★2018年2月27日(火)「三浦海岸の河津桜鑑賞」
快晴微風の京浜急行久里浜線・三浦海岸駅改札前、鮮やかに咲き誇る河津さくらの木の下に滝澤・野呂・田幸・山岡・清水・村谷・山内の7人が集合した。
「三浦海岸駅」の駅名看板が青空に映える桜花と菜の花になった。
昨日満開宣言が出された本場・伊豆の河津よりもやや北側にあるので九分咲きの状態だが、花も人も?成熟直前の方が風情があり、見ごろだと一同感服した。
YSCでは平日恒例の当地のさくら鑑賞散歩の中でも最大限の人出だが、相変わらず参加者の9割以上は70歳以上と推定する。
まずは、駅の南側にあり、現在は南下浦市民センターの一角に残る海防陣屋跡に訪れる。
ペルリの黒船来航に象徴される欧米列強の日本進出に危機感を抱いた江戸幕府の大老・井伊直弼が弘化4年(1847)にまずは自らの彦根藩、その後は長州・熊本・佐賀の三藩の武士に命じて、三浦半島の防衛のために3,000人以上の武士を駐在させた場所だ。
中には若き桂小五郎や伊藤博文も含まれていたという。中央に平らに広がり咲く河津さくらをバックに記念撮影。
春一番前ながら春を感じさせる生暖かい南風に誘われて、三浦海岸に出る。
左手には東京電力の久里浜発電所の巨大煙突が、真正面にはやや霞んでいるが夫々たびたび訪れている房総半島が、手招きしているほどの近さに見えている。
ため池のように平坦な波しかないからか、いや平日とあって週末名物のサーファーは皆無だった。
海砂を踏みしめて南へ進み、海岸線沿いの尻こすり通り(215号線)を横断し、134号線に出る道を探すが、お目当ての小ヶ池方面に向かう交差点を探すがなかなか見つからない。
折よく、右手にある十劫寺(囲碁が趣味の山岡・村谷は親しみやすい名前だが)で行われていた告別式から出棺する車の案内をしていた黒服姿の若者を見つけたので、村谷が話しかけて近道を教えていただく。
これも一昨日、津田沼の斎場での囲碁仲間の故 横山(公)兄の告別式に参列したご縁かもしれない。老人グループの一団の散歩とみて?「急な坂道が続きますが・・・」とのご配慮に感謝しつつ、一同元気にゆるやかな坂道を登り切って、134号線に出るとおなじみの風景が出現してやれやれ。
内込の交差点で右折し、三浦大根とキャベツ畑の間の道を北上する。昨年は、余ったキャベツが道端に捨ててあったが、今年は全く見当たらない。
京浜急行線に並行して一段高い場所を通過する道路を南下し、線路沿いの道の上にある、臨時駐車場に到着した。蕪のように太いものから近所の八百屋さんにもある定番までの様々なサイズの三浦大根が売られている。
聞こえてくる言葉の半分以上が中国語だとは、先週いっぱいニセコスキー場にいた山内の言。
線路際の歩道に降り立ち、駅から直行してきた人たちと押し合いへし合いしながら、河津さくらと菜の花が重なった花壇を鑑賞する。やはり、出色のカメラポイントだ。
12時少し前に、小松が池公園のトイレ横の休憩スポットに到着。
幸い奥のやや斜面になったところにまだ空きがあったので山内&村谷が走って行ってシートを広げた。
日本各地で調達してきたつまみをずらりと並べて乾杯、お互いに今日も生き残ってお酒が飲めることに感謝する。
頭上にはメジロの群れが河津桜の花の蜜を求めて周遊中。
滝澤手練のヌル燗を飲みつくしてお開きとして、小松ヶ池の池畔に入る。定番のカワセミスポットには、観察者が誰もいなかった。
畑沿いの坂道を折り返して、右手のまだ新しい出口から園外に出る。
京急線をまたぎ超える鉄橋の上には、平日にも関わらず若者主体の鉄道マニアが、1時間に6本の京急電車と河津さくらのコラボ待ちでいっぱい。金網越しにデジカメを構えた村谷が咳をすると注意されるほどだった。
赤い電車と桜花とのコラボ写真は山内のカメラが捉えたが、そのあとピンクの花を背景に青い電車が走って行った。
線路沿いに三浦海岸駅方面に折り返すが、まだまだ逆行する人の流れが絶えない。
所要があり直帰する山内と別れて、裏道を通って回転寿司「海鮮」に入ったのが午後1時25分。
予想通りの大行列だったが、6人組が少なかったためか20分ほどでボックスシートを確保できた。
滝澤&山岡が仕切り、この時期限定の「時間制限1時間」ながら、好みのつまみと握りをビール&冷酒で堪能して打ち上げました。(村谷 記)
このページのトップへ戻る
コース
京急久里浜線・三浦海岸駅〜海防陣屋跡〜しりこすり通り〜内込交差点を右折〜臨時駐車場〜小松ケ池公園〜京急線に沿って戻る〜三浦海岸駅
<歩行距離:4km±α、歩行時間:1時間30分±α>
前のページへ 次のページへ