<12月11日(火)初秋の狭山丘陵散歩(小手指駅〜西武球場前駅)>
夜には奥多摩や八王子あたりまで積雪があるかも、という寒い朝、西武池袋線・小手指駅改札前に田幸・山岡・村谷・山内・三橋の5人が集合した。
本日の目的は晩秋の狭山丘陵と旧鎌倉街道・上の道探訪と合わせて、YSC散歩にもたびたび参加していて、一昨年11月に逝去された故小谷(醇)兄のお墓参りを行う有志の集まりでもある。
早稲田大学の学生諸君が通学バスを待って列を連ねている北口とは反対の南口から出発する。
夜には降雪も予想される冷たい空気を吹き飛ばして線路に沿って飯能駅方面に進む。
沿線の広々した畑の一角に育つ柑橘類の生育が見事で、次々に出現する直売所にも葉付きダイコンや小松菜と並んでユズ、ミカンやキンカンが並んでいた。
所沢西高校前を通過し、車がひっきりなしに横断するバイパスを
誓詞橋交差点で横断し、
埋蔵文化財調査センターにトイレ休憩を兼ねて立ち寄った。
数百メートル進んだ先に、新田義貞軍が鎌倉幕府軍と対決した
小手指ケ原古戦場跡に設けられた
白旗塚があり、小高い丘の上にある浅間神社に参拝した。
ちょうど昼時になっていたので、塚のふもとの農道わきの草むらで昼食とする。
山内が今日も暖かい鍋を仕上げている間に、山岡が安房から取り寄せたイカの口=トンビを村谷がホイル焼きにして提供する。
常連の滝澤兄が所用で不在のため熱燗も村谷が代行して、数々のつまみを平らげていたら、正午のチャイムが聴こえてきた。
いつのまにか上空は青空で占拠されていて、冬らしくない日差しで背中や顔が暑い。
宴の終了間際に、地主さんらしい男性が軽トラックで通過、田幸が如才なく「こんにちわ、お借りしてま〜す」⇒「どうぞ、どうぞ」と。
本日の行程の参考にした「ところざわウオーキングナビ@西エリア」では狭山湖に向かうことになっているが、打ち上げの時間との関係でショートカットすることで合意。
故・小谷(醇)兄のお墓は、本堂左手の見晴らしの良い場所にあり、親交深かった田幸がお花を添え、山内が線香を灯してから順番に故人を偲んだ。
焼き物に造詣が深かった故人らしく、シンプルですらりとした墓石だと感銘した。
奥多摩の山々に向かうお墓の西側の延長線上には故人が愛してやまなかった因幡の国、さらにその先にお釈迦様のインドが一直線上に連なっている。
参道を下って、西武球場前駅から電車で西所沢駅に移動し、さらに西武池袋線の準急に乗り秋津駅で午後2時半に所用のある三橋とは分かれて、下車。
早くも常連らしき先客が6、7人が入っている「激せま店」だったが、通路を譲り合いながら一番奥のカウンターを4人分確保できた。
先ずは名物のもつ鍋350円を注文する。店頭の写真をはるかに上回るボリュームの中どんぶりが出てきた。
赤みそ仕立ての汁がたっぷりで、モツと豆腐があふれんばかり。二人で分け合ってもいっぱいの量と癖になりそうな味だった。
村谷が上京してちょうど50年になるが、はるか独身の昭和時代に財務部で一緒だった相田兄と、東中野の飲み屋でお代わりを食べた煮込みに次ぐ人生第二番目の煮込みの味が堪能できた。
待ちほどしいほど時間をかけて出てきた焼き鳥も汁味たっぷりで、どちらもこの値段では申し訳ない優れモノだと一致し、再訪を約束した。
本日は、我らの信仰深さへのご利益と感謝して西武線とJR線とに分かれて帰途に着きました。(村谷 記)
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コース
西武池袋線・小手指駅〜所沢西高等学校横〜所沢市埋蔵文化財調査センター〜小手指ケ原古戦場・白旗塚〜全徳寺〜山口観音〜西武狭山線・西武球場前駅
<歩行距離:6km±α、歩行時間:2時間±α>
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