★2010年4月16日(金)〜18(日) 「中山道、岩村田宿・相生の松〜和田宿 (諏訪までの予定だったが、春の積雪のため) +上田城で花見」
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※中山道・姫街道(信濃追分〜藤岡宿)
…日本橋から高崎宿までは、同行の吉田さんのページです。
※吉田さんの「旧街道餐歩」へ (⇒「中山道餐歩記」へ)
<4月16日(金)佐久平駅〜芦田宿・土屋金丸旅館>
昨年末以来、久々の中山道歩きが再開、9時21分着の長野新幹線で佐久平駅に集合したのは、吉田・清水・西・村谷の4人組。
途中の軽井沢駅では雪が降っていたが、広々した駅前ロータリーに出てみると晴れ上がっていて一安心。駅前の桜はまだ殆ど蕾だ。
東京の臨海部に住む村谷だけが長い傘を持参していた。
前回のゴール地点・相生の松最寄の交差点まで戻ることとする。
大型スーパーが開店前で通り抜けができず、何とか街道筋に辿り着き砂田橋で小さな濁川を横断、小高い丘の上に鎮座する荘山稲荷神社に道中の無事を祈願した。
平坦な道筋にはあちこち道祖神や庚申塔が次々と出現する。
夜には降雪の予報だったので、つかばらクリニックに隣接する真言宗智山派・妙楽寺で再度祈願する。
右手に本日最初の国指定重要文化財・駒形神社だ。一見するとそれとは思えないが、建築様式が古いらしい。
大きな五差路から塩名田宿に入る。
古い家並みを通り抜けると千曲川に突き当たる。昔は船を並べて繋ぎ、橋の代わりにしていたそうで、そのための舟つなぎ石が残っていたが、意外に小さかった。
研究熱心な吉田は、掲示されていた絵図を見て、船の並べ方を見出した。
中津橋を渡りきった対岸の四阿で休憩、西定番の今治市・三原製菓製の大豆飴が美味しい。
急に上り坂が多くなり、口数が少なくなった。丘の右手には芭蕉句碑があったが通過。「涼しさや 直に野松の 枝の形」とあるらしい。
平成の大合併で支所になった旧浅科村役場跡を通過。
中山道で最も距離の短い八幡宿に入る。高良社とも呼ばれる八幡神社が二つ目の国指定文化財。日光東照宮並に手の込んだ彫刻が随所にある。
宿はずれから続くのは、本日一番の瓜生坂。広重の絵にも描かれた急坂だ。曲がりくねっていて当時の苦労が今も味わえる。その名が相応しい長坂橋で鹿曲川を渡ると望月宿。
朝廷の牧場として名馬を献上していた地という。
旧役場の直ぐ先に食堂・ゆたかを発見、この先に期待ができないので入店する。ボリュームたっぷりのレバニラ炒めなので、村谷以外は半ライス。初日なのでアルコールは抜き。値段は東京では想像できないレベルだったが、12時過ぎなのに誰も来店しなかった。
左手に本陣跡だった歴史民俗資料館があったが通過。左手に大伴神社。景行天皇の頃創建とは古い。
続いて間の宿・茂田井。名水で有名、したがって酒が良い。酒好きで知られた若山牧水の歌碑「白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒はしづかに 飲むべかりけり」が残る。その正面の大きな白壁の武重本家に入る。当然、今夜の寝酒を購入、三番目の重要文化財である建物群を撮影する。どこに泊まるかを聞かれて答えたら、お得意様だった。
隣の民俗資料館をかねた大澤酒造も営業中だったが通過。江戸から46番目の茂田井の一里塚跡を過ぎ、本日の宿がある芦田宿は近い。
芦田川橋を渡り、軽い上り坂を行き、右手が土屋家本陣跡だ。
今日の宿の本家に当たるが、跡取りが大学教授になって出て行ってしまい屋根に立派な鯱がある四つ目の重要文化財も、今や無人だそうだ。
直ぐ先の金丸土屋旅館に入ったのが午後3時30分、早くも雪がちらちら舞ってきた。
2人ずつ2部屋に分宿、年齢順に入浴し、6時前には石油ストーブががんがん点火された食堂で夕食だ。
