★第2回遍路、初日: 2007年7月 9日(月)
今日から、村谷は後半の前半、伊予の国を歩く。
本日より、昨年9月に高知県までで中断していた八十八カ所巡礼を再開、2週間の予定で、羽田発9時5分の高知竜馬空港行きにチェックイン、南国風ギャルから、遍路棒ですね、お気を付けてとの励ましをいただく。
高知駅、11時23分発、特急・南風号で窪川駅へ。
土佐くろしお鉄道に乗り換え、中村駅経由宿毛市・平田駅下車、三十九番・延光寺に参拝して、午後3時、 民宿・嶋屋 に投宿しました。
なお、土佐くろしお鉄道の起点、窪川駅からは、女車掌、中村駅ではキャラクターのイベントで浴衣姿のミス四万十から内輪をプレゼントされるなど、若い女性に恵まれた一日でした。
本日の歩行距離は、3km、明日は28kmです。
午後4時半に夕食の案内があり、早々と済ませました。
まかない担当のお嫁さんが、時計を一時間間違えたそうで、お陰で一杯の予定の晩酌が、倍になってしまいました。
★第一回から、通算で第22日目、以降、同じ: 2007年7月10日(火)
午前6時半、曇り空の宿毛市 『嶋屋』 を出発。
同宿のほとんど『野宿』氏は、久々の布団とあってか、まだ寝ていた。
国道56号線に迎う途中で、別の『野宿』遍路に会い、朝の挨拶。このかたのほうが年季が入っている。
今日は彼しか遍路に会わなかったのも、梅雨の所為だろう。
本日の衣裳は、下を半ズボンにしてみたが、涼しくて快適だったので、東京でも試してみたい。
靴を通常サイズ+2cmのにして、敷皮を3枚重ねにしたのも、足に優しく、効果ありだ。
予報が良くないので、松尾峠も札掛越えも回避し、ひたすら国道歩きに撤した。相変わらず高速並みのスピードは、四国に共通の通勤スタイルのようだ。
昼食は、お目当てのラーメン屋が、到着時間が早くて開いていなかったので、一本松温泉そばのスーパーで稲荷寿司5個、フルーツゼリー、バニラアイス、サイダーの組み合わせだ。
タオルと靴下も取り替えて、御輿を上げる。
その後も何とか雨雲に捕まらず、午後1時ちょうどに四十番札所・観自在寺に到着。お接待は、バンドエイド入のティッシュでした。
夕食については、昨日も本日も、前回感じたと同様、品数が多い。
今夜の宿 『御荘』 は、味噌汁込みで10品、やっとのことで平らげた。
この他に晩酌を付けので、なかなか痩せられない。
また、ご飯は、お櫃にたっぷりなのも、米どころに共通でした。
明日は、札所がないので海岸沿いの56号線に沿った雨空散歩にしよう。
★第23日: 2007年7月11日(水)
愛媛県は全域大雨注意報が出ている中、朝ご飯を3杯たいらげて、7時すぎに愛南町『 御荘』を出発。
下半身をゴアのズボンで固め、上は笠が頼りだ。
集団登校の小学生と朝の挨拶を交わしながら進む。どのグループにも、必ず列を離れる子が1名いるのがおもしろい。
本日は休憩所が多かったが、同好の志にも4名遭遇する。中国人らしい若者、ベテランの日本人青年、アラブ系男性と日本女性とのカップルだ。
ペースの違いか、その後は会わなかった。
雨のため昨日よりペースダウンしたつもりだったが、9時すぎには内海の尾根越えの巡礼道との分岐に到着。
眺望が期待できないので引き続き国道を進む。
900mの歩行者専用のトンネルを抜けて、海岸を行く。
10時、内海中学校前バス停で休憩。
闘牛大会のボスターが残っていた。
お大師さまのご加護か、雨がだんだん小止みになり、鳥越隧道前の休憩所で晴れ姿に戻してくれた。
湾内に、ひおうぎ貝の養殖いかだが整然と並んでいる。
11時過ぎ、唯一の売店であるエーコープへ。、おにぎりがなく、菓子パン数個を購入、嵐坂隧道を越えた先の立派な公園で休憩。
パンくずをやると、アヒルが寄ってきた。
後は、川沿いの遍路道を淡々と行き、午後2時前に 三好旅館 にゴールイン。
季節柄か、どの宿に着いても、部屋の湿っぽさは避けられません。
従って、安眠のためには、虫除け対策を講ずることが必至です。
初日は蚊取線香、昨夜は電子蚊取をしましたが、それでは不十分で、全身に虫除けジェルを塗りまくっています。
それでも昨夜はなかなか寝付かれず、松尾芭蕉が福島の飯坂温泉あたりで苦労したという、奥の細道のくだりを思い出しました。
もっとも、田幸兄のご忠告では、アルコールさえ断てば、虫など寄ってこないし、減量もできる、とのことですが、それなしでは寝付けません。
ただ今、豪華な夕食を、料亭を兼ねている別館の広い部屋を独占して済ませてきました。
昨日にもまして豪華版で、鰻蒲焼き、鮪、ハマチ、甘海老の刺身、伊勢海老のマヨネーズ焼き、カニと海老とホタテの酢の物、など。
目玉は、鱶を湯がいて辛子みそで食す当地の名物でした。
昼が菓子パンでしたので、鰻茶漬けで締めた次第です。
今夜も、虫除けジェルを万遍無く塗りこみました。
★第24日: 2007年7月12日(木)
幸先がよい。明け方の雨が上がったので、短パンで7時に出発。
ここ、宇和島市津島町岩松は、軽妙な筆致で大衆的な人気をもつ獅子文六の「てんやわんや」の舞台の街で、古い家並みがそこかしこに残り、 三好旅館 も130年の歴史があるそうだ。
そういえば、女将さんも仲居さんも、陽気でにぎやかだった。
今日も前半は国道56号線と道行きと洒落こむ。
できれば1,710mの松尾トンネルは回避したかったが、早朝も雨が降ったため、女将のアドバイスにしたがったのだ。
トンネルを出ても、変わらず曇り空とは縁起がよい。
宇和島の市街地に近づくにつれて、9時開店の量販店の店員が駐車場の清掃に忙しい。それでも、“おはようございます”と声をかけてくるのが、都会とは違う。
いつの間に、日差しが出てきた。
馬目木大師は住宅の間にひっそりと建っていた。
対照的に、四十一番札所・龍光寺は駅そばの広大な敷地に百十段もの階段を有する寺院だ。
ここで、外人コンビに再会、よくみると、欧州系と中国系だった。
このまま進むと、早く着きすぎるので、バスセンターで靴下交換休憩を取り、宇和島駅はずれのラーメン屋で具の少ない醤油ラーメンを食べて時間調整したが、早々と午後1時50分に、 民宿・稲荷 にゴールイン。
やむなく、本日のレポート作成と冷たいビールで時間を潰している。
窓を開け放つと冷房不要の涼風が吹き抜ける。
宿帳を見ると、今夜も品数が多いようで大変なようです。
予想した通り、全十二皿の豪華夕食で果物と甘い物を残して何とか完食。
今夜は蚊取線香とクーラーで安眠できそうです。
★第25日: 2007年7月13日(金)
今日は、今回の最長コースを天候に恵まれてつつがなく終了できました。
二つの峠越えを含めて約40kmもあり、朝飯を3杯食べ、しとしとと雨が降っている中、朝7時に出発。
7時半に四十二番・ 仏木寺に参拝し、9時の時報とともに空が明るくなり、以後は雨具いらずのコンディションが最後まで続いた。
11時に四十三番・明石寺を参拝、先行の組に追い付きました。
昼は西予市内の中華屋で大盛り焼そばとギョーザ8個、峠の手前で昨夜食べ残した大福などを食べて活を入れた。
その後はひたすら国道と県道を進んだのが、結果的に正解だったようです。
まさに、本日も、お大師さまにかんしゃ、感謝.
