都心に初雪が降った朝、気温は低いが好天との予報を頼りに、村谷は 旧都電4系統路線散歩を行った。
午前11時に五反田駅前(東口)を出発する。駅ロータリーを横断した歩道の横には、テント張りの露店が出ていて、しめ飾りなどが売られていた。
国道1号線・桜田通りを北上する(下には都営浅草線が走る)。日が当たりやすい左手の歩道を選択した。いきなり、結構な傾斜の上りの相生坂がお待ちかね。毛糸の帽子・マフラー・手袋で完全武装し、気合を入れた。風は少しあるものの、背中に暖かな日差しが照り付けてくれて、思ったより寒くはない。
坂を上り切ったところが本日の最高地点の高輪台駅上で、ここで右手斜めの泉岳寺駅方面に向かう都営浅草線とはお別れで、坂道を下っていく。
左手に赤レンガ造りの明治学院の建物が延々と続く。敷地内には島崎藤村自筆の校歌碑があるそうだが、行内には入れないので確認できなかった。この付近に二本榎停留所があったという。
右手に並行して歩く尾根道は旧中原街道で、東海道が十分には整備されていなかった天正18年(1590)に徳川家康が江戸に入府した際の通行路だった。
坂道を下り切った地点が清正公前交差点で、ここから左手斜め西南方向に目黒通りが始まっている。交差点手前の覚林寺に立ち寄る。山の手七福神の一つで、毘沙門天が祀られている。本堂よりも立派な清正公堂があるので有名。旧都電の停留所名も清正公前で、ここまでの間が五反田線だった。ここまでの間にすれ違った人は、ベビーカーや犬を連れて散歩していた数人だけだった。
参拝を済ませて、チョコナッツをひと齧りして出発。交差点を渡ると地下は東京メトロ・南北線が走っている。ほどなく白金高輪駅上。高層ビルの出現とともに、人出が一気に増えた。白金1丁目交差点で桜田通りは右手斜め前方にお別れして、国道415線・麻布通りに入る。
停留所名でもあった魚籃坂下交差点から次の古川橋停留所までが伊皿子線だった。古川橋からは金杉橋までは古川線となる。
古川橋から左手に明治通りが始まる。吉田・清水両兄と歩き通した記憶がよみがえった。
三の橋、二の橋交差点横には警察車両が停まっていていて、警察官が立っていた。右手の南麻布地区にはいくつもの大使館があるためだろうと推定する。通りの両側にそびえる銀杏並木は、ほとんど葉が残っていない。歩道の幅が広いため、自転車用と歩行者用に色分けされていて、何台かに後ろから追い抜かれた。
麻布十番駅上の一の橋交差点で、直角に右折し、並行していた首都高速目黒線とはお別れし、今度は都心環状線と並行して東進する。
赤羽橋南交差点で桜田通りを横断、芝園橋交差点で日比谷通りを横断し、荘監橋を経て第二京浜が走る金杉橋に着いた。期待した雪の気配は残っていない。
この先銀座二丁目まで路線は続くのだが、1系統に重なるため本日は終了した。
時刻は正午を過ぎたばかりなので、新橋駅まで第二京浜とは別の道を歩くこととして金杉橋を渡ると、すぐ左手に芝2丁目児童遊園があったので、昼休憩とする。無人の園内の一角に日差しが注いでいるベンチを確保し、背中のタオルと帽子、手袋、マスクを取り去る。チョコナッツで缶チューハイを飲んでいると、昼食を済ませたらしい家族連れが4人来て、遊具で遊び始めた。いつもより短い小20分の休憩を済ませて出発。
第二京浜より二本西側の道を選択、ちょうど背中に日が当たり気持ちよく歩ける。
芝大門交差点で大門通りを横断し、少し先の参道を左折して芝神明宮に参拝して、本日の無事と好天に恵まれたことをお礼申し上げた。
再び柳通りに戻り北上し、ニュー新橋ビル前に来ると何やら長い行列が建物を取り囲んでいる。1階にある新型コロナPCR検査センターに次々に入っていった。
東京メトロ銀座線・新橋駅から帰途に着いた。
次回は5系統(目黒駅前〜永代橋)を巡る予定。(村谷 記)
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★2021年12月26日(日)旧都電路線巡り「4系統(五反田駅前〜新橋駅)」