<第一回御府内八十八ヶ所霊場巡拝(江東区、墨田区)2017年12月2日(土)>
村谷は、7月から9月にかけて巡拝した新四国南葛88ヶ所めぐり 、11月に巡拝した昭和新撰江戸三十三番観音霊場めぐりに続いて、御府内八十八ヶ所霊場めぐりを開始した。
家庭行事が早めに終わりましたので、好天を利用して標記の霊場巡りを行うこととしました。
正午過ぎにJR総武線・亀戸駅前に到着、昼食用の店探しに忙しく行き来する人たちとすれ違いながら明治通りを北上する。
亀戸で目指すのは、いずれも亀戸七福神になっている二つのお寺で、YSC散歩でも訪問済み。
早くも弘法大師様のご利益のためか、亀戸梅屋敷まで青信号の連続だった。
村谷の四国遍路巡拝から丸十年ぶりに使ってみた遍路杖は、水分が抜けたせいなのか随分細くなった感じがしたが、長さはまだ十分に保たれていて歩きやすい。
四国遍路の先導・吉田兄にご教授いただいた4歩に1回の杖突き歩きのコツは、すぐに思い出しました。
蔵前橋通りを亀戸4丁目交差点で渡り、さらに北上し、香取小学校手前で右折、本日最初の霊場は、73番・東覚寺。弁財天が祀られる。
続いて香取神社前交差点で明治通りを横断し、小路伝いに40番・普門院に入る。代表作「野菊の墓」で知られる伊藤三千夫の墓があるものの、普段は静かなお寺だったが、たまたま法事があったらしく黒い服装の老若男女が大勢行き来していて、車も数台停車していた。
参拝を済ませて路地伝いに亀戸天神社の東門にたどり着いたので、ついでにお参りする。まだ、七五三を祝う家族連れが何組もいた。
本堂横の銀杏がすっかり紅葉しているのを鑑賞し、西進、横十間川に突き当たり南下し、野球場などの広大な運動場を併設する錦糸公園を半周して、錦糸町駅北側を巻いて北斎通りに入る。道の両側には、北斎に関する各種の情報と、代表作の複製画が鑑賞できます。
錦糸町駅からほど近い東武ホテルと隣接する墨田トリフォニーホールでは人の出入りが活発で、はとバスも数台停車中。
YSC散歩で数度、昼食場所に利用した大横川親水公園はほとんど人影がなかった。
順調に青信号が続くので、野見宿禰神社で休憩を兼ねてお参りするが、相撲関係者らしい姿は見当たらない。
緑町公園を分割して昨年完成した「すみだ北斎美術館」は、本日も来館客が順調のようだ。
清澄通りに突き当り南下し、緑1丁目交差点で京葉道路を横断する。ブックオフ両国店が年内で閉店のため半額セール中。ちょうど探していた「個人事業者の確定申告」(定価1,300円)を250円で購入できてラッキー。
この先の両国駅周辺では総武線南側の二つのお寺を参拝する予定。
京葉道路を西進して本所警察署先から南下し、これまた何回か昼食場所でお世話になった勝海舟ゆかりの両国公園横を通過し、吉良邸跡へ来ると、折しも シーズンとあって高齢男女グループが何組も訪問中だったので、立ち寄らず西進する。
回向院裏側に当たる50番・大徳院に参拝する。立派なビルで本堂は3Fにあるが、弘法大師をお祀りする霊場は1階正面に鎮座していた。
相撲部屋が次々に現れる小路を抜けて、堅川北岸に到着、一転して東に向かう。
隅田川から順番に一之橋、塩原橋、千歳橋、二之橋、三之橋と続くのだが、前回に吉田・故小川・長塚の諸兄と堅川を歩いた際にまだ工事中だった遊歩道がほぼ完成していたので利用する。
二之橋で清澄通りに出て南下、千歳3丁目交差点でいったん左折し、46番・弥勒寺に参拝する。前述の吉田兄らとの散歩時に訪問済みで境内に見覚えがあった。
清澄通りに出てさらに南下する。
都営新宿線が地下を通る新大橋通りを森下駅前交差点で通過する。