夕刻4時半に ときわ旅館 に辿り着き、入浴を済ませ、5時半に食事の案内があり、京都出身の男性と盛り上がりました。
明日は午後から台風4号が四国直撃の予報ですので、早めに次の宿に移動します。
幸い本日頑張ったお陰で、明日はなだらかな道で26kmしかないので、午後1時にはゴールインできると思います。
明後日は台風は四国から去ってしまう、という予報のようですが、万一、居座るようでしたら、山間部の四十四番・大宝寺と四十五番・岩屋寺は改めて挑戦することとして、松山方面に転進する予定です。
★第26日: 2007年7月14日(土)
台風の本土縦断の可能性が出てきたので、当初予定していた四十四番・四十五番札所は高地にあり、下山できなくなる可能性ありと判断して、急遽、松山市へ移動することとした。
伊予大洲駅に7時に着いたが、既に松山方面へのJR線は運休になっていたが、8時12分発の道後温泉ゆき急行バスは運行するとのことで乗車、9時15分に伊予鉄道・松山市駅に辿り着き、ほっとする。
バスの出発間際に、大洲市の広報が、今後の降雨に備えて、上流のダムから放水するという放送を流していた。
松山市に着いてすぐに、JR・松山駅そばの ホテル松 山ヒルズ を確保、チェックインし、荷物を預けて、三十年ぶりに市内を歩いたが、台風接近近しの雰囲気は感じられなかった。
総合コミニュティセンターに併設の中央図書館で、久しぶりに全国紙を読む。
中高年男性が群がるのは、何処も同じだが、日経新聞を長々と離さない人は見当たらない。
ついでに隣の食堂で、一番人気の日替わり定食・630円を注文。
たっぷりのロースカツ、大盛りライス、ルーも不足なく、サラダと味噌汁までついていた。
カロリーを消化すべく、まずは松山市駅ビルにもなっている高島屋へ。
足場が良いためか、混んでいる。
駅前で、戦前から走っている機関車と一両だけの、道後温泉行き汽車=坊ちゃん列車=を撮影。
信号を渡り、高いアーケードが特徴の銀天街に。
土曜、日曜恒例の夜祭りがもう店開きだ。
生きた昆虫やヒヨコが売られていて、子供たちが集まっている。
浴衣姿のギャルの人気は、100円の氷り水だ。
突き当たりを直角に左折すると、同じく広いアーケード街になり、大街道という。
出口に三越があり、通りを渡ると松山城に続いている。
家族連れや若者たちが闊歩していた。
まだ、歩き足りない村谷は、さらに道後温泉方面に進む。
一番町付近で、県産の銘酒が一杯100円で飲める店を見つけたか、台風のため、臨時休業だった。
勝山町の交差点を左折すると、菓子屋が目立つ。
昭和の初めに、倉敷の労働科学研究所が、中国の「まんとう」を改良したという“労研饅頭”を購入した。
いろいろな味が揃っていて楽しい。一個80円です。
平和通りを左折、さらに松山城へのカラフルな歩道に入る。右手に東雲神社の長い階段を上る。
両側の柱には、安田火災の三好武夫氏や、塩崎潤氏などの名前があった。
菊の紋章がついた賽銭箱の前で、道中の無事を祈願。
ちょうど居合わせた女子高生にデジカメのシャッターを押してもらった。
まったく化粧気ぎなくて、初々しかった。
隣接するロープウェー乗り場で、歩いても20分で行ける と 教えてもらった。
再び、三越に戻り、手作り純米生原酒・袋搾りしぼりたて「ないしょばなし」を購入し、台風への備えを厚くした。
明日は、午後から天候が回復すれば、松山城の上下と周囲を巡る予定です。
★第27日: 2007年7月15日(日)
当地は台風一過で朝から雨が上がったため、松山市内の札所巡りを行いました。
本日は四十八番から五十三番まで参拝し、残る四十六番、四十七番は、明日の宿までの道すがらに参拝します。
台風一過の松山市・大手町駅に村谷が着いたのは8時。
伊予鉄道・久米駅から久万高原方面に歩き出す。
早朝から道筋を掃除している小父さんから、晴れてよかったねとの一言が嬉しい。
西空は明るくなってきた。
田んぼのあぜ道を抜けると四十八番・西林寺の門前に着いた。
午前9時とあって、人影はない。
近くに弘法大師が杖で発見したという杖の淵公園があるが、明日に譲る。
次の四十九番・浄土寺には鷹の子駅への車道歩きだ。
思ったより車が少なく歩きやすい。鷹の子駅そばの案内板が、四十九番に1km、五十番に3km、五十一番まで5kmと並んでいて面白い。
浄土寺は県道から入っていて静かだ。
納経所に呼び鈴があるのも、前の四十八番と同じで、静寂が楽しめるお寺だ。
遍路道を抜けて再び県道40号線に戻る。
続いてお墓の間から山道を登り、見晴らしの良い五十番・繁多寺に10時30分に到着。
寺の名の由来は、孝謙天皇が高僧・行基に数本の旗を送ったためだそうだが、簡素な山門の佇まいには似付かわしくない。
2km先の五十一番・石手寺は、道後温泉からも近く、四国遍路の元祖とされる衛門三郎所縁のお寺とあって、今日も込み合っていた。
国宝の仁王門や 重文の三重塔や本堂は、さすがに壮麗だ。
続く 五十二番までは、道後温泉を通過する。
時刻は12時10分前だ。道後温泉本館前は、三連休の中日のため、結構な人出だ。
松山中央消防署から北上し、遍路道を左折すると、讃岐・手打ちうどん・鶴鶴・清水町店を見つけて飛び込む。
天ざるうどんを、NHKの のど自慢を見ながら食べ終えた。
相席の小学生の男の子が、村谷の食べっぷりと、お茶ののみっぷりに目を丸くしていた。
三津浜駅そばを通過、松山観光港方面の登り道を、右折し、雨の名残が残る遍路道を下ると、左800mの山道で、五十二番・太山寺だ。
登りは得意な村谷は元気いっぱい、宿に荷物を置いてきたので、今日は特に快調だ。
広大な境内で、石出寺を先発したベテランの男性遍路が後からやってきて、いつ抜かれたのかと首をひねっていた。
天気が良くて、遍路道を進んだためのようだ。
山門がとても簡素な、落ち着いた雰囲気だ。
午後2時すぎに参拝を終えて、伊予和気駅への道を どんどん下る。
途中の和気公民館でトイレを拝借していると、置いた杖を見つけた子供たちが、あっ、お遍路さんだと言っていた。
目立つので、立ち居振る舞いには、気を付けなくてはいけない。
2時半すぎに五十三番・円明寺に到着、本日の最終目的地だ。
参拝した後、愛媛県でただひとつというキリシタン灯籠を見学、日本のお寺の懐の深さを実感した。
帰途は、松山駅まで二駅、わずか8分だった。
なお、夕食は、高島屋屋上ビヤガーデンで摂りました。
★第28日: 2007年7月16日(月・祝)
海の日、震度6強!新潟県柏崎市西山町などが大きな被害を受けた中越沖地震発生の日
今日は行程が短いので、午前9時にホテル松 山ヒルズを出た。
堀端に向かう通り沿いのホテルの一階のレストランでは、モーニングを食べている家族連れが目立ち、3連休中らしい風景。
松山市駅前に、旧型の機関車が停車していたので、また、写真撮影した。
駅裏にある子規堂に立ち寄る。正岡子規が17歳まで過ごした邸宅を模した木造平屋建てで、遺品や写真が展示されている。また、日本最古の軽便機関車もある。
なお、ベースボールを野球と翻訳したのが子規だと初めて知った。
