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 村谷は真夏日直前の曇天を利して、旧都電路線29系統路線巡りを行った。須田町が終点なのだが、水神森から先の京葉道路・靖国通りは走破済みであり、平日の都心部は人出が多いので両国までとした。

 陸の孤島だった江東区にとっては非常に貴重な路線であり、38系統とともに最後まで運行し、昭和47年(1972)12月に廃線となった。

 午前11時に
旧葛西橋交差点から出発する。清洲橋通りを西進し、境川交差点までの間が「葛西橋線」だった。

 旧都電の停留所にほとんどが同じ名前のバス停として残っている。

 東砂4丁目交差点で、村谷の散歩コースの一つ「仙台堀川公園」を横断する。左手に見える砂町魚釣場は、早くも常連さんたちがヘラ竿を出している。

 
亀高橋交差点(都電の北砂七丁目停留所)で丸八通りを横断する。名古屋勤務の経験から名古屋市の市章・丸八との関係が気になったが、小名木川に架かる丸八橋に由来し、明治期にその名前のお香屋があったからだという。

 二つ北側の信号前には、砂町銀座の東側入り口がある。

 
境川交差点で明治通りに突当り、そのまま右折北上する。交差点そばの志演尊空神社に立ち寄り本日の無事を祈る。この一帯は江戸時代に開拓された砂村新田で、その中央部を小名木川から旧中川に通じる幅10吸うメートルの人工水路が流れていた。野菜の促成栽培方法の発見者がいて、この水路を利用して神田・秋葉原にあった野菜市場まで持ち込んでいた。

 明治通りに入り「砂町線」に変わる。

 北砂2丁目バス停の向かいにある「すし 海幸」は激安ランチの人気店で行列ができていた。その隣が砂町銀座の西側入り口だが本日は立ち寄らない。

 北砂3丁目バス停の左手一帯は小名木川(貨物)駅跡で、23区最後の大型商業施設ともいわれたショッピングセンター「アリオ北砂」・スポーツクラブ「ルネサンス北砂」・病院・マンション群が整備されている。現在は
交差点に名前が残っているが、新住民にはピンと来ないのだろう。地元・砂町銀座の根強い反対で開業時期が計画より数年遅れたものの、景気回復期と重なり順調に業績を伸ばしたとされる。

 進開橋小名木川を跨ぎ超える。結構な太鼓橋なので、あえぎあえぎ超えていく電車の姿が思い浮かぶ。

 
大島1丁目交差点の先で電車は明治通りと分かれて右手斜め方向に進む。城東電気軌道の専用軌道跡が大島緑道公園として残されている。道を真ん中で二分して、歩行者用と自転車用に色分けされている。この時期、アジサイが見ごろだ。
ダイエー横で新大橋通りを横断する。地下を都営新宿線が走っている。昭和53年(1978)12月21日に岩本町〜東大島間が開通し、この先の京葉道路上を走っていた路線の代替を務めるようになった。

 さらに北上し、首都高速7号線の真下を流れる堅川を横断する。現在は人道橋になっているが、当時の写真を見るとなかなか風情がある。橋の袂にこの路線の歴史と、線路などの遺構が残されていた。高速を潜った先から遊歩道の名前も亀戸緑道公園になる。

 なぜ、明治通りをそのまま直進せずに、水神森経由と遠回りした理由を考えてみた。この付近の明治通りの幅員は、前回の四ツ目通りや永代通りと比べて狭く、自動車の走行との折り合いがつきにくかったのだろうか。ちょうど専用軌道が引ける緑地(用水跡?)が近くにあったのかもしれない。

 午前11時35分、
水神森交差点で京葉道路に突き当たった。ここからは走破済みだが、まだ時間が早いので両国まで延長することとして、そばのブックオフで5分間のクールダウン、たっぷりと掻いた汗がだいぶ引っ込んだ。

 前回は南側歩道を歩いたので、曇天でもあり北側を選んだ。水神森から錦糸堀の間は「小松川線」だった。

 
亀戸駅入口交差点では、歩道橋で明治通りを横断する。駅周辺は昼食を求める人で込み合っている。

 松代橋横十間川を渡る。

 その先が都バスの江東車庫で、十数台のバスが停車中。

 
錦糸町駅前交差点で四ツ目通りを横断、歩道橋は用いずに大型ビル「リヴィン」前の信号を渡った。このビルが城東地区最大のレジャー施設「江東楽天地」の跡地だったことを知る人は、もう少ないかもしれない。

 
錦糸堀交差点から両国2丁目までの間は「江東橋線」だった。

 錦糸町南口駅前広場の大時計が正午のオルゴール音を告げる。広場の西側の角にある魚寅の支店の前に おいしそうな各種総菜が並んでいる。
ずらりと並んだ食堂の多くは中華店で、がっつり系のお客さんが次々に入っていく。

 江東橋大横川親水公園を渡ると一気に店が少なくなった。

 
緑3丁目交差点の手前で昼食に並ぶ行列があった。間口が狭いこぶりなお店で「台湾料理生駒」と暖簾が出ていた。帰宅後に調べるとコスパがよいとかなりの人気店のようだった。

 三ツ目通りを横断、左手に
「劇酒場・忠臣蔵」の看板が出てきたので両国駅は近い。

 
緑1丁目交差点で清澄通りを横断する。その地下には平成3年(1991)に開業した都営大江戸線が走っている。

 左手に回向院が見えてきて、
両国2丁目交差点手前で京葉道路と分かれ、国技館通りを北上、浴衣姿で下駄ばきの取的さんたちと相前後しながわ、午後12時30分、JR総武線・両国駅に到着した。

 久々に開業中の相撲博物館に立ち寄る(午後12時30分〜16時。入場無料)。特別展「69代横綱・白鵬翔」が開催中。ずらりと並んだ化粧まわしや優勝カップなどは、真近でみると迫力がある。

 旧安田庭園を抜けて、この地域では定番のお休み処・横網町公園に入った。折よく安田学園に近い屋根付きのベンチが空いていたので、シートを広げる。いつもの休息用の服装に改めてから、缶チューハイを一口。旨い。

 失った水分と塩分を補給してから帰途に着いた。

 次回は30系統(東向島三丁目〜須田町)を歩く予定。(村谷 記)

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★2022年6月23日(木)『旧都電路線巡り「29系統(葛西橋〜須田町」のうち葛西橋〜両国』