右手先にある魚三酒場・森下店も随分ご無沙汰している。
高橋で小名木川を渡る。この両岸の3kmの遊歩道化は堅川よりもさらに進んでいてほぼ隅田川が見える場所まで完成していて、東京都のゆとりを感じた。
右手には明後日のYSC散歩で訪問予定の清澄庭園、紀伊国屋文左衛門の屋敷跡としても有名だが、本日は当然通過する。
海辺橋で仙台堀川を渡る。桜の時期には岸辺に設置された芭蕉句碑を辿るのが楽しい散歩道だ。
さらに清澄通を南下する。この先の深川には、3寺がお出迎え。
まずは、YSC散歩でも訪問済みの74番・法乗寺えんま堂。近代建築に変貌した本堂前で、未就学児の女児とその父親が会話中。「扉が開かないのよ」
「じゃあ、やってみるよ。開いたね」。村谷が杖を持参だったののに気を使って?教育用に?「お先にどうぞいらっしゃってください」との言葉に甘えてお参りした。
続くえんま堂では、お賽銭箱が悩みの種類別に十数箇所に分かれていて、それぞれに対応したご託宣が聴ける仕組みになっている。
お願い事に迷ったが、取り敢えず最近悩んでいる「ボケ防止」にお賽銭をいれると、丁寧かつ親切なお言葉を拝聴することができました。
清澄通に復帰し、葛西橋通りと首都高速深川線高架を抜けて赤札道の先から左折して、深川不動尊の参道横にある68番・永代寺に参拝した。
本来は深川不動尊の母体のお寺なのだが、参道を行き来する人たちがほとんど立ち寄らないお寺。村谷は当然、同じ回数をお参りしている。
続いて本日最後のお寺に向かう。富岡八幡宮から清澄通りに続く参道の両側にはおいしい店が続くが、魚三酒場本店、大阪屋と並ぶ門前仲町のビッグスリーの一つ、美人姉妹で名を馳せた「だるま」があり、ちょうど開店準備中の姉?妹?が一人、仕入れた野菜をすっぴんで取り込み中だったがやはり美人でした。
葛西橋通りに出てから一本裏通りに入り、小ぶりなビルの37番・萬徳院に参拝したのは午後2時40分でした。
次回は、台東区の16寺を参拝する予定ですが、谷中ではほとんど各駅停車状態のようです。
<第二回御府内八十八観音霊場巡拝(台東区)2017年12月15日(金)>
村谷は午前10時に都営大江戸線・蔵前駅から地上に出て春日通りを西進する。
本日は元浅草地区と谷中地区の2か所に巡拝先が固まっているため、効率よく回ることができる。
ただ、お寺が密集しているので、住所表示に気を付けないと通り過ぎてしまいそうだ。
寿3丁目バス停先から小路を北上し、寿2丁目の2か所のお寺から始める。 風が冷たいが右手にお杖、左手には地図を持っているため手袋が履けないが我慢する。
最初の72番・不動院は両開きの戸を開けると1階が社務所になっていてご住職から「本堂は2階です。どうぞ」とのお言葉があり、スリッパに履き替えて線香を灯してお参りした。「御朱印は?」と尋ねられたが、丁重に辞退して退出する。
当寺の弘法大師像は壮年期の逞しさに満ち溢れていた。
次の62番・威光院はすぐ傍のお寺で、こちらも入り口が両開きの木製の戸で、開くとお寺に勤務する中年女性が本堂の椅子を並べていたので「お参りさせてください」とお許しを得てから参拝した。
かっぱ橋道具街通りに続く南側が新堀通りで少し南下してから横断する。
元浅草2、3、4丁目に6か所の霊場が集中している。
南側からまずは82番・龍福院に入る。そういえば本日は「寺号」よりも「院号」で表示しているお寺が多かった。
無人の本堂とお大師像にお参りして門外に出ようとしたら、住居のドアが開いて住職の奥様から「御朱印は?」とのお尋ねがあった。都会地のためセンサーが設置されているらしい。