道なりに南下すると、石手川の河川敷に突き当たる。33号線を南に沿って下ると、自転車で市内に向かう若い男女と引っきりなしにすれ違う。
出勤日らしく、ご苦労さまと心のなかで挨拶した。
立花駅を歩道橋で越えて、さらに南下する。ちょうど10時、ジャスコが開店したところで、入り口の椅子で飲み物休憩。日差しが早くも強い。
天山の先で小野川に突き当たったので、川沿いに左折する。
車が少なくて、多くの花々が植えられていて気持ちがよい。
二本の置き竿の太公望に尋ねると、スッポン狙いとのことだが、食べられないので、釣れても放す紳士の趣味だという。
昨日も通過した遍路橋から、四十八番・西林寺前の「うどん・味十味」に着いたのは、11時40分、鍋焼きうどんを注文する。
座敷に上がり、足を思い切り伸ばす。靴下とタオルを新しいものに取り替え、熱いうどんをたいらけ、一息ついた。
ローソンでアイスクリームを購入し、杖ノ淵公園に行き、家族連れに交じって涼を求めた。
弘法大師が杖をついて湧き出たという水は、今もこんこんと流れていて、ポリタンクを積んだ車が、次々に駐車場にやってくる。
重信川の河川敷ゴルフコースでは、何組もプレー中で、お互いに暑いのにご苦労なことだ。
遍路道は田んぼの中を上がっていく。遍路の元祖・衛門三郎を祭った番外別格・文殊院に参拝、これも歩き遍路ならではだ。
四十七番・八坂寺の参道で、バス遍路の一団とすれ違い、声をかけられる。
本堂の地下に金色の無数の万体阿弥陀仏が安置されていた。
納経を棲ませたのが午後2時、最後の四十六番・浄瑠璃寺までは、1kmもない。
蘇鉄が目立つ緑豊かな境内には、仏足石などいろいろなご利益石がある。
階段を下り切ったすぐ前が本日の宿、長珍屋 だ。
四階建てのホテル並みの建物だが、客は3組だけらしく、村屋様との名札が出ていた。字が間違っていたが、案内に出てきたのが、若くて、丸顔の美人だったので、何も言わずに済ませた。
6時に食堂に行ってびっくり。確かに3組だったが、19名と15名の団体が入っていました。∴今夜は35名が泊まる。
メンバーは、先達以外は高年齢の女性という点は、山と同じですね。
また、となりのテーブルの遍路四百回を越えるベテランという人から、聞こえてきた話の中身が、宿の善し悪しの評論でしたので、やや興醒めでした。
なお、食事の内容はまずまず合格点でした。
人のことは言えない、小生も同じレベルですね。
なお風呂はジェット、サウナつきの大浴場です。
★第29日: 2007年7月17日(火)
今夜は、滝澤・田幸・清水の応援隊が道後温泉で、村谷の激励会開催、同宿です。
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★第30日: 2007年7月18日(水)
滝澤・田幸・清水の応援隊と別れた後、松山駅から伊予和気駅へ、そこからは徒歩20分で、今夜の宿・民宿・伊予路に着き、洗濯、入浴、夕食を済ませました。
食事は、だいぶ普通の量に近づきましたが、鰹の刺身、とんかつ、太刀魚の塩焼き、鰈の煮付け、海老の唐揚げなどでした。
自家製の沢庵を褒めてしまった結果、お酒を追加する羽目になりました。
風呂は軟水を使用しているそうで、気のせいか軟らかな肌ざわりでした。
★第31日: 2007年7月19日(木)
朝6時過ぎに、身仕度をしていると、民宿の老婆が昼のお弁当をお接待してくれた。有り難く頂戴する。
6時50分、後半の始まりだ。朝から快晴だ。
なるべく早めに今夜の宿に入りたいと、歩を早める。
これから目一杯付き合う国道196号線に合流した。例によって自転車通学の中学生たちとすれ違う。
松山市内へ通勤する車も相変わらず多い。
隣の堀江駅からは、海岸線が近くなる。対岸の広島方面は霞んでいるが、足元の波打ち際は透明に澄んでいて、昆布の香が立ち上ってくる.
8時を回り、暑くなってきたので柳原のローソンで、アイスクリームと一本目のお茶を購入。
北条のバスセンターでトイレ休憩を兼ねて足を伸ばす。
9時になった。高知のよさこい祭りのポスターが貼られていた。
立岩川を渡り、一旦国道と別れて遍路道に入る。
両側が田んぼなので風がよく通る。
1kmほどで鎌大師に着く。
親が疫病で苦しんでいた童子のために、弘法大師が鎌で木像を彫ったのが由来だという。
参拝を済ませ、山道を越えて再び国道に合流して進む。
右手に浅海駅を発見、早めの昼食とする。心尽くしの味が胃にしみる。
2本目のお茶を空けて、10時30分出発。
再び海岸線に出たのでベースが上がった。
瓦の町、菊間に入り、厄除けの効用がある遍照院に参拝、12時のチャイムが聞こえてきた。ますます暑い。
左手に太陽石油の製油所を見ながら坂を上がっていくと、ひっそりと青木地蔵がお出迎えだ。
峠の売店にビールの販売機があったが我慢、我慢。
どんどん下り、国道と平行する遍路道に右折する。大西駅近くに着いたがまだ午後2時なので、街道そばのファミレスでカレーを注文、スパイスが効いていておいしい。
酒屋で寝酒を買って、2時半、あさひや旅館 にゴールイン。
早速汗を流して洗濯だ。
★第32日: 2007年7月20日(金)
朝6時少し前だが、宿の朝食が7時からなので、出発する。
国道との合流点にあったサークルKで、ぶっかけうどんと牛乳を買う。
1km程先で、開店前の喫茶店の空いていた椅子を借用してようやく朝ご飯にありついた。
本日は6ヶ所に参拝し、距離も30kmを越えるので、腹拵えは欠かせない。天気は終日うす曇りと好都合だ。
7時前に、五十四番・延命寺に着く。
とは円明寺といったが、五十三番と紛らわしいので、明治に入ってから変えたそうだ。
納経は一番乗りだ。境内では遍路グッツが売られていたが、今治市らしくタオルが目立つ。
山門脇のたんぼの中の遍路道を抜けて今治駅を通過して五十五番・南光坊へ。
唯一、坊がついているのは、大三島に鎮座する大山祗神社の別当寺八坊の一つだったからという。
ここて、納経帳に記名してくれたお坊さんが、村谷の住所を見て、四十年ほど前に葛西に住んでいたと懐かしそうだった。
一昨日、激励に来られた諸兄と昼食をした店の店長の前任地が東陽町で、その奥さんの実家がやはり葛西だったなど、世の中は狭いものだ。
今治明徳高校の校舎の間の遍路道を抜けて、再び196号線を渡り、サークルKでアイスキャンデーを買って涼を求める。曇っていても蒸し暑い。
9時に、五十六番・泰山寺に到着。山門がないが、石垣が立派だ。呼び鈴を押すと、大黒さんと一緒に2匹の白い親子の猫が出てきて、まとわりつく。
のどかな風景にマッチしている。
ここからは山道に向かうので、317号線沿いの、またもサークルKで、昼食を買い求めた。メニューは稲荷寿司と牛乳だ。
9時50分、五十七番・栄福寺に参拝。次は、久しぶりの山登りだ。
寺の脇からたんぼ沿いの遍路道をぐんぐん上って行く。
途中に、立派なトイレがあったので拝借する。
大塚池を抜けて車道に出た。さらにきつい登りをこなし、11時、五十八番・仙遊寺に着く。汗だくだ。
