村谷は好天に恵まれて旧都電路線31系統路線散歩を行った。この路線は昭和44年(1969)10月26日に、他の多くの路線とともに廃止された。本日の朝方に早稲田に所用があったので、久々に荒川線に乗車し、三ノ輪橋駅まで行く。
午前11時30分、都電荒川線 ・ 三ノ輪橋停留場に到着、ジョイフル三ノ輪商店街の東端から日光街道に出て南下、JR常磐線を潜り抜けた付近に、31系統の三ノ輪橋停留所が設置されたのは明治44年(1911)だった。
なお、停留所の名前は、石神井川と日光街道(国道4号線)の交点に架かっていた三輪橋に由来する。少し先にあった三ノ輪車庫までの間が「三河島線」だった。車庫跡は現在、都営住宅になっている。その先は蔵雨1丁目までの間が「千束線」。
大関横丁交差点で明治通りを横断する。やはり車の交通量が多い。信号待ちの間に前を見ると、白人女性と日本人男性のカップルがいて、たくましい腕で赤ちゃんを抱え、3歳ぐらいの男の子のこの手を引き歩く母親はたくましい。信号を渡った先ではフランス人らしいカップルがしとやかに歩いていて、対照的だった。
三ノ輪交差点から左斜め方向に国際通りと分かれて、国道4号線は昭和通りになる。
31系統は次の信号で4号線と分かれて、国際通りと並行に左斜め方向に進んでゆき、合羽橋通りに合流する。
右手に真言宗智山派・龍泉寺があるので立ち寄り、弘法大師に本日の無事をお願いした。この付近の地名・竜泉の起こりでもある。一気に車の通行量が減って歩きやすい。太陽が頭上高くに位置しているので、日傘を取り出した。
言問通りを渡った先からは、合羽橋商店街のアーケードが始まるので助かる。土曜日なのに人出が少なく、呼び返する店員さんの声も小さい。合羽橋南交差点に差し掛ったところで正午になったので、そばの松葉公園で昼休憩。
日陰になっている敷石に新聞紙を広げて腰を下す。コンビニで購入した玄米茶のペットボトルと、ジョイフル三ノ輪商店街で求めたカリントウ「黒樹」で15分間のクールダウン。
かっぱ橋道具街通りに復帰し南下、前回のゴール地点・菊屋橋交差点で浅草通りを横断する。この先は新堀通りに名前が変わる。
蔵前4丁目交差点で蔵前橋通りに突当り左折、すぐに蔵前1丁目交差点に着き、江戸通りに右折する。ここから浅草橋までの間が「蔵前線」だった。道幅が広がり、車の通行量と人の流れが一気に増えた。
昼食を求めて人々が行き交う浅草橋駅前交差点を通過、ノーマスク姿がちらほら。この先は「室町線」。
浅草橋で神田川を渡った。
馬喰町、小伝馬町とYSC散歩でもおなじみの交差点を通過し、本町丁目交差点で再び昭和通りに遭遇、ゴールは遠くない。
中央通り、日銀通り、外堀通りを横断し、新常盤橋で日本橋川を渡った。
JR線と並行して南下し、永代通りに合流、線路を潜り抜けて丸の内1丁目交差点に到着したのは、午後1時だった。この先は踏破済みなのでここで終了。持参した缶ビールは自宅の冷房下で消化することとして、大手町駅から帰途に着いた。
次回は、33系統(四谷3丁目〜浜松町1丁目)を歩く予定。(村谷 記)
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★2022年7月9日(土)『旧都電路線巡り「31系統(三ノ輪橋〜丸の内1丁目)」』