この後のお寺では全く人が出てくる気配がなかった。
続いて45番・観蔵院、 51番・延命院、 43番・成就院、 61番・正福院、 60番・吉祥院と、縦横300m以内に5か所が集中している。
少し西進し、78番・成就院(43番と同じ院号だが別の寺院)に参拝を終えるまで、御朱印を省略したこともあって1時間もかからなかった。
後半の谷中地区までは少し距離があるが、体が温まってきたので歩くこととする。
清洲橋通りをどんどん北上する。上野学園キャンパス横にあった三角形の小公園は、先月のYSC散歩で昼食を摂った場所だ。
昭和通りを歩道橋で越えて、言問通りに入り道なりに北西に向かう。
すぐ左手にある入谷鬼子母神では参拝客の姿がなかった。
JR線に沿って進み、鶯谷駅前を通過し、寛永寺陸橋で線路を跨ぎ超える。
左手に寛永寺の裏門が見えたが、参拝客が大勢いた。
右手先の広大な寺域を持った浄名院に立ち寄って江戸六地蔵の第六番に参拝した。本来の第六番は深川の永代寺(第1回で参拝済、御府内八十八ヶ所霊場68番札所)だが、明治初年の神仏分離で廃止されたのを引き継いだという。
上野桜木交差点で言問通りとお別れして、すぐ横の下町風俗資料館 付設展示場(旧吉田屋酒店)に立ち寄る。詳細なお寺の地図があるので、改めてその場所を確認した。
まずは広大な敷地の53番・自性院。小説や歌で知られる「愛染かつら」が生まれたのは川口松太郎が当寺にヒントを得て創作したとされ、大変立派な造りの建物群が立ち並ぶ。
続いて49番・多寶院。綺麗に手入れされた庭園が、古風な建物とよく調和している。
一本南側の通りに出て55番・長久院に参拝する。ここも落ち着いた佇まいのお寺だ。
北上して交差点の正面にあったのが63番・観智院。境内がすべて併設している幼稚園のグラウンドになっていて、高い塀で全面が囲われていて、幼稚園児とそれを迎えに来た母親たちで賑やかだった。
園児が車道にでないよう出入りするたびに鍵を閉める仕組みになっていた。
御朱印をもらうのでなければ中には入りにくそうな雰囲気だったので門外から参拝して隣接する57番・明王院にお参りした。
次は64番・加納院。どっしりと重厚なお寺だった。
本日の最後は42番・観音寺。門前に、赤穂四十七士の中の近松勘六および奥田貞右衛門の二人と兄弟だった当山六世和尚との関係で、当寺が浪士たちの会合で使われたという由緒が掲載されていた。
参拝を終えて御殿坂を下って、JR山手線・京浜東北線・日暮里舎人ライナー・日暮里駅にゴールインしたのは、まだ12時半前だった。
東京地方の最高気温が8.3℃の肌寒い曇り空の日でしたが、にわか雨にも合わず順調に霊場巡りができました。
<第四回御府内八十八観音霊場巡拝(北区、豊島区)2017年12月29日(金)>
本日の村谷は、一昨日の北区の未訪問先2寺と豊島区の5寺を参拝しました。
正午に、東京メトロ南北線・西ケ原駅に到着し、地上に出て本郷通りを東進する。
ほとんどの会社が仕事納めで、通行する車の量は極めて少ない。
YSC散歩で昼食場所に利用した滝野川公園前を通過し、滝野川消防署の先から長い平塚神社の参道を北上し、1年のお礼を申し上げてから、社殿の横の歩道を敷地に沿って南下し、中ほどの左手にあるのが本日最初の巡拝先・47番・平塚山城官寺だ。入り口は狭いが中の境内は広々していた。
平塚神社前交差点で本郷通りを横断、旧古河庭園の長い塀沿いに下ると右手に広い墓地が広がっている。
塀に沿って回り込むと59・番無量寺の山門があった。江戸六阿弥陀仏の第三番でもあり、年末ながら?年末だから?
