《第一日》
 昨16日午前10時13分に中越沖大地震発生。
 四国遍路、伊予一国打ちにお出かけの村谷兄が、松山市に到着予定の17日に滝澤・田幸・清水の3人が駆けつけ、道後温泉で激励しよう、と計画した、この旅。
 
 村谷兄は、台風4号襲来のため、石槌山・山間部の四十四番・大宝寺四十五番・岩屋寺は改めて挑戦することとして松山市内で静養の日になっていました。

 
羽田空港発 午前10時10分の JAL機に乗り、曇り空から晴れ間の多い四国へ。
11時35分
松山空港到着。11時50分発のリムジンバスで、12時5分にJR・松山駅に到着。

 4人合流し、路面電車の線路をたどり、
大手町西堀端南堀端伊予鉄道・松山市駅へと歩く。
伊予鉄高島屋屋上に観覧車「くるりん」の載る駅ビル横の福良で昼食。

 まずは、子規堂(在、正宗寺境内)へ。
子規が17歳まで住んでいた家を模して建てられたという建物の内部に遺品や写真などが収蔵されていて、お勉強。
この家の横には、日本へ“
野球”を、子規が紹介し、名付けたとのいわれや、千代の富士が書いた「」の字を刻んだ石碑もあった。
また、前の広場に坊ちゃん列車の客車が鎮座していた。

 銀天街から大街道へとアーケード完備のきれいな商店街を散策。本屋が目につきました。三越前から県庁へ向かう。
愛媛県庁は、緑色のドームが載った、お上の統治にふさわしい、重厚な洋館。

 お堀側から坂道を登って、柑橘類が植え込んである松山城二之丸史跡庭園を一周。

 それほど整備されていない林間の登城の道を重要文化財の門をいくつかくぐって、お城に登った。
眼下に市街
手石川の流れや、遠くに霞んでいる山や瀬戸内海が広がって気持ちが良い。

 下山はロープウェイ リフトの横の整備された道を通り、高浜虚子の「
遠山に日の当たりたる枯野哉」の句碑がある、賽銭箱に菊のご紋の東雲神社で旅の無事と天候を祈る。

 路面電車の走る幅広の道を進み、道後公園(湯築城跡)の、
白い蓮百日紅が咲き始めた池のほとりを散策し、坊ちゃんからくり時計前から、坊ちゃん列車が展示されている道後温泉駅前へ。

 おみやげ物屋が並ぶ道後温泉商店街で、地酒(銘柄は失念しました)を買って、道後温泉本館前へ、湯上りに2階広間か3階個室で浴衣がけでお茶を飲みたいものだ。
それは明日にして 宝荘ホテル へチェックイン。

 早速、大浴場へ。やさしい湯で温まり、汗を洗い流してくつろぐ。
南西の角部屋からは、松山城や観覧車「
くるりん」に目が行く。

 午後6時に、部屋食での夕食開始、ナマビールで乾杯。

 伊予の米焼酎(銘柄は失念しました)で、ああでもないこうでもないと、にぎやかにお料理をいただく。
食べ物やお酒に執着しない管理人は、出されたもの、みな美味しくいただきました。

 食後、しばし休憩ののち、夕暮れを眺めながら、屋上露天風呂に入り、先ほど仕入れた日本酒を飲んで、おとなしく就寝。

 ただし、ここ数日間、歩き足りないためか?、やはりお酒の飲みすぎでしょうか?いびき&寝言、ゴロゴロ寝返える、寝てから、おとなしくない人が1名いました。
来る27日の参議院選挙には終身共同就寝禁止の処置付き「飲酒就寝禁止法」制定を公約している政党に投票したい!

《第二日》
 おとなしくない人の隣で、うなされ、けとばされて過ごした
被害者が、明け方にやっと熟睡しているうちに3名は朝風呂でさっぱりして、バイキングの朝食を頂きました。

 まずは、お遍路さんの先導で、道後公園・子規記念博物館
前から東に10分ほどの散歩で五十一番・石手寺に参拝。
衛門三郎の生まれ変わりの男の子が
に握っていた とかのお話が…、
 国宝の仁王門や重文の三重ノ塔など、落ち着いた境内は、参拝客で賑わっていた。

 次は瀬戸内の海に触れ、時間があえば、瀬戸内の島の一つに上陸し、散歩しよう。と、門前の停留所からバスで松山市駅へ。

 松山市駅から高浜駅へ。
 駅前で待っていたバスに乗り、高松観光港へ。
 構内をめぐり、桟橋前で海をバックに写真を1枚。

 今来た道を散歩し、
高浜港へ。

 待合室に張ってある時刻表を見ると、目の前に、名峰?「小富士」が そびえる?
 興居島(ごごしま)がある。
興居島には、
 小富士汽船 由良港へ。 興居島汽船泊港へ、それぞれ1時間に1本以上の便がある。せいぜい日に2〜3便かと思っていました。失礼しました。

 由良への便が10分ほど後にあったので、乗船。運賃は¥230也。
海風にあたりながら景色を楽しんでいると、20分ほどで、
由良港到着。
船腹からは生コンミキサー車や軽トラックなど結構な数の車が出てくる。
車なしの乗客は、われらだけ。

