たび

<第1回昭和新撰江戸三十三番観音霊場巡拝(1番浅草寺〜7番心城院)2017年11月3日(金・祝)>

 村谷は7月から9月にかけて巡拝した新四国南葛88ヶ所めぐりに続いて今日から昭和新撰江戸三十三番観音霊場めぐりを開始した。

 今雨上がりの快晴となった連休初日の都営浅草線・
浅草駅に大勢の参拝客と共に降り立ったのは11時を回っていた。
仲見世に通じる狭い路地では、浴衣姿のギャルたちが沢山散歩中。いつもと違い、聞こえてくるのは日本語ばかりだ。

 人込みを避けるために少し遠回りして、神谷バーに沿って馬道通りを北上、辨天山児童公園横から浅草寺境内に入った。
ちょうど仲見世通りでは、七五三祝いの着飾った行列(女児が白い白鳥姿・男児が衣冠束帯)が本堂に向かって進んでいたので、写真を撮る人垣でいっぱいだった。

 人込みをかき分けて何とか、1番札所・金竜山浅草寺で参拝を終えて退出する(今回は納経帳は使わない)。

 日差しを極力避けて、花やしき通り〜ウイング横を抜け、国際通りを公園六区入口交差点で横断し、かっぱ橋本通りに入るとようやく人出が少なくなった。

 合羽橋交差点のすぐ南わきに2番札所・清水寺があった。何度もこの付近を行き来しているが、初めての参拝。
コンクリート造りの近代的な建物だが、大きく「第2番札所」と表示されている(浅草寺では見当たらなかった)。
 お参りに向かう階段横で、納経帳を小脇に抱えた同好の士?小生よりも信仰心が篤い?同年配の男性が下りてくるのととすれ違った。

 そのまま上野方面に西進する。後ろを振り返ると青空にスカイツリーがすっきり。この付近からが最も景観が良いといわれている。
上野学園キャンパス横から、お馴染みの両大師橋を渡り、寛永寺輪王伝殿前を通過して上野公園に入る。
 ここも大変な人出だが、日陰の草むらを探して南下する。

 いつもと反対の北側の参道から6番札所・清水観音堂に参拝する。ちょうど寛永寺の12時の鐘が聴こえてきた。

 不忍池に降り立って南下、西進し、南西の端から園外に出て、池之端1丁目交差点を横断して天神下交差点で春日通りを横断、おりしも菊祭りを開催中の湯島天満宮方面に向かう。

 男坂を降り立ったすぐ下に、7番札所・湯島聖天・心城院がひっそりと佇んでいた。ここも通過していて初参拝。外人観光客数名が、住職さんから寺の由来を聞き、日本語に堪能な一人が英語で説明中。

 邪魔にならないように参拝を済ませてから、階段を上がり湯島天神に入るとここもまた七五三祝いを含む大勢の参拝客だ。
参道には長い行列ができていたので横からお参りして済ませ、菊祭りの会場に行くと何台ものテレビカメラが稼働中。チビッコタレントの鈴木福&渡邊このみコンビが学問の神様の法被姿で各社のインタビューを受けていた。なかなか見事な受け答えぶりに感心して立ち止まってしまう。

 裏側の階段から春日通に降り立つと、昼食時で沿道の店はいずれも外人中心の行列ができている。
この先は長く、何度も歩いている場所が多いので、電車に乗り、
上野御徒町駅⇒蔵前駅⇒人形町駅へと電車でショートカットした。

 人形町交差点から少し南下し3番札所・大観音寺に入る。信心深そうな中年夫婦がお参りしていて、下町らしさを感じた。

 人形町通りを西北に向かう。

 小伝馬町交差点で江戸通りを横断するとすぐ左手に、5番札所・大安楽寺。弘法大師ゆかりのお寺として何度も参拝しているが、観音霊場になっていたのは意識になかった。

 十思公園には立ち寄らず江戸通りを北上し、浅草橋交差点で靖国通りを東進、両国橋を渡った。橋の上から見るスカイツリーは絶景だった。

 本日最後の巡拝先・4番札所・回向院の本堂で参拝を終えたのは午後1時50分だった。

 JR総武線・
両国駅に向かい、昨年開設した両国ー江戸NORENにある大正7年創業の老舗の姉妹店・「天ぷら食堂ひさご」に入ると午後2時とあってすぐ着席できました。

 一番人気のひさご天丼(1,000円)は、熱々のエビ・キス・なす・ブロッコリー・かき揚げが、休憩なし・水分補給なし・空腹が効いて?誠に美味でした。

  次回は、山手線内北側部分を巡拝する予定です。


<第2回昭和新撰江戸三十三番観音霊場巡拝(8番清林寺から14番金乗院)2017年11月7日(火)>

 村谷は夕刻の飲み会までの時間を利用して、巡拝しました。
本日は立冬とのことでしたが、穏やかな天候に恵まれました。

 午後1時過ぎに、都営三田線・
白山駅に降り立った。
本日訪問予定の7ヵ寺うち4ヶ所が放射状に展開しているためだ。
 先ずはやや北上して、本郷通りと交差する
向ヶ丘2丁目交差点に出る。8番から11番までの4ヶ所の観音霊場は、ちょうどこの交差点の東、西、南、北の4方面に位置している。