3組のお墓参りの方々がお線香・お水・お花・お供物をそれぞれ分担しあって行き来していた。
参道を南下すると歳末の買い物客で賑わう霜降り銀座商店街に突き当たる。少し西進し、左手の染井坂をのぼる。
結構な急坂で、上り切った左手に駒込小学校。その先の突当りが本郷中・高で、右回りに半周して進むとほどなく、巣鴨駅裏のネオン街。
さらに直進して巣鴨駅前の商店街を横断し、地蔵通りに入る。とげぬき地蔵の少し手前にある名刹が33番・真性寺。江戸六地蔵の第三番でもあり、買い物ついでに参拝する人が多く、1組50円のお線香が絶え間なく焚かれていた。
山門を出て南下し、山手線に突き当たった。
線路沿いの日当たりのよい小道を大塚駅まで散歩する。忙しそうに駅方面に向かう人たちが追い抜いていく。
大塚駅で都電荒川線“さくらトラムウエイ”に遭遇した。
しばらくは今年の雑司が谷駅からのYSC散歩と逆コースを行くことになる。
途中の向原駅手前には昼食場所として使用した大塚台公園があった。
その先右手の巨大な造幣局東京支局跡の敷地はすっかり整備されていて建造物の着工を待つだけの状態だった。
首都高速5号線を東池袋交差点で潜り抜けて、雑司が谷霊園に入りトイレ休憩。
そのまま園内を通過し、小道をくねくねと南下して目白通りを横断した。
35番・根性院は、住宅街の一角にあるこじんまりしたお寺だったので探し出すのに随分骨が折れたがなんとかたどり着いた。
さらに神田川に向かって南下し29番・南蔵院に立ち寄ったが、ここは何回か参拝済み。
続く38番・金乗院は目白不動尊があることで知られていて、今秋の昭和新撰江戸三十三番観音霊場の14番寺としても訪問済みのためすぐに判った。境内には54番・新長谷寺が併設されていて、1か所で二つのお寺を巡拝できるのは、お寺の規模こそ違え四国八十八か所霊場の68番神恵院と69番観音寺と同様だ。四国遍路の際には納経料をまとめて納めたことを思い出した。
村谷のすぐ後ろから、まだ50歳代と思しき一人の男性が熱心にお参りと写真撮影をしていたので、同好の士かしらと思ったが車で立ち去って行った。
道なりに西進して、明治通りに出た時刻はちょうど午後2時。残る1寺は西武池袋線・椎名町駅傍とかなりの距離があるので新宿区の諸寺巡拝の際に訪れるつもりだったが、早く帰っても掃除の邪魔になるので続行を決意した。
そのまま北上し、千登世橋で目白通りを左折、広々した学習院の敷地に沿ってJR山手線・目白駅前を通過、南長崎1丁目交差点で山手通りを右折し、椎名町駅に到着し、76番・金剛院内にある真新しく豪華な弘法大師堂に参拝を終えたのは午後2時40分だった。
帰途に、新宿西口のICI石井スポーツで、冬用のガスボンベを購入してから家路に向かいました。
<第五回御府内八十八観音霊場巡拝(練馬区、中野区)2018年1月3日(水)>
村谷が都営大江戸線・練馬駅に着いたのは正午を少し回った頃。
地上に出て、西武池袋線と並行する千川通りを所沢方面に西進する。
豊玉北交差点で目白通りと交差し、その先の変電所前交差点で南蔵院通りへと南下する。
空には雲一つないが風が強く、手袋が欠かせない。
珍しく東側が山門の入り口になっている本日最初の15番・南蔵院に入ると、広々した境内に初詣の家族連れが数組訪れていた。
先ずは本堂横にある弘法大師像に今年初めてのお参りを行って、昨年度も数々のお陰を被ったことへのお礼を申し上げた。
本堂に参拝後、東門から退出したが、次々と参拝の人たちが門内に入っていった。
広大な寺域の南辺に沿って住宅街を西進する。表通りとは違ってほとんど風がなく暖かな日差しが降り注ぎ、お大師様に感謝申し上げた。
創立70周年の横断幕が掲げられた中村小学校の横を通過する。少し南側にあった中村寮で10年余りお世話になった村谷もほぼ同じ歳。この付近で見覚えのある風景はもはやこの小学校くらいだ。