標高281メートルの仙遊寺はさすがに涼しい。ゆっくりと食事中に、バス遍路の一団がやってきて、慌ただしく去って行った。
30分の大休憩ののち、下山を開始する。
歩き遍路の男性とすれ違った。
吉祥禅寺の前で12時のチャイムが聞こえた。
午後1時に、本日最後の五十九番・国分寺に到着。
門前の売店で、タオルとアイスクリームのお接待を受ける。
まだ、宿まで十数kmあるので、大変ありがたい。
道の駅・今治湯浦温泉で、フルーツジュース休憩。
午後2時半、出発。世田薬師に立ち寄る。七月三十日に、きゅうり厄除けが行われるのは、四十二番・仏木寺と同じだ。
午後4時、やっとのことで本日の宿・ビジハウス・イン・国安 にゴールイン。
洗濯は明日にまとめて行うことにして、風呂と食事にした。
雨が降りだしたが、明日朝には上がるとの予報なので、早めに休みます。
★第33日: 2007年7月21日(土)
本日も30km越えだったが、横峰寺の山越えがあったので、飽きない一日でした。
6時50分、昼食の弁当を携行して、ビジハウス・イン・国安 をスタート。
目指す六十番札所・横峰寺まで19キロの長丁場だか、山道は2〜3kmで、残りは田んぼ道と林道歩きだ。目指す山の方向は、すっぼりと霧につつまれている。
国道11号線、松山自動車道を過ぎて、湯浪集落に差し掛かると、山歩きの気配がしてきたが、まだ寺まで7kmもある。
最後の自動販売機で、高知産の海洋深層水を調達した。
林道は今月一杯工事中で車はかなり手前でストップだが、歩行者は大丈夫だ。登山口の2kmほど手前で、地図に掲載されていない山の喫茶店・てんとうむしを発見し、飛び込む。
熱いコーヒーで、蒸し暑さを吹き飛ばす。お接待に、スイカとバナナをいただく。 登山口で水を詰めていると、車を置いて往復してきた夫婦が下山してきたので、シャッターを押してもらった。
いよいよ、久しぶりの山登りだ。お寺が745mなので、それほどの標高差ではないが、これまでの街道歩きと湿度100%が、足を重くさせる。
道は昔からの参道でしっかりしていて、昨夜の雨の影響は残っていない。
ぽんと、立派な六十番札所・横峰寺の山門の前に出た。11時45分、5時間かかった。
土曜日のためか、バスで来た大勢の遍路に混じって参拝し、宿の心尽くしのおにぎり2個をいただく。
沢庵、じゃこ、味付け海苔つきだが、今までの食事で一番おいしく感じられた。 寺のお清めの水をボトルに詰めて、靴下もタオルも替えて、12時半に下山開始。六十一番・香園寺奥の院まで7kmの山道だ。
岩場あり、登りもありのタフなコースだったが、2時間で下り終えると、いつのまにか空は晴れ上がっていた。
六十一番・香園寺を午後2時半に、参拝する。バス遍路が沢山列を作っていた。
境内にあった種田山頭火の句碑「南無観世音、女したたる、水の一すじ」が面白い。
午後3時過ぎ、こじんまりとした六十二番・宝寿寺に参拝、本日は打ち止めにした。
2日分の洗濯と、熱い風呂の後のビールは、今夜もうまい。
今夜の宿は、JR予讃線・伊予小松駅のそばの ビジネス旅館・小松 ですが、夕食は、地元名産の石鎚牛づくしでした。
大皿にたっぷりの牛刺、三人前はありそうな牛しゃぶ、牛の時雨煮、茶碗蒸しにメロンつき、一泊二食にビール大ビンで、何と5,720円でした。
過去の記録でしょうね。
★第34日: 2007年7月22日(日)
午前7時、宿の大女将に見送られて、出発。空は予報通り曇りとは、30kmの長丁場が続く身にとっては有り難い。
宿の脇からの遍路道を行く。国道11号線とほぼ平行した旧国道だ。
10分ほどで六十三番・吉祥寺に着く。毘沙門天が本尊なのは、八十八ヶ所では当寺のみ。
目をつぶって歩いて金剛杖を穴の中に通すことができれば願いが叶う成就石や、石像の下をくぐると民に福徳を下さるという吉祥天女がある。
朝からバス遍路でやってきたおばさま群団より一足お先に、天女像の下を潜り抜けて、経済的価値の増大を祈願したが、効用は如何。
3kmほど遍路道を行くと、右手に広大な敷地の石鎚神社が現われる。残念ながら時間の関係で、神門のみ参拝しただけで、200mほど先の、六十四番・前神寺に移る。
8時を回ったばかりだが、先が遠いので止むをえないところだ。
元は、石鎚神社と一体だったが、明治政府の神仏分離令のあおりで廃されたものを、民間で前上寺として継承し、明治二十二年に現在の場所に再建されたそうだ。政治のエゴを民俗の強さで打ち破った例証かもしれない。
あと28km先の本日の宿までは、昨日の疲れがこないように、のんびり行くことにする。
幸い、大半が田んぼの間を抜ける静かな遍路道だ。
よく見ると、同じ田でも、植えた時期が違うためか、随分、のび方に差がある。
米も早熟型と晩成タイプがあるようだ。
たまにしか、車が通らないので、考える時間が沢山あるのが有り難い。
会社で親しくしていて、早く天国に行ってしまった、龍野・堀両兄、命ぜられるままに、身を粉にして働いた三木・宮崎の両君、などなど。
突然の雨で、消防署の脇の屋根の下に駆け込む。
自販機で三本目のお茶を買う。
国道に合流し、新居浜市になる。
昼近くなので、食堂を捜すが、以外に見つからない。やっと、ラーメン屋・とんた新居浜店に入ったのは、12時半、餃子を合わせて頼んだ。
靴下とタオルを取り替える。
お接待に、もみじ饅頭をいただいて、1時に出発。
再び、古い国道を行く。なだらかながら、上り下りが続くので、昨日の疲れが効いてくる。
長い上りの先の関ノ戸から、やっとゴール近くの別格・延命寺の案内が出てきて、ほっとする。
午後4時すぎに、最後の宿 松屋旅館 にゴールイン。
洗濯はお任せとあって、ゆっくりと入浴。天国、天国。
松戸兄直伝の冷・温水交互のシャワーも忘れない。
明日のコースを詳しく教えて貰い、安心して晩酌ができて、極楽、極楽。
★第35日: 2007年7月23日(月)
今回の最後の宿・伊予土居駅前の松屋旅館を出発したのは、6時50分。
例年より6日遅れの、梅雨明けの日の空は晴れ上がっていた。
国道11号線と平行する旧国道を行くが、さすがに行き交う車はほとんどない。
今朝は、昨夜出し忘れた鰻の蒲焼きが付いていたので、ご飯を4膳平らげた村谷の足は快調だ。
20分ほどで、村山神社に着き、本日の無事を祈願する。
やはり昨日迄とは気温が違うのか、早くも2本目のお茶を買い求める。
豊岡に差し掛かるころには、左手に海が見えてきた。
歩きだして1時間を経過したので、小高い空き地で靴脱ぎ休憩。
エアーサロンパスを念のため吹き付ける。
たんたんと進むうちに、11号線と合流し、三島郵便局前に出たので、戻りの旅費を引き出す。
道なりに1kmほどで、四国中央市の庁舎に到着、トイレ、飲み物休憩とした。 9時半、いよいよ山の方に向かう。
教わった通り、ガソリンスタンドの横から、昔の遍路道を一直線に登る。
さらに浄水場の脇から発電所まで一気に、高度差を稼いだが、汗もどっと吹き出した。
戸川公園からの3km強が最後の難関だが、締め括りの日なので、遍路道はすべて回避しなかったため、11時には、六十五番・三角寺の山門に辿り着いた。
