午前9時18分に、京急・大森町駅の改札に集合したのは、吉田、滝澤、清水、村谷の4名。またも予報を裏切った快晴の中、元気に出発する。
すぐに日本橋から14kmの標識を発見。
プラタナスの並木とさわやかな海風に後押しされて、梅屋敷に到着し、江戸時代に道中の旅人相手の薬を作って儲けた商人の屋敷跡という公園を散策する。
明治天皇が9回も行幸された面影を探るべく、向かいの大田区体育館をあわせた広大な敷地を思い浮かべた。
大きな木陰の下の土俵では、6人の若者が股割りの稽古を熱心に行っていた。われわれも勇躍して歩を進める。
呑橋を過ぎ、六郷神社に着くと、思った以上に広い境内で、昔の六郷橋の看板?や梶原景時が寄贈した橋げたの一部を発見。
再びR15、六郷橋のたもとに出て、日本橋から4.5里の標識を見つけて、前途遼遠なるを実感。河原のゴルフの打ちっぱなしを見ながら、風に帽子を飛ばされないように橋を渡るともう川崎宿、ここには地元の篤志家による「砂子の里資料館」があり、暫し休憩。
どなたか?がお好きな堀の内の例の通りの一本北側に、無事に旧東海道の標識を探し当てましたが、呼び込みのお兄さんのお世話になりませんでした。
急に東海道の表示が増えた街中で、砂子にちなんだ建物に飛び込むと、百人一首をパロディーにした浮世絵を飾った珍品にめぐり合い、休憩には好適です。
そろそろ空腹を感じて、汚い(失礼)中華料理店で昼食に決めたのは11時30分。後を考えて、滝澤兄の注文に右へ倣いし、半チャーハン+餃子+ビール半本で疲れを癒す。出前で忙しい時間ながら、見かけと違い、中身は満足すべき水準でした。
宿はずれの芭蕉が最後に関東を旅した句碑や、生麦魚河岸通りはプロ好みの魚卸の店に出会う。
生麦事件の碑を見て、キリンビール生麦工場に1時30分到着。
早速見学ツアーに申込む、2時のに間に合ったので、2時30分過ぎには無料の中ジョッキを各自2杯プラスおつまみおよび試食のチョコレート(追加で購入)を得て、ラッキー。
ガイドのお嬢さんが、見事な手つきで、缶ビールを中ジョッキに3回に分けて、泡を盛り上げるのは、一見の価値ありです。
いい気分で工場を出て、神奈川新町近くの街道沿いで4時ちょっと前でしたが、「萬国」という開店間近の焼肉屋を発見。
店を開けてもらい、清水兄の歯痛からの復帰を祝して大いに飲みかつ食いました。値段は安く味もよしで、大いに足の疲れを癒しました。
さらに横浜めざし歩き出したところで、予報どおり雨が降ってきたので、今日はここまでとしました。(村谷 記)
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※この前、江戸側の旧東海道 ●日本橋〜大森町 は、2004年6月20日に歩きました。
※この後、京都側の旧東海道 ●神奈川新町〜戸塚 は、2004年9月12日に歩きました。
2004年6月20日に日本橋を出立した「東海道中膝栗毛」 ●印のアンダーライン上をクリックしてお読みください。
※吉田兄の「旧東海道餐歩旅」のページ
※吉田兄の『旧街道餐歩』のページへ
●日本橋〜大森町 2004年6月20日 ●大森町〜神奈川新町 2004年7月10日
●神奈川新町〜戸塚 2004年9月12日 ●戸塚〜茅ヶ崎 2004年10月10日
●茅ヶ崎〜二宮 2004年11月13日 ●二宮〜箱根湯本 2004年12月25日
●箱根東坂 2004年3月7日 ●箱根西坂〜三島 2005年3月26日
●三島〜静岡 2007年5月17日〜19日 ●静岡〜磐田 2008年1月18日〜20日
●磐田 〜岡崎 2008年4月18日〜21日 ●岡崎〜名古屋 2008年10月3日〜5日
●桑名〜関 2008年10月24日〜26日 ●関〜京都 2008年11月14日〜17日
●東海道五十七次・大阪街道=京街道 2012年6月8日〜10日
●東海道姫街道(東海道 追分宿〜御油宿) 2012年3月13日〜15日
●美濃路(東海道 宮宿〜中山道 垂井宿) 2013年10月11日〜14日
●伊勢街道、前半(東海道 日永の追分〜高茶屋駅) 2011年4月6日〜9日
●伊勢街道、後半(高茶屋駅〜伊勢神宮) 2011年7月8日〜10日
蒲田・梅屋敷
多摩川・六郷橋
★2004年7月10日(土)「東海道、大森町〜神奈川新町」