御年81歳のご亭主とそれに近そうな奥さんの手作りのおかずをツマミに、先ずはビールで乾杯、長丁場には水分が最高だ。
当然地酒を追加したが、晩酌で詳しいご主人の薦めに従い、常温=冷で味わい、絶品だった。
締めに自家用米のご飯をいただき、部屋に戻り、明日の打ち合わせを兼ねて、購入した地酒+焼酎に、村谷が予備に持参したウイスキー&乾き物も出てきて、雪の世がシンシンと更けていった。
<4月17日(土)中山道(芦田宿〜和田宿)>
一晩中点けっぱなしのコタツに足を突っ込み、中からもたっぷりと暖をとったお陰で、寒さ知らずで朝を迎えた。
外はみっしりと雪が積もっていて、村谷が洗面所であったご主人・85歳から60年ぶりの大雪ときいた。
今回のお目当ての和田古峠は標高1,600m以上の高地で、倒木もあるそうなので、協議の結果山越えを見送り、明日はバスで上田駅に出ることとして朝食に向かう。
朝からがんがん石油ストーブを焚いていただき、快適だ。たっぷりのおかずに真っ白な自家製米は何よりのご馳走。村谷は、納豆を分けてもらい三膳平らげたのもいつもの通り。
昨夜は気が付かなかったが、見事な貼り絵がいたるところに飾られていて、老女将の渾身の作品とのこと。山下清画伯ばりと賛辞を呈した。
宿場の通りに出るとどこの家でも雪かきの真っ最中。当宿でも、土曜日とあって若主人が活躍していた。
本日の行程は15キロ程度と短く、山越えもないのでのんびりと出立。
宿はずれに近い左手の正明寺に、見事なしだれ桜が雪帽子を被って聳えていて、夫々壁紙用に撮影する。
宿はずれを出ると直ぐに傘取峠になる。
旧東海道・御油〜赤坂間に並ぶ見事な松並木が、今も1キロほど保存されている。残雪のためその下を歩けないのは残念だったが、入り口と出口から眺めただけでも壮観だ。東海道より背が高い赤松並木だった。
休憩所近くの金明水は今でも飲めるそうだが、近づけない。
国道歩きながら登坂車線があって、今でも結構きつい傘取峠を上りきった地点に、日本橋から47番目の一里塚が片側だけ残っている。
峠を越したすぐ先に「峠乃茶屋」があるが、まだ開店時間前だ。
広大な敷地の別荘地「学者村」は、経験者の西によれば、眺望は今ひとつだが、空気と静かさは抜群とのことだった。
旧道を歩くのが本来だが、除雪状況が確認できず暫くは国道を下る。また、「原道」の表示があり覗いてみると想像していた以上の急斜面だった。
坂の途中で合流した旧道が、きちんと除雪されていたので国道とはお別れ。振り返ると浅間山が真っ白に見えた。
山中の何本もある雪を被った枝垂桜を眺めているうちに、お酒の神様として地元の信仰が厚い松尾神社に到着。見事に澄み切った流れの五十鈴川を渡り、本日の好天に感謝する。お祭りの準備をしていたらしい氏子さん達が車で去っていった。
坂を下りきって、長久保宿に着いた。隣の和田宿と並んで天領で、賑わった宿場だったらしい。
急な坂を下ってきて、長久保宿資料館・一福処濱屋で一息入れる。
この地区は、長久保と和田が合併し、いまや長和町。共通の宿場情報が一元化されていて、街道ウオーカーには便利だ。
和田宿近くにふれあいの湯があるという表示を発見し、立ち寄りを合意した」
宿の中央付近で中山道は左手90度に曲がる地点が、善光寺に通じる上田道との分岐点。明日はここまで戻る。
この宿場の名物も酒だったそうだが、今は途絶えてしまっていた。
宿場外れから中部北陸自然歩道と合流し、国道とは離れた高台を行く。山は白いが日差しが強く、汗だくになる。
国道沿いにドライブインなどが見えたので、我々も下山し食事処を探す。「食事処・ながと」に11時30分入店する。
本日の行程は残り少なく、なだらかな道なのでビールで乾杯。キムチが旨く日本酒を追加する。
