村谷は、昨日に引き続き旧都電9系統路線歩きを行った。
9系統は渋谷駅前まで走っていたが、築地より先はすでに走破しており、今回は省略した。
その代わりに、築地からは久々に隅田川テラス左岸を門前仲町まで歩いてみた。
今回は新大橋通りと平成通りを巡るコースで、距離が短いので沿線の寺社もできるだけ立ち寄ることとした。
午後12時半に、都営新宿線・浜町駅から地上に上がった。浜町公園に入り南端にある清正公寺に参拝する。
近くの砂場では好天下でボール遊びしている家族連れの姿がある。
少し南下し、新大橋通りへと右折し、清洲橋通りとの交差点・浜町中ノ橋が旧都電9系統の終点で、茅場町までの間が「新大橋線」だった。
昼休みの飲食店には多くのお客さんがいて、陽気に誘われてテラスで食事中の人たちも目立つ。
水天宮に立ち寄ると、幼児を抱いた初宮詣らしい綺麗な和服姿の若い母親が二組、それぞれ同様に和服姿の家族から写真撮影中。
邪魔にならぬようお参りを済ませて、新大橋通りに復帰する。
蛎殻町交差点で新大橋通りと分かれて、右手の平成通りに向かうが、その前に右側奥にある小網神社に立ち寄った。
人気のパワースポットとあって10人以上の行列ができていて、制服姿の若い女性が「二列になってお進み下さい」としきりに声掛けしている。参拝を済ませた人は一様にお札を購入しているが、村谷はそのまま平成通りに復帰した。
鎧橋で日本橋川を渡り、緩やかな坂道を下る。右手には東京証券取引所。
茅場町交差点で永代通りを横断する。この先の日比谷公園までが「築地線」だった。
第二証券会館の反対側に坂本町公園があったので最初の休憩。チョコナッツをかじりながら案内板を見ると、東京で最初の市街地公園と書かれていた。
八重洲通り、鍜治橋通りを越えて南下する。正面から日差しを浴びて進むので、今日も汗をかいてしまう。
歩道の左手に町名の由来でもある新富座跡の碑がある場所は、現在は京橋税務署だ。
築地橋で首都高速を跨ぎ超える。
右手にある大正13年創業の築地玉寿司本店のビルは、初めて訪れた時の昭和の佇まいがそのまま残っていた。
築地2丁目交差点を渡ると まもなく京橋郵便局の建物がが見えてきて、晴海通りに出た。この先9系統は銀座方面に右折して、渋谷駅前まで続くのだがすでに走破済み。
左折して、新大橋通りを横断し、築地本願寺に参拝。本日の無事のお礼を申し上げた。
さらに晴海通りを南下し、勝鬨橋を横断する。対岸のマンション群から築地や銀座に向かう人々と盛んにすれ違う。
隅田川テラスの左岸に降り立つと、すっかり改良工事が終わっていて永代橋方面までの遊歩道が完成していた。
川辺の椅子に腰を下ろして二度目の休憩タイム。地上よりも風が弱くて心地よい。
佃島名物の3軒の佃煮屋さんにも久々に覗いてみた。そのうちの1軒を勝手に舞台にして、徳川家康を主人公とした掌編小説を書いたことを思い出して冷や汗をかく。
締めに住吉神社に参拝して、近くの船泊にあった真新しい木製ベンチに腰を下ろした。足元に新聞紙を広げ、靴を脱ぐ。そろそろ背中のタオルと買えの靴下が必要になりそうな陽気になってきた。冷えた缶チューハイとチョコナッツでのんびりと日向ぼっこ。30分間で犬を散歩させる老人が2組通り過ぎただけだった。
清澄通りまで出て、相生橋で晴海運河を横断、門前仲町まで出た。
錦糸町行バスに乗り、途中の砂町2丁目バス停で下車し、砂町銀座でつまみ用の野菜揚げ(5個200円)を購入してから帰途に着いた。
次回は10系統(渋谷駅前〜三宅坂〜半蔵門〜小川町〜須田町)を歩く予定。(村谷 記)
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★2022年2月27日(土)『旧都電路線巡り「9系統(渋谷駅前〜浜町中ノ橋」のうち浜町中ノ橋〜築地』