2週間の菩提の道場の旅を振り返って参拝を済ませた。
戻りは川之江駅まで下山したいと言うと、お寺の大黒さんが、気軽に知り合いの運転手を手配してくれたので、11時30分、迎えのタクシーに乗り込むと、わずか15分で駅に到着。
お迎え料金もお接待していただき、感謝、感謝。
2分後の特急、岡山行きに飛び乗り、新幹線の接続も良く、午後4時半には東京駅にゴールイン、文明の利器の凄さを痛感した。
次回は、11月中旬スタートを目指したい。
★第36日: 2007年11月16日(金)
いよいよ、お遍路の最終編の開始だ。羽田から松山空港へ、そしてJRで、前回パスした四十四番と四十五番を回るために、伊予大洲駅へ、本日の宿泊地だ。
勝手な予想に反して、飛行機は満席、松山から宇和島までの特急電車も空きが少なかった。
午後1時、7月に投宿したときわ旅館に荷物を預けて、四国の小京都の見物に。予報とは裏腹に雨がぱらつく。
先ずは、大洲城へ。当初と同じ造りに再建された四つの櫓はすべて国指定の重文だ。
バスで来た中学生から大きな声で挨拶された。お遍路姿でなかったのに、わかったらしい。
続いておはなはん通りへ。記念館で懐かしいNHKのビデオを見た。明治のままの町並みを抜けた高台の紅葉が鮮やかだった。
肱川の川原に繋留された鵜飼船の周りにカラフルな錦ゴイが悠々と泳ぐが覗き込む人はいなかった。
午後3時丁度に旅館に戻ると、石油ストーブを点けてくれた。
風呂に入り明日の準備ができたところで夕食だ。他の民宿よりは控えめながら、ビールのツマミを遠慮しなくても、新米二膳分の不足はなかった。
大相撲が終わったところに、四十二番から歩いてきた大阪のお姉さまが登場、予想外の雨で苦労したとのこと。
部屋に戻りテレビで確認すると明日は傘いらずとのこと。
安心して寝酒に買ってきた灘のカップ酒を空ける。朝食を六時半に予約して、本日はお開きとしました。
★第37日: 2007年11月17日(土)
4ヵ月ぶりの、長い街道歩きの初日だったが、朝7時スタート、午後2時半到着と順調だった。
高度差が感じられないくらいの軽い登りでやれやれだ。
ゴール5km手前で、同じさかえや旅館泊りの岡山氏に追い付いたため、仙人宿大師胴と楽水大師は通過してしまった。
昨夜の同宿の大阪姉は、大洲散策後バスで帰阪したはずだが、坊さんと話すのが生きがいの鎌倉通し打ち兄は、まだ姿を見せない。
シャワーもなく、脱衣籠だけの風呂場だが、暖かなお湯があるだけで有り難いし、ビールが直ぐ飲めるとあっては、何をかいわんや。
行程は、内子に入るまでは予讃線と平行して国道56号線を進む。
少しは旧道歩きもあり、好天とともに、お大師さまに感謝する。内子は町並みがよく保存されていて、歩くに楽しい町だ。
土曜日で大勢の観光客が散策している中で只一人の遍路は目立つ。
重文の旧家がいくつもあるが、皆、結構な入場料を取るので見るだけの人が多いらしい。
街角記念館の二階で資料をみると、地権者も毎年拠出がいるらしい。
町外れに遍路標識があったので直進したが様子がおかしく、立ち止まって地図を開く間もなくそばの酒屋のご主人が正しい道を教えてくれ、またもご加護を感じる。
11時に、道の駅 からり に到着。
稲荷3個と餅6個、650円を購入。生産者の名前と住所が明示され、礼状を出したくなるほどのおいしさだ。
空が晴れてきて御輿を上げる。国道379号線を小田川に沿ってゆるゆると登る。
柿畑が続く。からりで見た柿、みかん、ぎんなん、柚子はすべて一袋100円だ。
大きな椎茸150円とともに、このままお土産にしたいが、先が長いのが残念。
なお、途中、前回キャンセルした宿の看板を見つけてどきっとした。 …今夜の宿は?…
明日は、吉田兄のデータによると昼過ぎにはお寺に入れそうなので、のんびりと国道を行くつもりです。
★第38日: 2007年11月18日(日)
四国の軽井沢と呼ばれる久万高原に無事に到着して、遍路は軌道に乗ってきた。
標高は210mから始まり、最高地点のひわた峠が790m、今夜の宿でんこが500mだ。距離が25kmあるため、傾斜がきつくなくてよかったが、昨日の足の裏に替わって右ふくろはぎが痛くなり、すべてよしとはいかないのが人生だ。
7時前に宿を出たので、山の端が次第に明けていくという枕の草子さながらの眺めが楽しめた。
標高570mの下坂場峠から久万町に入った途端に両側の山々が黄色とオレンジに染まる。丁度10時だが空気はひんやりしている。
由良野の休憩所で大洲から同宿だった鎌倉のH氏に追い付き、下まで一緒に下ることにする。
ワンゲル出身とのことで巧みな足捌きに引っ張られて、12時丁度に町に降り立った。
今夜から古岩屋荘に連泊するH氏とアドレス交換して別れた後、そばの中華屋に入り焼き飯を注文する。四十四・大宝寺が残っているので、ビールは頼まない。
2kmの坂道を大勢の参拝客に交じって進むと壮大な山門がお出迎え。盛時には四十八坊を数えたという大寺院の面影が偲ばれる。
お遍路さんだという声とともに道を譲られて恐縮しながら参拝し、納経を済ませた。四十四・大宝寺の名に相応しい名刹だと感じた。
次の四十五番までは12kmあるのて、今宵の宿、でんこに行く。レストラン併設の大きな宿だが、誰もいない。
30分後に出なおすと、親戚らしい男性が、応接へ勝手に案内してくれた。
外出時にも鍵をかけていないとは実に大らかだ。
ご主人が帰ってきて、チェックイン。
早めに入浴できて、たっぷりの湯で十分に暖まった。
部屋の設備は、昨夜とは雲泥の差で、旅館の名に恥じない水準だった。
明日は長丁場なので、今夜はぐっすりと休もう。
★第39日: 2007年11月19日(月)
昨日と本日で、前回7月には台風襲来で繰り延べた四十四番と四十五番の参拝を済ませることができました。
今朝は7時にタクシーを呼んでもらい、12km先の四十五番・岩屋寺へ向かう。
紅葉に彩られた直瀬川に沿って約15分で駐車場に到着、石段を登り始める。
昨夜から痛んでいた右のふくらはぎが、次第に納まってきた。
女仙人が弘法大師にこの山を託して亡くなった後、大師が木と石で不動明王を彫ったのが寺の始まりという、岩壁にそそり立つ山寺だ。
7時半に四十五番・岩屋寺の納経を済ませ、下山を開始する。
昨日からデジカメが不調で残念だが、両目で晩秋の紅葉を焼き付けながら、快調に車道を下る。
3年前に古岩屋トンネルが開通して1km短縮されたそうだ。
携帯を架けていた三十路と思しき細身の女遍路を追い抜く。
大宝寺の手前の峠御堂トンネルは、白線が引かれただけの心もとない歩道なので最近遍路のために電灯が設置されたそうだ。
午前10時に国道33号線に出て、コンビニに入る。エネルギー補給品を購入し、ベンチに座り、シートを広げて足をのばす。
空気はまだまだ冷たいがアイスクリームが旨い。
20分の休憩後、先ずは6km先の三坂峠を目指して出発する。
今日も歩きだすと日差しが強まってきて有り難い。
高度640mにある休憩所で靴下を履き替える。
