午後から天気急変の予報もあり、村谷は午前中に旧都電40系統路線巡りを行った。
40系統は銀座七丁目から神明町車庫前までの7.3kmを走っており、昭和43年(1968)9月29日に廃止された。中央通りは他の路線でも何度か歩いているので、「電車唱歌 3番」に「乗り換へしげき須田町や」と歌われた都電の要衝の一つだった須田町停留所から歩くことにした。
午前9時30分、須田町交差点から出発する。上野公園までの間が「上野線」だった。今のところは曇天だが、念のため東側歩道を選択する。中央通りの下には都内最初の地下鉄である東京メトロ・銀座線が走っている。
神田川を万世橋で渡った。江戸城三十六見附の一つである筋違見附門があった場所。旧国鉄時代に万世橋駅が置かれていた交通の要衝だった。
橋の袂にある創業昭和24年(1949)の「肉の万世」の店名は、橋の名に由来する。夏メニューのパーコーつけ麺の大きな写真が店頭に飾られている。
橋の手前で中央本線を、万世橋交差点先で中央総武線の線路を潜り抜けると、秋葉原の電気街に入る。
広い通りの両側の歩道には、すでに大勢の若者たちが屯していて、さらにその数は増すばかり。すべて電気店の開店時間である午前10時を待つ客だった。人の数が多すぎるのでマスクを着けて急ぎ足で通り抜ける。中でもドンキホーテ秋葉原店のビルでは「ワールドトリガー × ドンキホーテ全国 8月27日より描き下ろしグッズ発売!」取り囲む数百人もの列ができていて、入場整理券を求めて並んでいる。「整理券をお持ちの方から順番に、9時50分よりご案内します」というアナウンスが聞こえてきた。
末広町交差点が近づくとようやく静かになる。
交差点の横にはカレーファンには有名な「上等カレー」があり、エビフライやとんかつをトッピングして食べるのが若者たちに受けているようだ。
この先上野公園停留所までの間は、「電車唱歌 5番」に「いつしか上野広小路 さて公園に見るものは 西郷翁の銅像よ 東照宮のみたまやよ」と歌われている。
上野松坂屋の手前の建物にあるPARCO ya 上野店には、Tシャツ・ジーパン姿ではない女性中心に、数十人の行列ができていた。
上野公園からは「動坂線」。なお、千駄木二丁目までの間は37系統で歩いた専用軌道「池之端線」が走っていた。
本日は公園寄りの右側歩道を歩く。すっぽりと公園の木々に覆われて快適だ。「電車唱歌6番」には「博物館に動物園 パノラマ美術展覧會 不忍池畔の弁財天 四季の眺めもあかぬかな」と歌われている。
午前10時の開園が近いためか、上野動物園西園内から「本日は気温が高くなりますので、水分補給にはお気をつけください」というアナウンスが聞こえてきた。
水月ホテル・鴎外荘前を左折し、700系電車が飾られている旧池之端七軒町停留所跡の池之端児童公園のベンチで最初の休憩。本日はほぼ日陰歩きができているとはいえ湿度が高くて、早くも汗がびっしょり。クーラーバックからミニチーズを取り出して塩分補給をした。
すると珍しくギャル3人がやってきて、700系を背景に写真を撮ったり、解説版を眺めたりしている。村谷は声をかける勇気がなく、池之端2丁目交差点 から不忍通りに転進した。背中に日差しが当たるので日傘を取り出す。
道路わきの青果店「八彩 千駄木店」では朝の安売りを目指す主婦たちで込み合っていて、先日の砂町銀座入り口で見た光景と重なる。
前回の終点・千駄木2丁目交差点から先から通りが右手斜め方向に変わったので、再び日陰が復活した。
団子坂下交差点で信号待ち、日陰に避難する。
千駄木3丁目交差点先にブックオフ千駄木店があったので入店、少しの間クールダウンした。
この先から不忍通りが左手斜め方向に曲がったので左手歩道へ移動する。
道灌山下交差点で、右手は道灌山通りが始まる。名称の由来は当地に太田道灌の出城があったという説が有力だ。これまで20数年間にわたり、武蔵・相模両国のあちらこちらの街道を歩いた経験に照らして、戦国期の太田道灌の活躍ぶりを改めて感じた。
次第に上り坂になり、動坂下交差点を通過する。右手奥にはJR線・田端駅がある。
本駒込4丁目バス停に到着した。この先の左手が神明都電車庫跡公園になっている。時刻は午前10時45分、所用時間は85分間だった。
園内には旧都電の黄色い車両が設置されているのが見えた。あいにく令和3年から5年まで工事中で、中には入れないため周囲を巡った。
上野松坂屋前行バスに乗車し、不忍池まで戻り、桜の巨木の下でいつもの通りにクールダウンした。
次回は41系統(志村橋〜巣鴨車庫前)を歩く予定。(村谷 記)
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★2022年8月27日(土)『旧都電路線巡り「40系統(銀座七丁目〜神明車庫前)」のうち須田町〜神明町車庫前』