村谷は午前中の日差しが真上に来ない時間を利用して、旧都電路線33系統路線散歩を行った。(旧都電路線32系統は旧都電路線27系統とともに荒川線の一部として現役路線)
路線はほぼ外苑東通りを5.7km歩くという比較的短いコースで、廃止時期は最も多い昭和44年(1969)10月26日だった。
何度も歩いている箇所が多いので、本線からはやや外れても日陰の多い場所を寄り道しながら行くことに決めた。
午前10時、四谷三丁目交差点を出発する。ここから「信濃町線」が始まる。
午前中の定番になった東側歩道を南下すると、目論見通り道沿いの建物が日差しを遮ってくれる。反対側の魚久四谷店では、毎朝9時30分に京粕漬け切り落とし(税込み756円)の引換券が配布されるが、すでに完了していて行列は見当たらない。
一本東側の小路に入り、於岩稲荷に立ち寄る。道を挟み 於岩稲荷田宮神社 と 於岩稲荷陽運寺 の両方を参拝した。夏休みの男子小学生を連れた親子三人連れと遭遇した。
左門町交差点で外苑東通りに復帰する。JR信濃町駅に向かい、道の西側は文学座・東京電力病院・慶應義塾大学医学部・民音文化センター・信濃町レンガ館が、東側には信濃町子ども支援センター&シニア活動館・信濃町教会・創価学会本部とそれぞれ特徴ある建物が鑑賞できる。お岩様のご利益で、曇り空に変わった。
信濃町駅前交差点で西側の歩道に移った。
JR線を跨ぎ超えて、一旦外苑東通りと分かれて、緑濃い神宮外苑に入った。なお、ここからは東通りの地下には都営大江戸線が走っている。
先ずはだれも子供たちが遊んでいない「にこにこパーク」に沿って南下する。苑内は平日の午前中とあって、ほとんど歩く人はなく、ときおりジョギングする人の追い抜かれるぐらいだ。
日本芸術文化センター前の三叉路を左折すると、旧都電の権田原停留所に合流するが、さらに緑陰散歩を選択し、そのまま直進する。
左手の金網の間に入り口を発見、久々に御観兵榎に立ち寄った。
イチョウ並木に設置されたお洒落なデザインのベンチで最初の休憩、定番のチョコナッツをジャスミン茶で食した。そのまま並木を進む。緑がたっぷりで熱い恋人たちの語らいも少しは冷ましてくれそうだった。
青山2丁目交差点で青山通りに突当り左折、青山一丁目駅前交差点から外苑東通りに復帰する。前回と比べるとマスク姿が大きく減っていて、この周辺では五分五分だった。
ここから先は終点まで「六本木線」だった。
乃木公園で二回目の休憩。まだ、昼休みには間があるので、ゆうゆうとベンチを確保することができた。左手奥には乃木会館・乃木神社があるが立ち寄りは省略。
赤坂通りを横断してさらに南下する。左手一帯に広がる東京ミッドタウンを訪れる人も、まだ多くない。
六本木交差点で六本木通りを横断し進んでいくと、日差しが頭上に上がってきたので日傘を取り出した。
飯倉片町交差点手前で、本日初めて外人女性二人(中年)とすれ違う。
交差点先の左手一帯にタワービル工事の骨組みが出現した。
警察官の姿が急に増えた右側に、ロシア大使館の長い塀が続く。昔はこの付近が「狸穴(まみあな)」と呼ばれたと中学校で学んだ記憶がある。メスの狸“マミ”の住む穴(なお、オスの狸のことを“ムジナ”と言う)を指す言葉で、昔は寂しい地域だったのだろう。
飯倉交差点で桜田通り(国道1号線)に突き当たる。ようやく30代と思しきブロンドのロシア人(?)女性とすれ違う。
通り沿いに直角に左折し急坂を下ると、真上から太陽が照り付けてくる。通りの左手でも広い敷地に再開発タワーが建設中。日本経済が長期低迷する環境下でこんなに高層ビルをどんどん建てて、中国のように不動産バブルがはじけてしまうのでは?と心配になる。
神谷町交差点を右折したので、西側歩道を選択して日陰を確保した。
御成門交差点で日比谷通りを横断する。右手に広がる芝公園一帯が昼食場所だと、最後の鞭を入れる。
左手に愛宕警察署、右手に日本赤十字社を眺めながら11時30分、第一京浜に合流する浜松町一丁目交差点にゴールインした。ちょうど90分の行程だった。
芝公園に戻り、空いているベンチではなく奥の芝生を選択し、いつもの休憩スタイルでまずは缶チューハイをごくり、ようやく人心地が付いた。
次回は34系統(渋谷駅前〜金杉橋)を歩く予定。(村谷 記)
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★2022年7月28日(火)『旧都電路線巡り「33系統(四谷三丁目〜浜松町一丁目)」』