 前回と異なり本日は札所の順番通りに歩くと決めて、東側の8番札所・清林寺に行く。小ぶりで静かなお寺だった。

 交差点まで戻ってから本郷通りを北上する。かつて、吉田・清水・西の諸兄とこの道を振り出しに京都までの旧中山道歩きを思い出す。

  ⇒吉田兄の『「中山道」を歩く』のページへ

  ⇒村谷の高崎宿から先の「中山道」のページへ

 東京メトロ南北線・
本駒込駅のすぐ先にある9番札所・定泉寺に参拝した。

 そのまま本郷通りを南下し、左手に広大な敷地を有する10番札所・浄心寺に立ち寄る。各種の事業を手広く行っているように見受けられた。

 白山1丁目交差点を渡り、少し先の横道を西進し、急坂を下りて右折して住宅街の真ん中にある
11番札所・圓城寺に到着した。
八百屋お七の墓が本堂すぐ左手に設置されているのが目立つ。火付けした罪人ながら、悲恋のヒロインだったのかもしれない。

 これまでの4つの札所はすべて初めての参拝だったが、これから先の3ヶ所はYSC散歩で訪問済みのお寺だ。

 旧白山通りを経由して白山通りを南下する。
白山2丁目交差点を通過し、右手の善行寺坂を上り返すと、下校途中の小学生とすれ違う。

 右手の正面に大きな葵の御紋が目立つ12番札所・伝通院に入る。これまたは薄幸の千姫の墓があるお寺として知られている。
境内にあった1本の真っ赤なモミジがちょうど見ごろだった。

 参道を南下して春日通りに出る。このまま飯田橋方面に出て16番・安養寺経由で15番・放生寺を経由する近道コースもあるが、本日は順打ちと決めていたので春日通りを西北に進む。

 東京メトロ丸の内線・
茗荷谷駅前を通過する。

 左右には跡見学園や窪町小学校、お茶の水女子大など学校が多い場所だ。

 大塚3丁目交差点で不忍通りを左折する。右手に広大な13番札所・護国寺の正門があった。
昨日のお通夜には数々の弔問客が訪れたと報道された故・篠沢秀夫教授の告別式が午後3時までの予定で行われていたが、午後2時半を経過していたためか境内はがらんとしていた。

 さらに不忍通りを西進する。目白通りとの交差点で日本女子大学から目白駅まで歩くと思われるギャルたちとお別れして、酒屋さんの横の急坂を下り、2本目の交差点を右折する。
 目指す14番札所・金乗院は、江戸の五色不動の一つの目白不動尊で、YSC散歩などでも訪問済み。誰もいない境内で、本堂と不動様を参拝し、最後に弘法大師像に本日の無事のお礼を申し上げたのは午後3時15分、約2時間強の駆け足巡拝でした。

 明治通りに出るとすぐ先に
学習院下のバス停があり、1分と待たずに渋谷駅行きのバスが到着、伊勢丹前バス停で下車したのが15時30分とこれもまた順調でした。

 次回は、旧西早稲田クラブの坂下にある15番・放生寺から神楽坂の16番・安養寺を訪ねたのち、方南町方面の17番・宝福寺、18番真成院から19番・東円寺へと巡拝します。


<第3回昭和新撰江戸三十三番観音霊場巡拝(15番放生寺から19番東円寺)2017年11月9日(木)>

 村谷は好天気でふと思い立ち、比較的短時間で回れるコースのため午後3時に新宿着を目途にしてでかけてみました。
都営大江戸線・
牛込神楽坂駅に着いたのが11時30分。

 地上に出て大久保通りを東進し、神楽坂通りとの交差点・神楽坂上の直ぐ脇にある16番札所・安養寺からスタートした。

 続いて昼食に出てきたサラリーマン&サラリーウーマンの皆さんとすれ違いつつ、東京メトロ・東西線の進路とほぼ同じに神楽坂通りを北上し、牛込天神町交差点から早稲田通りを西進する。

 忙しそうに店を探す大勢の早稲田大学の学生さんたちと前後しながら、馬場下町交差点を横断し、穴八幡宮に隣接する15番札所・放生寺に入った。今春閉鎖された旧西早稲田クラブでの会合の帰りには必ず、参拝したことを思い出す。
 いつもは夜間の参拝だったが、昼間の景色は随分違う。観音堂の前では先着した老婦人が熱心に祈っていた。

