★2005年12月18日(日)「秩父34観音霊場巡り」最終回(結願)
※YSC秩父34観音霊場めぐり、2005年実行歴
★4月30日第1回(1番札所〜11番札所)、 ★5月28日第2回(12番〜23番)、 ★6月25日第3回(24番〜26番)、 ★7月30日第4回(25番〜28番)、 ★8月27日第5回−1 ★9月18日第5回ー2(29番〜30番)、 ★9月23日第6回(31番)、 ★9月23日・軟弱組、四阿屋山、 ★10月29日第7回(32番〜33番)、 ★10月29日・軟弱組、破風山〜札立峠、 ★12月18日第8回(34番、結願)
前途を祝す快晴の秩父鉄道・皆野駅に午前10時過ぎに集結したのは、八高線〜西武秩父線を乗り継いできた吉田・清水と、昨日の大霧山下山後そのまま上長瀞の旅館に前泊した村谷、の3人組。
いつもは静かな秩父の小駅は、偶々西武鉄道&秩父鉄道共催の遍路ウオーキングと重なった為、100人近くの中高年ハイカーで新宿駅南口改札状態だった。しかも、コースがわれらと同じ水抜バス停からと聴いたので、タクシーでお先に出発する。
前回、苦闘の末に勇気ある撤退をした破風山の旧道の登山口に到着したのは10時27分、だいぶ距離と時間を稼ぎ、文明の利器の威力を痛感する。
吉田、清水、村谷の順で、結構急な山裾沿いの坂道を、たっっぷりの落ち葉を掻き分けながら進んで行く。
我らの精進に天が配慮していただいたのか、風が全くなく、日差しがまぶしいほどの穏やかな初冬を満喫する。
雨乞いの為旅の僧の指示でお札を貼り付けたという札立峠に到着したが、まだ11時前だった。
ここからは左右共に「関東ふれあいの道」だが、直ぐには水潜寺には行かず、プラス10分の破風山山頂(627m)で昼食休憩とする。
名前の通り、風が空気を鋭く切り裂いているが、頂上は一転して穏やかな陽だまりだった。花の名所の蓑山から武甲山までが、くっきりと浮かび上がり、前回苦労した大日峠からの長い遍路道が懐かしく、われらに呼びかけているようだ。
記念撮影やら思い出話に興じつつ、コンロで湯を沸かし、思い思いのつまみで燗酒やビールを飲み、雑炊やカップめんを味わい40分もあっという間だった。登ってくる人が増えてきたので場所を譲り、再び札立峠に戻ったが、まだ12時前で後続の姿はない。
ここからは、北側の薄暗い山道だが、時間が早く、アルコールもセーブしたため、落ち葉に隠れた岩にも躓かず、慎重にロープをつかみながら、34番札所・水潜寺にゴールイン。
後がない一抹の寂しさと、突然の雷やぎらぎらした強い日差しなど7日間に亘る諸兄との思い出が蘇った。 おなじみの小僧さんを囲んで記念撮影したあと、境内の足型に靴を重ねて、満願達成の喜びに浸った。
締めは 秩父温泉 “満願の湯” と決めていたので、残ったつまみや酒を一杯ぶら下げて、バス通りを一目散。3時間800円の利用料金を支払い、早速露天風呂に直行する。対岸の滝の流れとつるつるした湯がすっかり疲れを拭ってくれたので、2階の広間でまず、生ビール。さらに秩父錦。
順調にボックス席が確保できた快速急行でも地酒や焼酎などいつもの通りの打上げを行い、次回の構想を楽しく話しているうちに、東飯能で東西に別れた。
道中でご一緒した、滝澤、田幸、山岡、池田、高瀬の諸兄にも感謝申し上げますとともに、次回以降の山(散)歩へのご参加をお待ちしております。(村谷 記)
吉田兄の本日の作品を発表します(*^_^*)
「秩父路の 四季を歩て 結願す」
「友ありて 路・山・酒・湯・満願行」
村谷兄の本日の作品を発表します(*^_^*)
●好天に恵まれました。
「ご利益は 盆地も味方 また感謝」
●訪れる人の多さに驚きました。
「悩み持ち 遍路姿に 素顔見る」
●終わってみれば一寸淋しい。
「雷も 暑さ寒さも また恋し」
●打上げが最大の楽しみでした。
「スパと酒 つまみで反省 繰り返し」
清水兄の本日の作品を発表します(*^_^*)
◆思えば4月30日から秩父札所巡りをスタートして、5/28,6/25,7/30,9/18,9/23,10/19,そして12月18日にめでたく34ヶ寺を回り終えました。
先ずは、同行の吉田さん、村谷さんの友情に乾杯!
そして途中何度かご一緒頂いた田幸さん、滝沢さん、山岡さん、池田、高瀬さんに感謝!
「成就した 34ヶ寺 友の情」
「満願を 成した我らに 幸来たれ」
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◆ 秩父札所めぐり …“800字程度で記述”の制約を与えられて作成しました。清水…
仲間数人と毎土曜日に山歩きをしている。そのうち月1回はテーマものということで、旧東海道歩きをし、三島宿でひとまず中断した。次はということで選んだのが「秩父札所めぐり」である。特に信心もないので納経はせずに、いわばゴルフのピンフラッグを目指すごとく寺を目標に歩こうという訳である。
一番札所「四萬部寺」をスタートしたのは4月30日、二番真福寺までは山道をあえぎながら到着。後はピッチを上げて回る。特に印象的なのは四番金昌寺で、石仏が1,300体もあり、赤ん坊に豊かな乳房を出して乳を吸わせている子育て観音に出会った。江戸時代にこれほど大胆な構図のものを作ったのには驚かされる。さらに「紀州様奥女中御祈祷」と刻まれた石仏を発見し、当時の大奥の様子をあれこれ詮索する。市内ということもあり夕刻には十一番常楽寺に着く。この間、出会った子供に「ご苦労様!」と声を掛けられたのは何とも心地よい。
第2回目(5月28日)も順調で十二番から二十三番まで終了。この調子だとあと二回もあれば回り終えると思ったのが大間違い。これからが大変だった。江戸時代に優れた旅行業者がいたとみえ、マーケット戦略上、一番から二十三番までは市内の寺を指定したものらしい。二十三番まで回れば三十四番の満願成就に誰もがチャレンジすると踏んだのだろう。それに秩父を選んだのもなかなかのものだ。というのは江戸幕府の政策では「入鉄砲出女」を制限するため各地に関所が設けられていたが、江戸から秩父までには関所がない。そこに目を付け「誰でも行けますよ、有難い観音さまに会えば極楽ですよ」と宣伝したのだろう。多くの江戸庶民が秩父への旅を楽しみにしていたようだ。
さて、我々はこの後、6月25日、7月30日、9月18日、9月23日、10月29日、そして第8回の12月18日に三十四番水潜寺でめでたく満願、そばにある「満願の湯」に浸り、雷や雨で中断したときのことや次の寺まで20キロも歩いたことを思い出したりして、美味いビールを飲み、約百キロの行程を終えたのである。
「満願を 成した我らに 幸来たれ」(清水 記)
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