街道

★2011年7月8日〜10日「伊勢街道2/2(松坂の手前・高茶屋駅〜伊勢神宮)

       ※伊勢街道の前半はここをクリックしてください。

では、今回の 伊勢街道 道中記(後半)

<7月8日(金)高茶屋駅〜松阪宿(12キロ)>

 東海地方では梅雨が明けてしまった8日(金)、前半戦と同じ東京駅9時30分発のぞみ23号5号車に、清水・西・村谷が揃って乗車した。
 
名古屋駅で11時35分発の快速みえ23号に乗り換える。津駅までは1時間程の行程なので、名古屋駅だ購入した缶ビールで前途を祝して?乾杯し、ついでに駅弁を平らげる。
車中は8割ほどの乗車率で、桑名・白子・四日市などお馴染みになった停車駅で次々と乗客が乗り降りしていった。

 津で4分間の待ち合わせで各駅に乗り換えて12時44分に、前回の最終地点・
高茶屋駅に降り立った。
本日の行程は12キロと半日にしては手ごろな距離だったが、何せ上空はすっかり夏空。
熱中症にだけはならないよう、下は半ズボン、上は半袖、首にはタオル、帽子に日傘と万全の準備で出発する。

 先ずは
雲出川に差し掛かる。海側にかかる雲出大橋の先には、江戸時代に内宮・外宮と並ぶほど信仰を集めた香良洲神社(祭神は天照大神の妹神・稚日女尊)があるが、我らは省略して手前の橋を渡る。
ガイドには軽自動車しか通行できないとあったが、立派な幅が確保されていた。
 川の両岸に残る常夜燈付近には、かつては松の大木があったそうだが、伊勢湾台風で残されていない。

 以前の旅籠通りの右手先に、珍しく立派な建物が出現。当地が生んだ探険家・
松浦武四郎記念館だ。江戸後期の北海道の奥地を6回も探検した偉人で、村谷は遥か昔の中学生のときに学んだ記憶があった。
冷房がしっかりと利いた館内で冷たいお茶を摂して元気を取り戻す。

 再び熱気溢れた外に出る。暑さと新道のため少し道がわからなくなったが、地元の人に尋ねて、川沿いの
参宮街道に復帰した。
田圃の上から流れてくるやや涼しい風だけが頼りだ。

 近鉄山田線を横断すると久米と呼ばれる旧街道。お地蔵さんや常夜燈、石柱が度々出現するので安心だ。
町並みが込んできてやっと
松坂市内に入ったようだ。
 
阪内川に架かる松阪大橋を渡るとすぐに、松阪商人御三家の一つ・小津家の館跡
伊勢参りに来た野宿の旅人におむすびの炊き出しを欠かさなかったという記録が残る。

 町の西外れには小津安二郎青春館があり、一族らしい。
隣接する三井家発祥の地は、残念ながら入館できない。

 今夜の宿は駅そばだが、疲れた足に鞭打って高台にある
 松阪城跡 (松阪公園)に向かうが、階段がなかなか大変だ。
それでも天守閣跡下の将軍が伊勢参宮時に宿所とした徳川陣屋跡にある売店にゴールイン。丁度午後4時だ。
つめたい氷水(単品は100円だが、我らは果物入り300円を張り込んだ)を平らげて元気を回復する。
本居宣長記念館は閉館時間が迫っていたため省略して、再び階段を下り、
近鉄松阪駅側にある「ホテルAU松阪」に午後4時半にチェックインできた。

 すっかり着替えてシャワーを浴びて、午後5時半出発。のんびりと歩いて6時前に予約していた
「和 田 金」 に入る。大ベテランの仲居さん2名に案内されて3階の座敷へ。
 先ずは冷たいビールで乾杯し、お待ちかねのひれ肉の網焼きとロース肉のセットを独特のたまり醤油とたっぷりの砂糖で焼いてもらう。
椎茸・たまねぎ・青&白葱などの付けあわせがたっぷりで、地酒の冷酒も進んだ。
見た目の濃さが、食すると殆ど気にならなかったのは、老舗の巧み技のためかも。
締めの軽いご飯で満足して帰還の途に着く。
曜日と時間の関係から、店内は静かで、ハイヤーで帰宅する袈裟懸けのお坊さん2名を見かけただけでした。