中杉通りに突き当たってそのまま阿佐ヶ谷駅方面に続くバス通りを南下する。
鷺宮4丁目交差点で新青梅街道を横断、まだ正月三が日の最中とあって車通りは少ない。
西武新宿線・鷺ノ宮駅西側の踏切を横断すると妙正寺川に突き当たり橋を横断すると、右手が鷺宮八幡神社、左手が14番・福蔵院の北門だ。
本来は両方とも訪問すべきところだが、本日の訪問先が多いため左手のみ選択した。こちらのお寺も東側からの入門となっている。
広々した境内には村谷よりも平均して10歳以上年長と思われる男女十数人の一団が、リーダーの解説を聞き終わって退出するところだったので、会釈してすれ違った。
本堂脇にある弘法大師像⇒本堂の順に参拝して、再び妙正寺川に架かる橋の上に来たら、先ほどの一団が今度は川の解説を承っていたので横を失礼して先を急ぐ。体が温まってきたので手袋はザックにしまい込んだ。
この先は新青梅街道に出た方が判りやすいのだが、風を避けるため地図を頼りに住宅街の小道を選択した。
見覚えのある都立家政駅商店街に出たのでそのまま北進する。お世話になった?のがほぼ40年前のため、名前がわかる店が一軒もない。
駅横の踏切を渡る。村谷が居住していた当時は南側にしか改札口がなくて、たまの忙しい朝には踏切のバーを持ち上げて渡ったのだが、今は北口にも新設されている。
その北口を直進せずに右手の住宅街の小道を行く。駅へ急ぐ若い女性と度々すれ違うが、出勤日ではないので少しゆっくりめの歩調に感じられた。
野方消防署の手前で新青梅街道に出た。風はまだあるが、午前中ほどではないので助かる。日差しがある北側を歩く。
丸山陸橋で環七を横断する。独身時代には新宿からの深夜帰宅コースだった地点だ。
さらに東進し、沼袋交差点で斜めに北東方面に上がってゆく道を見つけて進むと、江古田氷川神社の参道に出たのでそのまま北上し、大勢の初詣の人たちに交じり参拝した。
隣接する2番・東福寺にお参りした。幼稚園を併設する広々した敷地があった。
江古田通りに出て南下し、新青梅街道を横断、住宅街の一角にこじんまりと建つ41番・密蔵院は本日唯一の過去未訪問のお寺だ。ご住職の息子さんらしい子供が広くはない境内で遊んでいたので早々に退出する。弘法大師像も見当たらなかった。本日訪問したほかのお寺と比べて、規模が随分違うが、歴史があるのだろうと推測した。
すぐ目の前が百観音で知られる明治寺。西国+東国+秩父の合計百観音が、一度に参拝できるお寺として知られていて、本日もお参りの方々がかなり来ていました。
少し南下し、48番・禅定院に入る。沼袋幼稚園が併設された広大な敷地と墓地を持ったお寺だ。
残る2か所のお寺はやや距離があるので、途中のコンビニでトイレをお借りした際に求めた缶コーヒー(普段は甘いので控えていて、購入したのは数年ぶり)を飲んで気合を入れる。
西武新宿線に突き当たり線路に沿った北側を東進する。
中野通りを渡り、新井薬師前駅前の踏切の先から住宅街に入っていくと坂道がきつくなる。左手の広大な敷地真言宗・東光寺の少し先に、過去のYSC散歩でも何度か訪問済みの58番・光徳院があった。敷地は広くはないが、境内に都内では珍しい五重塔が聳えているのが特徴だ。
最終の巡拝先に向かって南下、新井薬師前駅の東側にある踏切を渡って南口の商店街に出て西進、さらに改札口から南に延びる商店街を南下して、斜めに山門に続く71番・新井薬師梅照院の門前に着いたのは午後3時だった。
人気のお寺のため、あちらこちらに警備のお巡りさんたちがいて、門外まで行列が出きていたが並ぶ。
それでも約20分でお参りができた。境内に設けられた出店は、そこそこの売り上げのようだったが、急な突風な吹いてきてテントが煽られ、お巡りさんの指示で、営業を中断したのは気の毒だった。お寺のお焚き上げも一時中断の張り紙が出されていた。
