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★2004年6月20日(日)「東海道、日本橋〜大森町駅」

さんぽ




 やや曇り空のお江戸日本橋に集合したのは、吉田、滝澤、村谷の3名。日頃見落としがちの東海道沿いの歴史の跡を検証すべく、9時出発。
早くも橋のたもとで、「日本橋(漢字およびカタカナとも)」の揮毫が、あの15代将軍徳川慶喜であることを発見。

 つづいて
中央通り銀座方面に進む。ブリジストンビル裏の路地では、安藤広重宅跡を発見。さらに行くと京橋、銀座のあちこちに書ききれないほどの旧跡を見つける。
2キロ歩くと早くも
新橋。鉄道発祥の記念碑を探すが、汐留の再開発が進みすぎて発見できず、第一京浜に戻る。

 日差しが急に強くなってきたので、日陰を探しながら、品川駅手前の京急バスセンターに11時到着。お遍路に備えて、徳島行きのバス便を確認。

 
品川駅前の混雑を潜り抜け、北品川からようやく旧東海道に入る。見るもの多く、吉田兄は撮影におおわらわ。そろそろ昼食をと探すが、日曜のためなかなか店が見つからない。

 やっと、12時過ぎに
青物横丁駅手前で中華料理屋を発見。
先ず、生ビールをぐっと一息がなによりのご褒美。ニラレバ炒めなどをつまみに、どんぶりめしをたいらげる。12時半近くに再出発。歩は進むが日差しはますます強まる。

 ゆとりがあるうちに切り上げることで一致し、13キロ半すぎた
大森町駅で本日は終了した。時刻は午後1時30分でした。

 けじめをつけるため、
蕎麦屋に入り、ミソオデンと煮込みをつまみに、ビールと冷酒2本で軽く打ち上げ次回の再開を誓い合った。

思いがけない発見と、よく整備された歩道があって安心してあるけます。どこからでもエスケープできますので、まだの方はぜひ一度、昔歩いた方は思い出を探しにお試しください。(村谷 記)

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2004年6月20日に日本橋を出立した「東海道中膝栗毛」 ●印のアンダーライン上をクリックしてお読みください。

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●磐田 〜岡崎 2008年4月18日〜21日   
●岡崎〜名古屋 2008年10月3日〜5日 
 
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