 続いて工事中の早稲田大学文学部前から東京メトロ東西線・
早稲田駅の2番出口先を右折し夏目坂通りを登る。日差しが強いのでサングラスを装着した。
大久保通りに突き当たり左折、都営地下鉄・大江戸線が下を走る道、下り坂で歩きやすい。

 すり鉢の底に当たる地形の
牛込柳町交差点から拡幅工事中の外苑東通りに入り南下する。
曙橋手前を左折、合羽坂を下り靖国通りに出る。

 合羽坂下交差点を渡り、津の守坂通りを登り、新宿通りを横断してから寺町をくねくねと移動、18番札所・四谷霊廟真成院に到着した。名前の通り立派なコンクリート造りの建物だが、観音様への参拝は事務所の許可が必要だった。

 午後1時に
四ツ谷駅に到着。中野区の2ケ寺はいずれも方南町駅から近いため、東京メトロ・丸の内線に乗車した。
方南町駅東口改札から地上に上がり、方南通りの一本南の坂道を下り神田川を横断すると、前方に大きな樹々が見えてきた。

 17番札所・宝福寺は、銀杏並木の長い参道の先に本堂があった。本堂の右の一角に観音霊場専用の参拝場所が設けられていた。

 いったん方南通りに出て西進し、弥生町6丁目交差点から住宅街を北上し善福寺川を横断し、隣接する立正佼成会普門館にも引けを取らない広い敷地の19番札所・東円寺の参拝を終えたのがちょうど午後2時だった。

 
方南町駅傍のサイゼリヤに入店し、キノコとハンバーグ・ミニフィセル・サラダ・スープのランチを注文し、白ワイン・デカンタと共に遅めの昼食を摂りました。
普段は1日2食主義で昼食抜きの食生活を送っていますが、何度も坂道を上り下りしましたので、大変おいしく食べることができました。

 残るは14ケ寺+番外1の15ヶ所ですが、23番・大円寺(文京区向丘にあるが、事情があり最終回に参拝します)、城南に集中していますので、順路を再検討し回る予定です。


<第4回昭和新撰江戸三十三番観音霊場巡拝(20番天徳寺〜28番金地院)2017年11月19日(日)>

 村谷は好天に誘われて、港区内の観音霊場巡りに出発する。

 午後1時過ぎには都営大江戸線・
青山1丁目駅に着いた。

 ホンダビル横から青山通りを西進する。

 まだ半分近くが青みが残るいちょう並木の前では、写真を撮るための行列で大渋滞。お巡りさんが数人がかりで誘導中。

 東京メトロ銀座線・
外苑前駅のすぐ先に、高層ビル化された24番札所・梅窓院がある。参道の両側が桜並木になっており、老夫婦が記念撮影していた。

 参拝を済ませて裏通りから外苑西通りに出て、青山霊園に沿って南下し、青山陸橋で右折する。

 続く22番札所・長谷寺は根津美術館と背中合わせのはずと、番地を頼りに狭い道を左右に歩きやっと門前に到着した。
永平寺東京別院の名にふさわしく堂々たる建物が立ち並ぶ。

 参道を南下し、高樹町交差点で六本木通りに出て坂道を東進する。外国人らしい若者たちが大勢行き交う。
本木交差点で外苑東通りに右折し、飯倉片町交差点から横に入り、スウエーデン大使館とスペイン大使館の前を通過、ホテルオークラ別館手前の坂道を下り、桜田通りを横断し、20番札所・天徳寺に参拝した。
 ひっそりした禅寺で、前の2寺とは対照的な落ち着いた雰囲気だたので、持参のお茶で甘いものを補給する。

 裏通りを抜けて東京タワーの真ん前にある28番札所・金地院に入った。ちょうど奥で休憩中の大工さんにお茶とお菓子を運ぶご住職の若奥様と目が合ったので会釈すると、にっこり微笑み返してくださる。

 東京プリンスホテル横から、21番札所・増上寺に入ると外国人観光客中心に混みあっていた。

 参拝を済ませ日比谷通りに出て三田駅方面に下り、NEC本社ビルを半周して桜田通りを慶応義塾大先に三田三丁目交差点で横断し、先月に吉田・野呂・清水の諸兄と歩いた旧中原街道だった聖坂を上る。尾根道になっていて両側がよく見渡せる。

