明日からは天候悪化の見通しなので、村谷は標記散歩を行った。
都電の臨時系統は、日曜祝日運行(当時は土曜日は出勤日でした)と朝晩のみ運行の二通りがあり、旧都電臨時29系統路線は朝晩運行だ。
なお、これまで歩いた系統と重複するので、門前仲町から先の日本橋までの区間は省略した。
午前中は所用で西葛西〜浦安間を往復したので、一旦シャワーを浴びてから午後1時に葛西橋を出発した。
バス停が「旧葛西橋」となっている理由は、1963年9月に現在の葛西橋が開通するまでは、300m上流の清洲橋通りの延長上の荒川に最下流の橋として葛西橋が架かっていたからだ。都電は清洲橋通りを走っていた。
境川までの間は「葛西橋線」で、道の両側にはマンション、こぶりな食堂、会社の建物が混在している。食べログに掲載されそうなお店は見つからない。
境川交差点で明治通りを左折する。曇天ながら念のため西側歩道を選択する。スタートからマスクをしていなくてもそれほど違和感はなかった。東陽公園前までの区間が「砂町線」だった。
今週13日(火)のYSC散歩の際に昼食場所に使用した仙台堀川公園を跨ぎ超えた。明治から大正期にかけて建設された人工河川で、江戸初期から水運の要衝だった小名木川 と 横十間川を結び、江東区内に多かった工場の製品や原材料の運搬に盛んに使用された。その後の工場移転に伴い役割を終え、戦後は水辺の散策路として活用されている。
少し先で明治通りと分かれて、右手の南砂緑道公園に入った。平日は散歩する歩行者が多いのとは対照的に、自転車で往来する人が圧倒的に目立つ。道が歩行者用と自転車用に色分けされていて、誰もがきちんとルールを守っているので歩きやすい。
「2022年1月から区立公園は全面禁煙です」という立札があちらこちらにあった。
数日前と比べて彼岸花が一斉に開花したようだ。
江東運転免許試験場前停留所 で永代通りと合流した。前回とは反対の南側歩道を選択する。
道の両側には一気に飲食店が出現して、その割合が7,8割はありそうだ。中でも、東陽3丁目交差点の北側にある「80円焼き鳥・信長」の看板が目立っていた。
沢海橋手前で一旦永代通りとは分かれて、左手に進む。
久々に洲崎神社に立ち寄ると、ベビーカー持参で幼児とお参りしている若いママさんに出会った。元禄13年(1700)に徳川五代将軍綱吉の生母・桂昌院が江戸城中紅葉山にあった弘法大師作と伝わる自らの守り本尊を移転し、洲崎辯天社としたのが創始とされる。
大正期の震災や昭和の戦災で本殿が焼失した際にもご本尊は守られて現在まで伝わっている。
境内には真新しい「玉の輿縁結び」のキャラクターが飾られていた。桂昌院は本名をお生という八百屋の娘ながら、その美貌で将軍の生母まで出世し、「玉の輿に乗る」という言葉の起源になった女性。先ほどのママさんは、幼い娘の幸せを祈願していたようだ。
平木橋 で大横川を渡り返し、永代通りに復帰した。
近々、W君・K君と遅めの暑気払いを予定している魚三酒場はまだ開いていない。「営業時間は午後4時から午後10時まで。他店で飲食された方は入店お断り」の張り紙があった。
午後2時過ぎに門前仲町交差点に到着、本日は60分強の散歩だった。
清澄通りを左折し、黒船橋から大横川に入る。屋根付きの石造りベンチを確保し、遅めの昼食休憩。本日のつまみは定番のナッツチョコに加え、フィッシュソーセージが初登場。かすかな塩味がよく冷えた缶チューハイにも合う。
次回は、天候を考慮して残る4つの臨時路線から選ぶ予定。(村谷 記)
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★2022年9月17日(土)『朝晩運行の旧都電臨時29系統歩き(葛西橋〜門前仲町)』