三坂峠の下を潜り抜けるトンネルの計画が掲示されていたが、遍路道とは無関係のようだ。
11時50分、真新しい遍路道の標識に従い、国道から脇道に折れる。
本日のゴール、四十六番・浄瑠璃寺までは約9kmの下り道になる。
先人のレポートには随分と苦労した記述があったが、案ずるより生むが易しで、東京近郊の里山程度の下りが2.5km続くだけだった。
40分で坂本の村に出る。
途中のみかん畑で、もぎたてのみかん二個をお接待いただく。
網掛石の前で、休憩していた六十路の女遍路に一個分けて功徳を分かち合った。
午後1時半、四十六番・浄瑠璃寺の門前に到着。
“菩提の道場”を踏破した。
本日の宿・長珍屋は足場が良いためいつも混みあっているようです。
歩き遍路は女性1名を含め4人だけでしたが、団体客が60名もいて大にぎわいでした。
われらは、男3人でビールなどを片手に、年令が近くて話が合って盛り上がって散会しました。
京都出身の60才の男性からは、苔寺の上を抜けて嵐山の奥か、更に保津峡まで抜けるコースを勧められました。
明日は松山市内を経由して、川之江に移動します。
★第40日: 2007年11月20日(火)
本日は移動日、松山市内で買い出しの予定。
7時半、長珍屋を出発。予報は曇りだったが、日が差してきた。
前回は四十八番からの逆打ちだったので、今回は順番に遍路路を行く。
標高180mの生目神社に寄り道した。結構汗をかいたが、市内全域が一望できた。
四十七番・八坂寺でも、納経帳に二度目の印をいただく。
別格九番の文殊院は、お遍路の元祖・衛門三郎縁の寺だが、バス道から外れているためか、人気がなくひっそりとしている。
コスモスが咲き残る畑道を進む。
別格九番文殊院から遍路の標識伝いに進むうちに大きく道を反れてしまったが、軽自動車の中年男性が四十八番・西林寺の近くまで送ってくださり、感謝、感謝。
納経所で京都のT氏に再会したので、四十九番・浄土寺まで同行し、T氏は五十番・繁多寺へ、村谷は伊予鉄道・久米駅に。
先ずは、資金調達、続いて、松山 高島屋からお土産の手配、ケーズ電気でデジカメの購入を済ませ、JR松山駅から13時17分発の特急に間に合った。
川之江駅から延々と坂道を上り、松山自動車道そばの一野屋旅館に到着した。
明日は距離が短く余裕があるので、朝食は7時に頼んだ。
本日の夕食は、久々に豪華版だった。
厚く切られた鯛・鮪・烏賊の刺身、鰈煮つけ、海老と鰺のフライ、貝とあさつきのぬた、石鎚牛の肉じゃがなどだ。
鯛の刺身は食べきれず、お茶付けにして、やっと平らげた。
明日からも続きそうな予感がしたが、取り敢えず、両足のふくろはぎに湿布薬を貼りつけて、明日の山登りに備えることにする。
夕刻から降りだした雨が早く上がりますように。
★第41日: 2007年11月21日(水)
朝7時半に一野屋を出る。
買い立てのデジカメ・FUJ IFILM FINEPIX A800の使い初めとして、女将に撮ってもらった。
本日の行程の過半を占める国道192号線そばのコンビニで昼食用のパンと牛乳を買い六十五番・三角寺への新道を登る。
お遍路道の旧道もあるが、距離が変わらず、昨夜雨が降ったので避ける。
4kmを約1時間でクリア、ふくらはぎが相変わらずなので順調だろう。
途中でに70は過ぎているはずの男性に、ママチャリですいすい追い抜かれて感嘆した。
前回タクシーに乗った山門に到着し、これで一番・霊山寺からの輪が繋がった。
境内には山桜が咲いていた。バスが到着したのを潮に、先へ進む。
ここから6kmは尾根伝いの眺望の良い山道だ。
川之江の市街地と瀬戸内の島々がくっきりと見えるので、カメラテストには好適だ。奥の院の分岐で、これから8kmの山道をめざす健脚の夫婦と交替で撮影しあい、夕方の宿での合流を約して別れた。
高知自動車道を潜る頃には、すっかり晴れ上がる。弘法大師が地面に突き立てた椿の枝が大木になったという、別格14番・椿堂に、おさわり大師がおられたので、お賽銭を上げて右足の回復を祈願した。
192号線に合流、ここから本日の宿まで7キロの国道歩きが続く。
11時を過ぎたのでバス停のベンチで昼食とする。
靴下も脱ぎ捨てて休息していると、若い男の歩き遍路が二人、元気に通り過ぎていった。
ゴールまで4kmを確認し出発。心なしか右足が軽くなっている。
午後1時、今宵の宿、民宿・岡田に一番乗りし、二日分の洗濯を済ませた。
主人から同宿が8人もいると聴き、歩き遍路が増えているのを実感した。
宿の隣の広場では、7人の老人男女が、焚き火をしながらゲートボールに勤しんでいた。
今夜は8人の歩き遍路が、夕食を一緒しながら、午後5時半から7時まで、
6廻り目のベテランや、村谷を含めた三人の初体験者など、それぞれの目的や疑問点を交換しあい、有意義でした。
中でも昨年脊椎の病気で一時不在だったこの宿の名物のご主人が全快されて、タイムリーな合いの手を入れるため、本音が曝け出されたのは最大の収穫です。
また、明日のコースに関する手作りの2枚の地図と説明は、極めて参考になりました。
足の具合も大分良くなりましたので、明日が楽しみです。
明日はいよいよ、標高910Mの雲辺寺に挑戦する。
★第42日: 2007年11月22日(木)
本日はお遍路で最高地点にあるお寺・雲辺寺を参拝しました。
民宿・岡田 同宿の歩き遍路8人のうち、5人が支度が整った順に出発しました。村谷は、6時半ちょうどに、ご主人に見送られて、両手をしっかり軍手でガードし出かけます。
1km先の雲辺口バス停横から、お寺まで7km強の登りが始まりますが、山道はそのうち5kmで、その標高差は高尾山なみ。
段々と日が差してきて、車道との合流点に辿り着くころには、汗だくになりました。
雲辺寺の山門が見えてきたのは、8時だった。
寺の所在地は徳島県だが、讃岐の一番とされ、16才の弘法大師が修行したところだ。
本堂は改築中で大師が掘られたという水堂も工事中で残念だったが、澄みきった空気とくっきりとした山並みが嬉しい。
8時半、六十七番・大興寺まで9kmの下りをスタートする。
暫らくは足に優しい落ち葉が一杯の快適な山道で右足が楽だ。
林の切れ目から観音寺方面の町並みと瀬戸内海が遠望できる。
やがて木の階段が多くなってきたが、10時に舗装道路に降り立った。
山沿いに遍路道を行こうかと地図を見ていると、農作業に出かけるらしい老人が軽自動車で寄ってきて、先の道をアップダウンまで詳しく教えてくれた。
10時40分、六十七番・大興寺に着く。
駐車場にお遍路のバスが着いて、にぎやかになる。
合間を縫って参拝と納経を済ませて、境内で休憩を取る。
岡田からのおにぎり二個が、胃の中に溶けるように収まった。
靴下とタオルも交換して落ち着いた。
運慶作とされる仁王像がまつられた門を熱心に撮影している遍路を尻目に出発する。
高松自動車道を潜り、国道11号線の手前で休み処があったので立ち寄る。
メールを開くと吉田兄から激励のメッセージが入っていた。
傍に勤務しているらしい運転手さんから大量にみかんの差し入れがあり、2個たいらげて、いざ、次の寺へ。