初日にお参りした富岡八幡宮が、永代通りから並ぶことなく参拝できたのが村谷の35年間で初の経験だったことと比べて、寺社の盛衰ぶりが窺える。
中野通りに出て南下し、中野駅から東京メトロ・東西線に乗車して帰宅しました。
練馬区にはもう1か所、70番禅定院が石神井池の傍にあるのだが、かなり距離があるので別途に訪問する予定です。
<第六回御府内八十八観音霊場巡拝(新宿区)2018年3月6日(火)>
好天に恵まれて、村谷は久々に上記の歩きを再開しました。
午前10時過ぎに、都営大江戸線・中井駅に到着。駅裏にある24番・最勝寺に参拝する。
正面に「ちばプロダクション」の社葬の掲示が出ていて、喪服姿の人が次々に受付に向かうが、村谷は本堂に直行する。
山手通りに戻って南下し、東京メトロ東西線・落合駅がある上落合2丁目交差点で早稲田通りに左折する。
都バスの車庫がある小滝橋交差点で通りが鋭角に左折、一本裏通りにある85番・観音寺に参拝する。
階段を上がった2階に本堂があった。
高田馬場駅前を通過。
左右にラーメン屋が目立つが、馬場口交差点で明治通りを横断してからは景色が一変して古本店がちらちら出現し、学生街らしき雰囲気が出てきた。
西早稲田交差点でいったん早稲田通りと別れて、西門から早稲田大学の構内に入る。東門を出てすぐ横を見ると、本日三番目の52番・観音寺だった。地図に表示がなく番地が頼りだったが見つけることができて一安心。鐘と賽銭箱以外はビルだった。
都バスが発着している正門に出て、南門通りを南下し、馬場下町交差点で早稲田通りに復帰する。
少しだけ戻って、穴八幡宮に隣接する30番・放生寺に参拝する。江戸33観音の第15番でもあり、また旧西早稲田クラブがあったころには始終参拝したお寺だ。
老婦人姉妹が参拝中で、姉?が「ここは御府内八十八か所の一つなのよ」と妹?に説明していた。
すっかり汗をかいたので上着をザックにしまってから、早稲田通りに復帰する。先ほどまでは日向歩きだったが、この先は日陰を求めて歩くことにする。
東京メトロ・早稲田駅前を通過し、坂道を上り、弁天町交差点で外苑東通りに右折する。
左手の31番・多聞院に入る。YSC散歩でも訪問済みで、落ち着いた佇まいのお寺だが、ここにも弘法大師像がない。その後もお目にかかれず、新宿区内では出会えることがなかった。
市谷柳町交差点で大久保通りに左折し、坂道を上る。
牛込神楽坂駅のすぐ上、22番・南蔵院に入った。門前の河津桜が見事に咲いていて、若い女性が撮影していた。
いったん西に戻り、牛込北町交差点から南下する。この付近は、箪笥町、細工町、納戸町、鷹匠町など江戸期からの伝統ある町名が続く。
牛込第三中横から坂を下り、DNPと防衛省の広大な敷地を通過して、市谷見附交差点で外堀通りに出て南下する。ちょうど昼時、左右の店にはサラリーマンたちの行列ができている。
四谷駅前で新宿通りを右折する。右手の広大な空き地では、UR都市機構が大規模開発中。
四谷2丁目交差点から須賀神社参道に入り、四谷小学校裏の寺町にたどりついた。
くねくねした裏道を地元の案内板と手持ちの地図で照会しながら、18番・愛染院、21番・東福院、39番・真成院、83番・蓮乗院、44番・顕性院の順に参拝し、午前11時過ぎに、東京メトロ丸ノ内線・新宿三丁目駅にゴールインしました。
坂を何度も上り下ったご褒美として、サイゼリヤでワイン付ききのこハンバーグランチを久々に摂りました。
残る札所もだいぶ少なくなりましたので、近日中に参拝する予定です。
<第七回御府内八十八観音霊場巡拝(中野区、渋谷区)2018年3月22日(木)>