 ホテルAU松阪の広々とした部屋に集合し、軽いつまみと焼酎などで軽く打ち上げて早々と就寝しました。


<7月9日(土)松阪宿〜斎宮〜山田宿〜外宮(21キロ)>
 関東地方の梅雨も明けたという日の朝、しっかりとボリュームがある洋食を済ませて、8時前にはホテルを出た。
本日も快晴で距離が長いので早めの行動を誓い合う。

 
和歌山街道との分岐点からが昨日の続きになる。
東松阪駅までの1キロほどが当地の繁華街らしく、カラフルな看板とカタカナが目立つ店が途切れずに続き、夜ならば新宿に劣らない賑わいが想像される。
 江戸期にもこの付近は徳和畷と呼ばれた白酒を売る店が立ち並んでいたという。
JR徳和駅を横断するので、構内で日陰を探したが見当たらず先へ進む。
やっと木立が目立つ
北上神社で休憩。名前は涼しそうだが、江戸期には行き倒れになった人を祀る神社だそうで、この暑さではむべなるかなと実感する。

 広い川幅の
櫛田川に差しかかる。橋の上は風が心地よくほっとする。
今も旅館を営む旅籠屋「つる屋」などが立ち並ぶ旧道は、車が通らず心地よい。
   
 何やら謂れがありそうな
祓川橋を越えて斎宮駅が近い。斎王や斎宮の歴史が学べる斎宮歴史博物館は駅から遥か反対側なので省略する。
 街道沿いの
秋葉神社の境内では、暑さに負けず氏子たちが集まってお祭りの準備中。
6月初旬の斎王まつりの行列の出発点になるという、深い森の
竹神社で10分間休憩。

 目に付いた自動販売機では忘れずに水を購入しながら、炎天下をひたすら進む。
11時は回っているが、食堂やコンビニがないのも覚悟の上。

 広々した自動車道と合流した地点に菓子屋
 「へんばや」 を発見し、直ちに入店した。
馬に乗った参宮客がこの地点で馬を帰して徒歩になることから、その名をつけた「へんば餅」が名物。
10個入り700円を購入し、飲み放題の冷たいお茶と、すべすべした畳の小上がりに靴を脱いで上がりすぐさま腹に入れる。癖のない食べやすい餅で200有余年の歴史を感じる。
休憩中に何組もの地元客が、車で次々に買いに来る。四日市の「なが餅」と異なり、本店以外にはバイパスでしか販売していないという。

 空腹を凌いで再び
参宮街道を進む。宮川駅近くの紀州藩高札場跡にあった「喫茶店 どんぐり」に入った時には12時半。近所の主婦仲間で混んではいたが、入り口近くに席を確保。
 焼きそば定食、とんかつ定食、カレーピラフ定食を夫々注文した。ママさん一人のため時間はかかったが味は文句なし。
その手際を褒めたら、店の奥にある冷蔵庫から保冷材3個のご接待。ありがたく頂戴して夫々首に巻いたタオルに収納すると、きわめて心地よく感謝、感謝。

 続く本陣跡は不明だが、広い
宮川の土手に出ると、川風と保冷材の組み合わせが素晴らしい。
浮世絵で有名な
桜の渡しを渡り、JR参宮線・山田上口駅先で南側からの熊野街道と合流。

 午後2時過ぎに
伊勢神宮 ・外宮にゴールイン。
大勢の人に混じって、大鳥居を潜って参拝する。
夫々30年ぶり、20年ぶり、10年ぶりの参拝だったが、かつてと比べて圧倒的に若者が多く、パワースポットのご利益に驚く。

 参拝を終えて、外宮前の観光案内所で情報収集。松阪からの徒歩ということで歓待され、詳細な現地情報をいただいた。
引き続き清水の旧知の人たちの事務所を訪問し、今夜の飲み屋を紹介・予約して貰って午後3時過ぎに、「
伊勢シティホテル」にゴールインした。
   