 左手にあった26番札所・済海寺に参拝した。建物の一部が信者用の会館や駐車場に活用されていた。

 さらに進み中原街道と別れて魚藍坂を下った右手に古風な佇まいの25番札所・魚藍寺があった。

 再び坂を上り返し、今度は街道の左手にある伊皿子坂を下る。

 左手にすっかり近代的な建物になった27番札所・道往寺があり、厳重な賽銭箱に本日最後のお賽銭を投じてお参りを済ませました。

 時刻は午後4時を過ぎていて、風も出てきたので29番札所・高野山別院以下は次回にして、都営浅草線・
泉岳寺駅から帰宅しました。



<第5回昭和新撰江戸三十三番観音霊場巡拝(29番〜33番+番外+23番)2017年11月25日(土)>

 快晴に誘われて、村谷は軽めの昼食を済ませ電車に乗り、午後1時半に都営三田線・東京メトロ南北線・
白金高輪駅から出発する。
まずはR1号線=桜田通りを南下する。日差しが真正面から照り付けるので帽子を深くかぶりなおす。

 レンガ造りが中心の重厚な建物が立ち並ぶ明治学院大学前交差点を左折して坂を上るとすぐ先に、先々月に吉田・野呂・清水の諸兄と望楼に登った高輪消防署が青空にくっきりと聳えていた。

 尾根道になっている旧中原街道を横断し、すぐ右手にある29番・高野山東京別院に参拝する。遍照院に入り、大きく弘法大師のお名前が掲げられている像の前で深々と頭を下げる。

 今からちょうど10年前の2007年11月末に四国遍路を無事に結願し、滝澤・清水両兄と共に、11月28日に高野山の成就院を手配いただき満願祝いの宿泊をしたことを思い出す。

 広々した東京別院境内の少し前にに、リュックを姿で熱心に参拝している40代と思しき女性がいたが、追い抜いて桂坂を下り、R15=第一京浜に降り立った。

 旧東海道歩きを日本橋からスタートさせてこの付近を吉田・滝澤・清水の諸兄とこの付近を通過したのが2004年の6月20日だから、すでに13年前のことだ。

 
品川駅前は当時はほとんど見かけなかった外人観光客でごった返していて、言葉が通じない人込みをかき分けてようやく西に進むことができた。
 左手の線路沿いの高架下には、ラーメン店がずらりと並んでいて、午後2時なのにどこの店もお客が入っている。
八山橋を渡り、旧東海道に入るとようやく静かになった。

 地図を片手にお寺巡りをする老齢男女グループとたまにすれ違いながら、30番札所・一心寺に入った。清掃を済ませたばかりのご住職から「ご苦労様です。御朱印を押しましょうか?」とのお尋ねを受けて、「本日は御朱印帳を持参しておりませんので」と丁重にご辞退して退出した。

 目黒川を横断し先に進む。青物横丁駅に続く交差点を横断し、右手の31番札所・品川寺に入る。江戸六地蔵第一番の地蔵菩薩像の前には二組の先客がいた。

 その先にある番外札所・海雲寺に参拝を済ませて、青物横丁駅に向かうが、右手の人だかりがしている魚富士に立ち寄ってしまった。
土曜日恒例の半額セール中で、ついつい行列に並んで夕食のつまみにぴったりなワラサの半身2枚=350円を購入してしまった。

 
青物横丁駅から電車に乗って、品川・渋谷経由で三軒茶屋駅で下車した。

 なお、33番札所・目黒不動瀧泉寺今週火曜日のYSC散歩で立ち寄ったので省略した。

 若者たちでごった返す三軒茶屋の南側の商店街を抜けて、野沢通りを横断し、32番札所・観音寺に参拝した。四国の69番札所と同じ名前だ。
 静謐な境内を抜けて本日最後の札所に向かう。

 
三軒茶屋・渋谷・目黒の各駅を経て、都営三田線・白山駅で下車した。今回の第2回目の巡拝の出発駅だが、村谷にとっては縁のあるお寺なので、結願寺としたもの。
 日が落ちてすっかり暗くなった旧白山通りに出てすぐ南に、23番札所・大円寺があった。八百屋お七所縁の焙烙地蔵があることでも知られた古刹。
 村谷が勤務した旧安田生命の営業職員で、担当していた東京消防庁に心身を捧げた故・今仁マキ様のお墓がある。また、直ぐそばには、 村谷の囲碁友達の一人だった故・黒田顧問のご自宅があった。
本堂の前でお二人のご冥福を祈っていたら、なかからご住職が檀家さんたちに向かって法話をされている力強いお声が聞こえてきた。

 午後5時を過ぎていたので、故・今仁様のお墓参りは後日改めることとして門外に出て、帰途につきました。

 次回からは、御府内八十八か所を巡る予定です。

                このページのトップに戻る

                       前のページへ  次のページへ
.

.
.
.
.

★2017年11月3日開始の「昭和新撰江戸三十三番観音霊場めぐり」

   …寺社の案内は、その道に詳しい「猫の足あと」さんのページにリンクさせていただきます。

ホームへ