村谷は午後から予報通り天気が良くなってきたので出発。本日は中野区の残り一か所と渋谷区の4か所中の北側3か所のお寺を廻る。
午後2時半に都営大江戸線・中野坂上駅に到着、地上に上がって裏道伝いに西進すると、宝仙学園の中高生女子たちとすれ違う。
12番・宝仙寺に裏門から入った。現役時代には葬儀で度々訪れた広大な敷地のお寺だが、本日はがらんとしていた。
本堂横には若き修行大師像がどっしりと立つ。境内の桜はまだ3分咲き。
山門を出て青梅街道を左折し、中野坂上交差点で山手通りの右折する。
長者橋で神田川を横断、まだ桜の開花状況は今一つだ。
さらに清水橋交差点で方南通りを渡り、初台リハビリテーション病院を半周して小路をくねくねと進み、11番・幡谷不動・荘厳寺に参拝した。甲州街道に近い名刹で歴史が古い。当寺を含めてこれ以降のお寺には弘法大師像は見られなかった。
山手通りに復帰し、初台交差点でいったん甲州街道を東進、次の信号を右折して西参道に入る。
参宮橋で小田急線を跨ぎ超えて、西参道から久々に明治神宮に入り参拝した。平日ながら参拝客が多かったが、飛び交う言葉は日本語があまり聴こえてこない。ついでにきれいなトイレをお借りした。
北参道から出て、JR線を跨ぎ越え、いったん明治通りへ右折し、すぐ先から千駄ヶ谷の住宅街に入った。
藤井聡太六段と糸谷哲郎八段が王座戦第二次予選を対局中の将棋会館のわきを通過し、高台に広大な墓地がある10番・聖輪寺に入った。
無人の本堂でお参りして退出し、道路工事が盛んな外苑西通りを観音橋交差点で横断、目の前で工事中の国立競技場は、観覧席の外周がほぼ出来上がっていた。
今は取り壊された霞ケ丘団地交差点先にある9番・龍巌寺は小さな禅寺で、YSC散歩時には通過したお寺だ。
境内には年季が入った木造の住宅と畑や木々が自然の姿で、まるで秩父のお寺のように収まっていた。住職ご夫婦が畑作業の真っ最中だったが、奥様が「お参りですが?ありがとうございます」と声をかけていただく。畑の真正面からは、建設中の国立競技場と選手用施設の全貌が見渡せる絶好の場所だ。
門外に出て坂道を下り、外苑西通りに出て、都営大江戸線・国立競技場駅に到着したのが午後4時半、本日は2時間の巡拝でした。
<第八回御府内八十八観音霊場巡拝(練馬区、板橋区)2018年3月29日(木)>
村谷は満開の桜鑑賞を兼ねて石神井川に沿った練馬区と板橋区で遠隔地で未訪問だった4か所を巡拝しました。
午後2時半に西武池袋線・石神井公園駅に着き、中央口から公園通りに入る。通りは平日とは思えない人出で、行き交う歩行者が絶え間ない。
石神井池入り口付近も、池を散策する人、ボートに乗る人、ベンチで休憩する人などでごった返している。
霊場巡りの村谷は公園の中には入らず、南辺にそった公園通りを下ると、旧道「練馬道」の標識板がある豊島橋交差点に出た。
練馬道はほぼ現在の新旧早稲田通りがその道筋らしく、江戸時代には練馬特産の大根をはじめとする野菜類を農民が台車などで川筋まで運んだ通りでもあったらしい。
右手に第70番・禅定院の山門があったが閉まっていたので地図を広げていると、折よくそこに桜散歩中らしい白髪の男性が出現、「入り口は少し先にありますよ」とを声をかけていただき、四国遍路でもたびたびあったありがたい体験の数々をを思い出す。
広い境内に咲く五本の枝垂れ桜がちょうど満開だった。弘法大師像は、ほかでよく拝見した青年期や壮年期の力強い歩き姿ではなく、一部が欠け落ちた石造りの古風なお姿で、よそでは見られないものだった。
旧早稲田通りに沿って進み、石神井小学校前交差点の先にはまずは三重塔が目立つ武蔵野三十三観音霊場2番道場寺、続いて第16番・三宝寺がお出迎え。
YSC散歩でも数回は訪問済みだが、池に沿って南下していたので、初めて山門から入った。