 行程も倍ならば疲労も2倍ということで休憩を2倍とって午後5時半に出発。
伊勢市駅裏の 串揚げ とばっ子(魚介類メニューもあり)」 に入ると、15席足らずの座席はもう予約客で満杯だった。
先ずは本日最後の鮑のお造り、生うに、サザエのつぼ焼きをメインに、生ビール&地酒の常温で心行くまで味わって、なおも続々と詰め掛けるお客に席を譲って、7時半に店を出る。
 例によって、コンビニで少し買い足したツマミと酒で、長丁場の日向歩きを癒しました。

<7月10日(日)伊勢神宮内宮〜電車で帰京(徒歩6キロ)>
 行程が短いのでゆっくりするつもりだったが、自然に8時前にはロビーに集まった。
 本日は、時間があるので天皇陛下と同じ行路で内宮を目指すこととして、先ずは
近鉄宇治山田駅へ。石造りの駅舎は流石の貫禄だ。
目の前の伊勢市観光文化会館では、週末に行う歌謡ショーの大きな看板が目立つ。
左手には皇學館の広大な敷地、右手には
倭姫宮への参道を見ながら御幸道路の急阪を、汗だくで登る。

 伊勢自動車道を潜り、
五十鈴川駅横から月読宮と猿田彦神社を過ぎておはらい町に入ると、まだ9時過ぎなのに早くも参拝客で込み合っている。
 
  「赤福 本店 」に入り、冷たいほうじ茶お変わり自由の 3個入り280円を注文すると、五十鈴川に面した座敷まで運んでくれただけではなく、引っ切り無しにお茶のお代わりを出すサービスぶりはこれまた伊勢商人と感心した次第。

 汗が引いたので、
宇治橋を渡り内宮へ。外人を含めて伊勢の観光は健在と実感する。
五十鈴川の河原で、澄み切った心で今回の旅路を感謝した。
 再来年の遷宮に備えてすっかり仕切りが出来上がっていた内宮を参拝して、
 おかげ横丁 に戻ると10時半。
 「ふ く す け」 」で伊勢うどんと生ビールの早めの昼食を摂る。

 店の裏からタクシーを拾って、行きと全く同じコースを
宇治山田駅に直行する。苦労して登ってきた坂をすいすい下る。

 11時過ぎの近鉄特急で
名古屋駅、そして午後1時10分発の新幹線で帰途に着きました。
車中で打ち合わせし、次回の街道歩きは、9月中旬に、塩の道または北国街道を開始する予定です。


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2004年6月20日に日本橋を出立した「東海道中膝栗毛」 ●印のアンダーライン上をクリックしてお読みください。

 
※吉田兄の「旧東海道餐歩旅」のページ

 ●日本橋〜大森町 2004年6月20日     ●大森町〜神奈川新町 2004年7月10日 

 ●神奈川新町〜戸塚  2004年9月12日   ●戸塚〜茅ヶ崎 2004年10月10日 
 ●茅ヶ崎〜二宮 2004年11月13日      ●二宮〜箱根湯本 2004年12月25日 

 ●箱根東坂 2004年3月7日          ●箱根西坂〜三島 2005年3月26日 
 ●三島〜静岡 2007年5月17日〜19日
    ●静岡〜磐田 2008年1月18日〜20日 
 
●磐田 〜岡崎 2008年4月18日〜21日   
●岡崎〜名古屋 2008年10月3日〜5日 
 
●桑名〜関 2008年10月24日〜26日     ●関〜京都 2008年11月14日〜17日 

 ●東海道五十七次・大阪街道=京街道 2012年6月8日〜10日

  ●東海道姫街道(東海道 追分宿〜御油宿) 2012年3月13日〜15日 
  ●美濃路(東海道 宮宿〜中山道 樽井宿) 2013年10月11日〜14日 
  ●伊勢街道、前半(東海道 日永の追分〜高茶屋駅) 2011年4月6日〜9日 
  ●伊勢街道、後半(高茶屋駅〜伊勢神宮) 2011年7月8日〜10日 

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