習をしたシーンが有名だ。そのあしたのジョーを自称した 赤軍派 の旧中央委員、日本赤軍の元最高幹部・重信房子被告が本日刑期を終えて釈放されたのも偶然の賜物。
もう一つは「山谷のドヤ街」。交差点からしばらくの間は、道の両側に簡易宿が延々と続く。「1泊2,700円」や「1か月4万9000円〜」という看板が目に付いた。道を歩く人やバス待ちの人は圧倒的に高齢者男性で占められ、5人に1人ぐらいの割合で堂々と煙草を吸っており、昭和に舞い戻った気分だ。
路地には営業中の飲食店のテーブルが設置されていて、チューハイやホッピーを楽しむお客さんの姿があった。
左手の少し奥には玉姫神社 と 玉姫公園があり、年に一度「靴祭り市」が開催されているが立ち寄りは省略。
東浅草1丁目交差点脇にあったコンビニで、緑茶のペットボトルを購入した。
台東商高前交差点で山谷堀公園を斜めに横断する。江戸後期には大川から新吉原に通う船が盛んに往来した水路だった。
左手の少し奥に待乳山聖天が見えたので立ち寄る。入り口の階段下に人力車が2台停車中。お参りを済ませて階段から降りてきたのは若い姉妹とその父らしい。
村谷が本日の無事をお願いして階段を下ると、大根が入った段ボールを担ぎ上げていく男性2人とすれ違った。ちなみに大根は1本250円で売店で購入できる。
吉野通りに戻ると間もなく、言問橋西交差点で言問通りを横断、この先は江戸通りへと名前が変わる。
東武鉄道の鉄橋を潜り抜ける。ちなみに東武鉄道が隅田川を横断し、浅草雷門駅(現在の東武浅草駅)まで延伸したのは昭和6年(1931)だった。
松屋浅草店を右手に見ながら吾妻橋交差点を横断した。
駒形橋を南北に挟む老舗「浅草むぎとろ」 「駒形どぜう」はまだ開店準備中。
この付近にあった駒形二丁目停留所から浅草橋の間が「蔵前線」。
江戸通り=水戸街道沿いには近代的なホテルが多く、がらがらとカートを引いて歩いている若い女性の姿が目立つ。
マスクをせずの歩いている人はごくわずかだった。
厩橋交差点を通過、右手奥の蔵前神社は立ち寄りを省略。
蔵前1丁目交差点で蔵前橋通りを横断する。浅草橋駅前交差までの間に、3軒のアパホテルを見つけた。
浅草橋交差点では信号を2回横断するため、休憩時間がたっぷりととれる。チョコナッツと水分を補給した。ちょうどここまでを1時間で踏破した。
浅草橋で神田川を渡ると、横山町の問屋街が始まる。
小伝馬町交差点を通過、本日も十思公園入園は省略。
日本橋本町3丁目交差点で昭和通りを横断する。信号待ちの間に頭上の表示板を見ると、これまで国道6号線だった江戸通りが国道4号線に変わることに気が付いた。
室町3丁目交差点で中央通りに突き当たり、22系統もそのまま左折するとともに「本通線」となる。
直角に道が曲がったため一気に日差しが出てきたが、ゴールはもうすぐだ。
右手には三井本館や三越本店のどっしりした建物が続く。
歩道沿いに1942年生まれには見えない若々しい山本陽子の笑顔が出てきて、日本橋に到着したのが午前11時ちょうど、90分の散歩だった。
中央通りの一本東側の通りを北上し、福徳稲荷神社でお礼参りを済ませ、本町2丁目交差点で昭和通りを渡り返し、調べておいた堀留児童公園に入った。名前とは裏腹に敷地がたっぷりとした大きな公園で、ベンチがいくつもあり、首尾よく日陰を一か所確保した。
いつもの休憩スタイルに寛ぐ。最大のご褒美はキンキンに冷えた缶チューハイ。チョコナッツ・バナナ・ミニカステラで昼食を兼ねた大30分の休憩を楽しんだ。
次回は23系統(福神橋〜月島)を歩く予定。(村谷 記)
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★2022年5月28日(土)『旧都電路線巡り「22系統(南千住〜日本橋)」』