吉田が選定した鍋焼きうどんに右へ倣いしたが、絶品だった。村谷の故郷・札幌では、冬の定番だったが久しぶりに感激。値段の方も千円札でコインが数枚お釣りがあり、満腹・満足して店を出た。
四谷の一里塚は国道沿いだったのでパス。
大門川の橋の上からは、浅間山が一段とその全容を現している。
青原バス停近くの公園で休憩。すっかり上着を脱いだが、まだ暑いのは、日差しのせいだけではなさそうだ。休憩所がある交差点に寄り道したら、すれ違いに車が止まり、旧道は向こうですよとわざわざ教えてくれて、都会にはない親切に本日2度目の感激だ。
親子連れで中山道歩きしている二人を先にやる。この先はひっきりなしにコミュニティバスの停留所が続く。屋根つきは当たり前だが、上深山口先に見事なわらぶきの箇所があり驚かされる。
左手に若宮八幡宮があり、今度は芭蕉句碑「あの雲は 稲妻を待つ たよりかな」をしっかりと確認する。
必要性が全く感られない地下横断歩道は無視して、車道を渡り旧道を進むと、和田宿の案内板が出てきてゴールは近い。
八幡神社を通過し、歴史の道資料館・河内屋に入り、本陣・黒曜石資料館と3館共通の観覧券・300円を購入した。
村谷が期待していた黒曜石資料館は詳しく説明がされ、大満足。本陣跡は見事に保存されていたが、大火で消失したにもかかわらず、和宮のために1861年幕府命令で再建され、7年後の維新で無用になり明治初期に隣町のお寺に一部を売却して借金を返済したという。
雪解け水が屋根から落ちていて、村谷の傘がやっと役に立った。
本亭旅館に早々と着いたので、荷物を置いて地元のやすらぎの湯まで散歩としゃれ込む。手足を伸ばして急速後、近くの酒屋で寝酒を忘れず購入し、旅館に戻る。
夕食はうわさ通りの豪華版。最初の蕎麦が大好評。歴史溢れる高札や、襖絵を鑑賞し、部屋に戻る。明日は楽なので再び宴会。遅めに休みました。。。
<4月18日(日)和田宿〜(バス)〜上田駅+上田城公園の桜見物>
高い天井と立派な襖絵の広間で朝食。そのままツマミにしてもよさそうなおかずだったが、流石の村谷もやや控えめ。
次回の和田峠越えに備えて、宿はずれの鍛冶足交差点にある一里塚まで、早朝に下見を済ませてきたのだったが…。
勘定を済ませ、次回の再訪を約して出発。
本亭旅館のまん前が、上和田のバス停で、豪勢な停留所がある。
8時32分発のコミュニティバスは、長久保バス停に9時ちょうどに到着、料金はわずか100円。しかも運転手さんのサイン入りの証明書を乗り継ぎのJR関東バスに出すと割引となって、9時52分に上田駅に850円で着いた。
早く家に帰っても仕方がない?奥さんが予定が狂って迷惑する清水・西・村谷の3人は、そうではない吉田と別れて、桜満開の上田城を目指す。
駅前のイトーヨーカ堂にて、地酒や弁当を買い込み、500m先の上田城公園への坂道を上っていくと、あちらこちらから家族連れが次々に出現。
徳川秀忠軍3万8千人を防いだという名城の堀は以外に広くなくて、桜見物のそぞろ歩きにはちょうどよい。
侍姿に扮したボランティアガイドが彼方此方にいて、桜の見所を教えてくれた。門前の広場には地元の名産物を売る店が鈴なりで、手ぶらでもよかったようだ。
折りよく一番高い土手の上のベンチがあいたので、店開きとする。思い思いのビールで乾杯。
次は地酒になる。今回の酒は水がよくて全て当たりだったと総括する。3つも買い込んだ弁当は、やっと寿司を平らげただけ。
今年の花見は行く先々で満開だったと、今日も肌寒い天候に感謝する。
外の駐車場にもお店が一杯開いていて、つい買い込んでしまう。
坂を下り、再び上田駅へ。土産を買い込み新幹線に乗車。
あっという間に大宮、東京。好天に恵まれた3日間に感謝し、再会を約して帰途につきました。
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