観音寺の中心街に入る。財田川を染川橋で渡り、琴弾公園の入り口で、先行していた同宿の6回目のベテラン氏と一緒になり、同行していただく。
午後1時20分、六十八番・神恵院、六十九番・観音寺が同居する境内に入った。納経所が共通で、千円札を出してお釣りを貰う人が多いらしく、すっと四百円が出てきた。
お賽銭の両替もやってくれるのは便利だ。
三架橋を渡り、今夜の宿・若松屋別館に到着したのは、まだ午後2時だった。
本日の夕食は、昨夜の同宿の1人で、大阪の72才の男性です。この年令で歩き遍路をされるわけですから、ご立派ですね。
年金や環境問題で議論が盛り上がり、お互いにビール大瓶と地酒コップ一杯ずつ飲んでしまいました。
★第43日: 2007年11月23日(金)
本日午後2時20分、四国八十八ヶ所の総本山、七十五・番善通寺の仁王門をくぐることができました。
朝7時、山登りが趣味の若松屋別館の女将さんと、ホームページ情報を交換して、一日六寺の参拝を開始。
先ずは、六十八番・神恵院とは同根の琴弾八幡宮に行き、鳥居の下から本殿を参拝。
女将の薦めに従い、財田川の左岸を東進する。
川面には、サギの群れが水浴びの最中、畑では刈り取ったワラを盛んに燃やしているので、辺り一面が朝靄のようだ。
約5km、一時間で本日最初の七十番・本山寺に入る。三連休の初日とあって、早くも駐車場には毎度お馴染みのお遍路バスが停まっていた。
重文になっているがっちりした仁王門を潜り、均整がとれた国宝に指定されている本堂に参拝した。本尊は札所では唯一の馬頭観音だ。
8時半に腰を上げる。
次の七十一番・弥谷寺までは12kmと本日最長のため、本山駅から三野駅までJRを利用するのが賢明な方法だが、そういう訳にはいかず、国道11号線を歩きだす。
5kmほど行った地点で遍路地図にはない遍路道の標識を発見し、これ幸いと左折する。
静かで趣のある旧道だった。続いてたんぼ道を延々と通り、山の方にむかって坂道を登ると、道の駅・ふれあいパークみのと合流し、ここから更に1km登って山門に、そして530段ほど上がったところが、本堂だった。
時刻はちょうど11時、まだ続々と参拝客がやってくる。
納経を済ませて参道にある俳句茶屋で食事と思ったが閉まっていたので先に進む。
2kmほどアップダウンがきつい山道を歩いているうちに、足の調子が回復する。 11号線の傍らにまだ開店祝いの花輪が並ぶぴんぴんや・ゆたか丸・鳥坂店に入り、天丼を注文した。家族連れで混んでいて、作り置きしないらしく待たされたが、丼つゆを別出しの味は良かった。
セルフサービスの水を三杯、お茶二杯もおいしかった。
店を出たすぐ先の遍路休み処で靴下を交換して、残り4カ寺に備える。
休耕田にはコスモスが咲き残っている。強い日差しの中、汗がなかなか止まらない。
七十二番・曼陀羅寺、七十三番・出釈迦寺は近接しているため、行き来する参拝客で狭い道が込みあっていた。
坂を下ると七十四番・甲山寺だ。
前の出釈迦寺同様に、山門が工事中。
今回はあちらこちらで本堂などの工事が目立ったが、お遍路ブームは本物らしい。
午後2時すぎ、七十五番・総本山・善通寺の仁王門をくぐった。
昨年9月1日に、札所一番・霊山寺を村上兄とスタートして、一年余を経て、何とかここまで来ることができた。
広い境内は大勢の参拝客で溢れかえっている。
建物の壮麗さは比ぶべくもない。
本堂の売店で孫の安産のお守りを購入し、午後3時前に今宵の宿・魚勘に一番乗りしました。
★第44日: 2007年11月24日(土)
本日も予定通り80番国分寺まで参拝を終えることができた。あと八寺を三日間で回ると満願だが、少し残念な気がする。
また、第二日目から不調だった右足はほぼ回復し、残りのコースの不安はないが、できるだけ安全な道を選択するつもりです。
今朝は7時に宿を出て、善通寺に参拝してから、七十六番・金倉寺に向かった。
赤門通り商店街を善通寺駅方向に進む。
昭和38年まで運行していた琴参電車の停留所だった居酒屋・陣は移転して看板だけだ。
予讃線を越えて、たんぼ道を北上し、1時間ほどで七十六番・金倉寺に着くと、すでにバス組で賑わっていた。
本堂の脇にある大きな祈願念珠は先客が多く、急いで念ずることもないので、次の寺に向かう。
国道319号線に沿って北上し、酒造・金陵の工場の敷地に沿って遍路道に曲がる。
観音寺の旅館で甲論乙跋した際のお酒だった。 七十七番・道隆寺には全国各地から集められた観音さまの石像が特徴だ。
本堂に安置された大師作の薬師如来は目の病に霊験あらたかだという。
もう少し若いうちに来ればよかったと後悔する。
続く七十八番・郷照寺までは予讃線と平行する7kmの車道歩きだ。
昨日より最高気温が5度も高い影響か、汗が頻りに出てくる。なるべく日陰を探しながら歩いているうちに、東大寺の大仏殿を小型にしたような本堂のある七十八番・郷照寺に到着した。
行基が創建し、弘法大師ががらんを建立、一邉上人が念仏道場として再興したそうだ。
そろそろ腹がすいてきたので見回すと、車が何台も停まっているうどん屋がある。食指が動いたが、込みあっているのに大荷物ではお邪魔なので見送った。
坂出の中心街に入ったが、まったく食べ物屋の看板がない。
結局、坂出駅構内でうどん屋を見つけて列に並び、茹でたて、揚げたてのうどんにありついたのは、12時半だった。
美味に満足し、御輿を上げ、続いて4kmほど歩くと七十九番・天皇寺だ。
数奇な運命を辿った崇徳上皇に縁の寺だ。
午後1時半に山門を出て国道33号線に向かう。途中の自販機でお汁粉を仕入れてエネルギーを注入し、国道沿いの遍路道を行く。
2時少し前に本家・鴨川駅を通過、ここから先は車道歩き、午後2時40分、本日最終の八十番・国分寺に到着した。
長い松並木の参道の両脇には、八十八ヶ所の御本尊の石仏が並んでいる。奈良時代に鋳造された梵鐘、入母屋造りの本堂、本尊の十一面千手観音など、重文ぞろいだ。
大師堂と棟続きの納経所は、行列ができていた。
3時過ぎに、本日の宿・せと国民旅館に入った。
明日も好天のようで、予定通り、栗林公園そばの讃岐会館に行けるでしょう。
★第45日: 2007年11月25日(日)
本日も好天に恵まれて三カ寺を参拝でき、讃岐23札所も残るは明日の4カ寺と明後日の88番大窪寺のみとなった。
今朝は7時前に、国分寺の宿・せと国民旅館を出た。
山の端からの日の出を首尾よく撮影できたのも、早立ちしたお陰だ。
県道まで1キロ半ほどの登りはきつい傾斜だが、よく整備されていて安全だ。
自衛隊の駐屯地や簡保保養センターに続く県道との出会いで先行した二人に追い付いて、歩き遍路は三人になる。
暫らくして再び遍路道になり、9時前に最初の札所・八十一番・白峰寺に着いた。
バス、タクシー、マイカーの参拝客に混じり、納経まで素早く終える手順も、すっかり板についた。
ここにも、政争に破れて遠く讃岐で無念の思いでこの世を去った崇徳院を、ここ四国では天皇として祀る御廟所・頓証寺殿があった。
