村谷は、仕事が一段落したので久々に旧都電15系統路線巡りを行った。
15系統は、1968年(昭和43年)に 翌昭和44年の地下鉄東西線が中野〜西船橋間に開通するのを前に廃線となった。
本日のコースはほぼその東西線の上を歩くことになる。
午前11時過ぎ、高田馬場駅前を鉄腕アトムの発車音に見送られて出発する。左手の稲門ビルは改装工事中。
K,H,T兄らと卓を囲んだ「トモン」が健在かどうかは、ビル全体がシートで覆われていたので判らない。
大勢の人たちとすれ違いながら、馬場口交差点で一旦東京メトロ東西線と分かれて明治通りを池袋方面へと左折、神田川への坂を下っていく。駅付近の雑踏から解放されてのんびりと歩けるのがありがたい。
頭上の日差しはまだじりじりというレベルではなく、風も適度に吹いていてくれる。
高戸橋交差点で、これからしばらく道連れになる新目白通りに右折する。また、唯一残っている都電・荒川線(愛称:東京さくらトラム)と終点の早稲田駅まで神田川沿いに桜並木を雁行することになる。
面影橋交差点で左手を見ると山吹之里碑がちらりと見える。ここまでが「戸塚線」だっだ。
早稲田駅が近づくと右手に大隈講堂の高い建物が見えてきた。この短い間が「早稲田線」。
道路の右手にそそり立つリーガロイヤルホテル東京では、昨年家族とランチバイキングに訪れた際に、アルコールが制約されていて少し困ったことを思い出した。
江戸川橋交差点からは頭上には首都高速5号線、地下には東京メトロ有楽町線との三人連れになる。交差点を渡った先の歩道が掘り返されていた。ガス管調査工事と表示されていて、かすかに都市ガスの匂いが漂っていたので足早に通過。
白鳥橋交差点で道はほぼ直角に右に曲がる。「大曲」停留所があった地点で、現在もその名前で呼ばれている。
坂道を下り切って、飯田橋駅前に着く。出発からほぼ1時間経過し、日差しも強くなってきたのでクールダウンするため、ブックオフ飯田橋店に入ると、いつもとは違って店内が混雑していた。5月15日で閉店するため、店内の全品が20%ないし30%引きだという。あまり涼しくなかったので早々に引き上げた。
飯田橋駅からは東京メトロ東西線の上を忠実に進むことになる。
右手にある建物・現職中にはイベントで度々訪れたホテルグランドパレスは、昨年6月30日で営業を終了していて、コロナ禍の影響を感じた。
九段下交差点を渡る。ここまでの間は「江戸川線」だった。
内堀通りに入る。右手の千代田区役所は、長谷川平蔵役宅があった場所だという。
清水門からはお濠の水辺が見えてくる。そのそばでは折り畳み自転車を漕ぐ幼児とその若い父親が楽しんでいる。
お堀端の歩道は、日曜日のためなのかランナーよりもサイクリストの姿が目立つ。
竹橋交差点から道は大手濠に沿って左斜めに変わる。お濠端の八重桜がまだ元気に鮮やかなピンク色を誇示している。
将門の首塚に立ち寄ると、若い女性たちがお参りの列をなしていた。関東最大のパワースポットで、特に勝負運に効果が強く、恋愛成就への効き目が大きいそうだ。
大手門前で永代通りに左折する。がらんとしたオフィス街をここぞとばかりにジョギングしている若い男女が目立つ。
通り沿いには現役時代に通いなれた懐かしい建物が次々に出現する。
呉服橋交差点の一角に立つみずほ信託銀行ビルからは、昨年11月22日に本店営業部が移転していた。
午後1時過ぎに茅場町交差点にゴールイン、所用時間は120分。東西線ならば所要時間は22分だ。
当時は朝夕のラッシュ時に、洲崎(東陽町付近)まで運行していたようだが省略し、永代橋の袂にある小公園で昼休憩とした。無人の公園にあるベンチに腰を下ろし、足元に新聞紙を敷いた。背中のタオルと靴下、ベストとマスクを取り去るとホッとする。冷えたレモンチューハイを一口飲む。チョコナッツとベビーチーズをつまみに例によって文庫本片手に大30分の休憩。
永代橋を渡り門前仲町に向かうと、人出がどっと増えた。
門前仲町交差点で清澄通りへと右折、路地伝いに古石場親水公園に入る。牡丹園の色とりどりのボタンはほぼ満開。青空にすっくと立ちあがっていた。隣接する牡丹公園では、広い敷地にもかかわらず腰を下ろす場所を探すのが難しいほどの込み具合だった。
永代通りに戻り門前仲町駅から帰途に着いた。
次回は16系統(大塚駅前〜錦糸町駅前)を歩く予定。(村谷 記)
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★2022年4月17日(日)『旧都電路線巡り「15系統(高田馬場駅前〜茅場町)」』