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 旧都電路線26系統は大正14年12月21日に、城東電気軌道が開設し、その後一之江線として都電に引き継がれた荒川東部唯一の路線。当初の計画では、折しも建設中の荒川放水路(昭和6年全通)の上を鉄橋で25系統の西荒川と結ぶ計画だったが実現せず、昭和27年5月20日にはトロリーバスに切り替えられ、わずか28年間という短い営業期間だった。

 路線の雲崗距離が3.2kmと短く、東荒川停留所跡へのアクセスがあまり便利ではないので、
亀戸駅前から25系統を重複して歩くことにして、村谷は午前11時に半袖・半ズボン、ノーマスクで出発。

 線路沿いに駅南側に伸びる飲食店街を行く。9割方は営業中または待機中だが、コロナ禍の影響で完全にシャッターを下ろしてしまった店もあった。

 亀戸クロックの真ん前の水神森停留所で京葉道路に復帰し、東進する。歩道が広いので自転車通行が目立つ。3人に1人くらいがノーマスクだった。

 亀戸9丁目歩道橋前で右手斜めに左折、信号を横断して亀戸浅間通りに入る。今月25日(土)に夏越の大祓、7月3日(日)に祭礼を控えて、境内と隣接する浅間公園が清掃中の亀戸浅間神社に参拝、本日の無事をお願いする。

 坂道を上り、亀小橋旧中川を横断、小松川第二小、たんぽぽ公園前を通過し、首都高速7号小松川線高架下の西荒川停留所跡らしい地点を再度確認してから、京葉道路に折り返した。

 小松川大橋荒川を渡る。後方を振り返るとスカイツリーの上部は雲に囲まれぼやけて見えた。橋は昭和44年完成の全長約700mで、歩道の足元は陸上競技場並みにピンク色のタータンで覆われているので、足に優しく歩きやすい。

 東岸の歩道橋を下って、地上に降り立った。この付近は江戸時代には四股(よつまた)と呼ばれた東西交通の要衝で、行徳道と佐倉道の交差点にあたる。行徳道は平井の渡しと今井の渡しを結ぶ主要な街道で、浅草と成田を蓬莱する旅人で大いに賑わったという。
26系統はまさに行徳道を四股から今井の渡の間をそのまま運行していた。

 現在は一之江境川までが松江通り、その先は今井街道と呼ばれている。
11時50分、東南方向に一直線に歩きだす。右手にはフグ料理店があった。
 両側に店が続く活気ある商店街で、亀戸が本店の「佐野みそ」の大きな支店があった。途中から日差しが出てきたので帽子を取り出す。

 首都高速小松川線を斜めに横断し、小松川ランプ入り口交差点で船堀街道を渡った。

 一之江境川親水公園を渡る橋の上にベンチがあったので、腰を下ろしてチョコナッツ休憩。少し上流部には江戸時代から抹香を製造していた旧家・一之江抹香邸が今も残っている。

 今井街道に入る。また、曇り空に替わりありがたい。

 都営新宿線・
一之江駅付近で環状7号線を横断。

 瑞江大橋新中川を渡り、今井橋の袂に着いたのが午後12時半だった。

 橋の袂にある今井児童交通公園に行くと、広い敷地全体が周囲をシートで覆われていて、防災機能充実のための大工事中。

 仕方がないので瑞穂大橋旧江戸川を渡り、古川親水公園へ向かう。

 瑞江中裏の真言宗豊山派・真福寺に参拝して本日無事のお礼を申し上げた。

 日本で最初の親水公園・古川親水公園に入る。水辺の両側は
色とりどりのアジサイが見ごろだ。

 古川けやき公園のベンチに腰を下ろして、いつもの休憩スタイルに変わる。きんきんに冷やした缶チューハイを、ベビーチーズと残ったチョコナッツとともにのどに流し込む。

 大30分の休憩を済ませ、新川経由で
船堀駅から帰途に着いた。

 次回は、27系統(三ノ輪橋〜赤羽)が候補ながら、大半の路線が都電荒川線と重複しているので、28系統(錦糸町駅前〜旧都庁前)歩きを行う予定。(村谷 記)

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★2022年6月16日(木)『旧都電路線巡り「26系統(東荒川〜今井橋)」』