大半の人は素通りするが、村谷は立ち寄る。本尊と大師堂が階段のはるか上にあるため、納経所にも足の悪い人のための写しがある。
次の八十二番・根香寺までは上下のある5kmの山道だ。
快調に一時間で到着。駐車場の脇に立つ牛鬼像はユーモラスで、本尊の千手観音の助けを必要としたという怪獣には見えなかった。
オレンジパークの入り口まで戻り、鬼無方面に車道をひたすら下る。
所々に遍路道が残っていて、足が助かる。大きな岩で、足休め。チョコレートパイと靴下交換でリフレッシュ。
12時ちょうどに踏み切りを横断し、食堂探しをあきらめ、先のスーパーで寿司などを購入した。
香東川の川原で大休憩。対岸のグラウンドでは、サッカーの練習試合のようだ。応援の家族が、車で次々と駈け付けてくる。香川では珍しい潜水橋を何台も行き来している。
御輿を上げて、河川敷を下り、香東大橋をわたる。本日最後の八十三番・一宮寺に入ったのは午後2時だった。
もう、バスや車の参拝客の姿はなく、静かな佇まいだ。
クスの大木の下に、ひっそりと本堂が建っていた。
本日の宿までは約7kmのバス通りだ。
西日が強く、思わずコンビニで買ったアイスクリームが、冷たくて気持ちが良い。
宿の手前にある栗林公園では、23日からライトアップしていて、夕刻なのに続々と入園客が詰め掛け、駐車場も満杯だった。
3時半に讃岐会館にチェックインし、4時には大浴場でゆっくりと手足を伸ばした。
★第46日: 2007年11月26日(月)
本日は、八十四番から八十七番までの参拝を予定通り終えて、残すは88番大窪寺のみとなりました。
7時半に、昨夜の栗林公園のライトアップを思い出しながら、讃岐会館を出発しました。
高松の中心街を、通勤するサラリーマンやOLの間を擦り抜けて、国道11号線をひたすら東に進む。
屋島西町交差点を左折し、高松琴平電鉄志度線の潟元駅そばの踏み切りを渡り、八十四番・屋島寺への遍路道へ入る。
標高284Mの山上までは結構な傾斜だが、朝の散歩から降りてくる人に引っきりなしにすれ違う。
9時に南面山の山号通りに真南から境内に入る。昨年9月末にも立ち寄ったが、お遍路姿では心が引き締まる。
重文の本堂が青空にくっきりと浮かび上がっていた。
弘法大師が開いたとう血の池経由の旧道は、傾斜がきつく滑りやすいとのお寺の人のアドバイスに従い、2km遠回りの山裾コースを選んだ。
相引川を渡った袂にあるスーパーで、昼食用のパンと牛乳720mlを購入した。
お茶は、直前にお接待でいただいたので省略した。
八十五番・八栗寺にも、前の屋島寺と同様、ケーブルカーが通じているが、当然、1kmの山道を選択した。
気温も高くて、汗だくだ。
納経所でいただいた歩き遍路専用のピーナツチョコレートは溶けかかっていたが、おいしかった。
12時に下山開始、最大21度の車道は、奥志賀高原のゲレンデ並みだ。
12時半、二つ池親水公園で大休憩、タオルと靴下を交換し、パンと飲み物を平らげる。池の中央の竿の上には、大小の亀がずらり。
1時近くになり、御輿を上げた。海岸に出ると、牡蠣や海苔の採取中のようだ。
江戸後期の天才、平賀源内の生家前を通過して、程なく八十六番・志度寺に到着。
運慶作の仁王が安置された門は、重文に相応しい落ち着きが感じられる。
五重の塔、三千坪の曲水式庭園など見所は多いが、2時には納経を済ませて、7km先の本日の最終目的地に向かう。
両側の山並みはすっかり紅葉でそまっていた。オレンジタウンと命名された新興住宅街が左手に広がるが、通勤が大変かも?
3時半、八十七番・長尾寺にゴールイン、広い境内は、参拝客で賑わっていた。それぞれ、門前の各旅館に投宿したようで、やはりお遍路人気は息が長いようだ。 …今日の宿は?長尾寺?…
明日は、7時出発で、女体山越えで、最終八十八番を目指します。
★第47日: 2007年11月27日(火)
午前10時40分、八十八番・医王山・大窪寺の仁王門に到着しました。
無事に満願を果たすことができましたのは、常にご声援を賜りました田幸、滝澤、清水の諸兄、そもそも先達として小生をお誘いいただき、詳細な計画を作成、タイムリーなアドバイスをいただいた吉田兄、阿波・土佐をリードしていただいた村上兄、二週間の休みをお許しくださった財団の皆様のお陰と、感謝申し上げます。
今朝は、7時に民宿ながお路を出て、県道3号線を南下する。
目指す大窪寺までは、17kmの緩やかな登りだ。
6kmほど行くと、お遍路交流サロンに着いた。歴史を物語る豊富な資料が展示されている他に、四国八十八ヶ所遍路大使に任命してくれる。
村谷は第1084号だ。また、東京東部地区に点在するお寺のネットワーク・南葛八十八ヶ所のリストが入手できてラッキー。
8時半、残る11kmを目指しスタート。
トラックやマイカーが時折すれちがう。額峠を過ぎると家並みが現われてほっとする。
歩き遍路専用の閑かな2km程の山道が終わると、そこが八十八番・大窪寺の仁王門だった。
昨年9月に村上兄と一番・霊山寺を参拝してからもう一年以上経っている。
八十八番目の印を貰い、本堂を背に記念撮影、門前の食事処・八十八庵での打ち込みうどんの昼食を終えて、11時20分、十番札所・切幡寺までの18kmの長い下り道へ出発。
道中でちょっとしたハプニングがあったが、十番・切幡寺に二度目の納経を終えて、旅館八幡に予定通り入った。
明日は、一番札所に再度参拝した後、高野山で滝澤・清水両兄と合流します。
★第48日: 2007年11月28日(水)
7時半、八幡旅館を出発。
三番札所に直行、昨年九月以来の参拝を行う。
閑散とした境内を出て、遍路道を一番札所を目指す。
二番・極楽寺を過ぎると、程なく一番・霊山寺に戻り着いた。
門前で、散歩していた男性にシャッターを押してもらった。
納経帳の最後のページに記入・押印していただき、昨年スタート時に記名したノートに本日の日付を書き入れて、ほっとした。
9時すぎ、徳島行きのJRに乗るため板東駅に着くと、車両故障のため予定の電車が延着するとのアナウンス。
居合わせた四人の女性軍とタクシーで隣駅に移動、無事に平行して走る鳴門線に乗り換え、予定より三十分も早く徳島駅に到着しました。
10時発の難波行き高速バスに間に合い、午後2時発の高野山行き快速急行に、半月ぶりに再会した滝澤・清水両兄と、車中で歓談することができました。
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※ 村谷の前回の四国遍路(阿波〜土佐、二国打ち)のページです。
村谷と阿波〜土佐ご一緒だった村上さんはそのまま歩き通し結願しました。https://tak-oh.sakura.ne.jp/01.07.07.HENRO.htm
村上さんの通し打ち「秋遍路(俳句でつづる歩き遍路の旅日記)」も掲載しています。
※NHK教育TV、「四国八十八ヶ所」13回シリーズで、放送されました。
※写真が豊富な「四国遍路の写真集」さんのページ
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