 船上から見て、気になっていた、港の右 高台の、立派な寺院建築 へ .
行って見ると、観音寺で、弘法大師の名を刻んだ石碑や、一番霊場・霊山寺の碑がある。これから歩いた道端にも○番・○寺の石碑(石柱)がところどころにあったので、島内に八十八ヶ所を模した遍路道が作られているようだ。

 海岸沿いの道を泊港目ざし、梅雨の合間に燦燦とふりそそぐ陽を浴びながら、歩行者はいないが、たまにはオートバイや車が走る道を海岸沿いに散歩。
 海の水が透き通っていて、小魚の群れが ヒラヒラと泳いでいる。

 さすがに
愛媛だ、山にも里にも柑橘類の硬い青い実をつけた、アゲハチョウが大好きな葉っぱをつけた木々の畑が広がる

 誰もいない海に、ゴムボートを浮かべ、5人ほどの若者が乗っていて、水上スキーを楽しんでいる。

 途中で給水休憩をとり、低い峠?を超えて、トイレ完備の船越港へ。
桟橋で3人が釣りをしていたので、覗いて、訊いてみると、マメアジ釣りでした。から揚げにして、今夜のビールのつまみにはなりそうです。

 もうひと越えして、
泊港が見えてくると、車がゾロゾロと興居島汽船のフェリーに吸い込まれているところで、手を振りながら桟橋端まで急ぎ、乗船。即、出船。運賃は¥230也。1時間ほどの島内散歩でした。
徒歩客はわれ等の他は、おばさん1名だけ。

 小富士の山をスクリューの泡の上に、一直線、15分ほどで
高浜港到着。
そろそろお昼時、すぐそこの
高浜駅前までの間に、飲食店はあるが…
松山市駅まで戻っても25分、ということで、15分ごとに発車の伊予鉄道に乗車し、
松山市駅へ。
東京でも見慣れた看板の、
駅前「庄やで昼飯。店長は東陽町店から、7月に転勤でふるさと帰りとか。葛西在住の方と話が合っていたようです。

 時間もあるし、市内観光はもう…ということで、また
道後温泉本館で入浴&休憩しようと、乗務員3人とともに坊ちゃん列車に乗り、松山城のふもとを回って道後温泉駅へ。

 道後温泉本館
前入り口の入浴券売り場で、入浴券の値段の違いとサービスを確認し、
“神の湯入浴&浴衣+お茶・簡単なお茶菓子付、館内では酒類の販売は一切なし、2階大広間休憩、館内1時間” コース、¥800の券を購入。

 2階へ上がると、まずは、注意事項を言い渡され、幸いお客はわれ等だけにつき、隅っこで浴衣姿なり、神の湯へ。
同じ造りの東と西の2つの浴室をハシゴし、2階大広間へ戻り、熱いお茶をいただきながら休憩。

  本館前でお土産なんぞ売っていないで、 ビールにおでん でも出す店にしてほしいものだ、などと、クダラナイことを言いながら、すだれ越しの景色を楽しみ、そよ吹く風で湯上りの火照りを冷ましました。

 すぐに1時間経過、止むを得ず退場。
お遍路を続ける村谷は、昨夜さぼった2日分の洗濯があるので、本日の宿へ移動するとのことで、お別れする。

 応援隊は、昨日は麓だけ歩いた
道後公園でゆっくりくつろごうと、汗をかかないよう、ゆっくり散策、展望台までたどり着き、松山城や松山の街並と名残を惜しんだ。

 道後温泉駅への途中、
坊ちゃんからくり時計 が、残念!4層から2層へ丁度閉まりかけていた。 あわてて写真を撮った…

 
道後温泉駅横の店で “山田まんじゅう” と “一六タルト" を求め、駅前のバス停から、市内観光の復習をしながら、松山空港へ。

 予定通り、18時発 〜
羽田空港 19時25分到着。
信州そば「
あずさ」で無事を祝して乾杯!!

清水兄の本日の作品を発表します(*^_^*)
 ◆旅の始まりはこの人から

  「松山の 駅で待つ人 巡礼姿」

 ◆まずは松山の偉人正岡子規さんの所へ
  「子規堂で 野球のルーツ 教えられ」

 ◆松山城は街のどこからでも見られます。
  「頂きに 松山城の 雄姿あり」

  「天守閣 山の上から 街治む」

 ◆県庁本館は城に負けじと威風ある建造物です。
  「県庁は ヨーロッパ風に 堂々と」

 ◆松山といえば道後温泉!
  「浴衣着て 思い思いの 道後かな」

  「道後の湯 鷺が止まりて 今を成す」

  「坊ちゃんも 道後の湯で 贅沢を」

  「道後の湯 城を仰いで 心満つ」

  「湯上りは 天目台の お茶が良き」

 ◆松山名物「坊ちゃん列車
  「乗ってみた 坊ちゃん列車 明治なり」

 ◆51番札所は石手寺は参拝で賑わい
  「石の手に 弘法さまの 謂れあり謂れあり」

 ◆ミカン栽培の興居島(ゴゴジマ)に行きました!
  そして我ら4人、由良港から泊港まで島歩きをしたのです。

  「興居島の 小冨士の裾に 香りあり」

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