広大な敷地に建つ数々の建物はどれも見事な造りで、いくつもが区の文化財に指定されている。
境内では公園散歩の延長で訪れた人たちが、桜と建物のコラボレーションを楽しんでいた。
続いて、石神井川の畔に向かうが、年度末に特有?な河川工事のためなかなか接岸できず、石神井小学校前の交差点まで戻った。
角にあるJA支店では、特産の野菜などが売られていたが、本日はザック持参ではないため買い物は行わず通過し、やっと石神井川畔に出た。
期待通り、まさに見ごろの桜が両岸に展開している。先週土曜日のYSC散歩時に板橋から王子の下流部を訪れた時のにまだ、十歳の乙女だったが、今や三十路半ばから四十路の年増状態と判定。
行き交う老若男女は、堤防沿いにそぞろ歩き、岸辺にシートを広げて座り込み、橋の上で写真撮影など思い思いに鑑賞中。
長光寺橋で笹目通りに上がると、橋の横の長光公園では幼児や小学生を連れた若い母親たちで込み合っていた。
通りを北上し、練馬高野台駅横の西武池袋線を潜り抜けると、小学校跡地を活用した順天堂練馬病院。
五つ先の信号の東側から続く長い裏参道から入ると、堂々たる建物と広い墓地を有する広大な第17番・長命寺。
本堂の正面にある南側に立派な山門があった。観音堂などの建物がいくつもあり墓所も広いようだ。
門外に出て午後3時半、残る板橋区成増の霊場を目指すのはこのまま笹目通りを北上すれば良いのだが、本日は夏日の予報だったので次回に回そうと歩いていると目の前に高野台1丁目のバス停があり、5分後に成増駅南口行きのバスが来るという。
真夏日との予報に免じて許していただき、現代の交通機関を利用する。
定刻通りに着いたバスに乗って30分、光が丘駅前を経由して成増駅南口に到着した。
そのまま北口に出て駅前の西友でペットボトルの買い増しを行い、尾根筋に北上する成丘通りに出る。
広大なグラウンドが目に付く赤塚第二中と成増ケ丘小の通学路を北上し、宮前公園前交差点で三園通りに突き当たりそのまま左折する。
本日最後の第19番・青蓮寺に到着したが時刻はすでに午後4時半、開門時間が午前9時から午後4時までとあって入れず、門外からお参りしました。
枝垂れ桜が何本も咲いていて魅力的な光景を近くで観察できずに残念。通りがかった同年配の男性が、カメラを片手に「葉と花がまじりあった桜の景色が素敵ですね」と声をかけていただいたので、同意しつつ、次回の訪問を誓った。
三園通りを下って、都営三田線・西高島平駅にゴールインしました。
本日は、冷たいお茶2本と「昭和の黒かりんとう」の力を借りて、飛び地の霊場が参拝できました。
<第九回御府内八十八観音霊場巡拝(港区北部)2018年4月19日(木)>
村谷の本日は午後から新宿に所用があり、帰途に赤坂見附駅スタートで港区の北半分の霊場を巡りました。
午後2時40分、新宿から東京メトロ・丸の内線で9分、赤坂見附駅に下車し、エレベーターで地上に出て、ベルビー赤坂を通過し、一ツ木通りに出た真正面が75番・赤坂不動尊威徳寺の入り口だ。
場所柄か寺は堂々たる高層ビルだが、1階入り口を入った左手正面は広い本堂が設置されていて、鐘を鳴らして参拝し退出した。
一ツ木通りを南進し、少し先から左折し、長い緩やかな坂を上っていく。本日はこの後も坂の上り下りが続く。
突き当りを右折し、すぐの信号を左折して稲荷坂を下るとすぐ左手に、一見普通の住宅風だが、よく見ればお寺だとわかる81番・光蔵院があった。
土地柄か入り口はがっちりとSECOMで警備されていて、参拝するためにはインターフォンを鳴らさねばならないが、御朱印を頂く予定もないので門外から一礼し済ませた。
どのどん坂を下って突き当たり、そのまま右折する。カンボジア大使館横を通過し、外苑東通りに出て左折し下る。
気温が上がり、汗を掻いてきたので左手のコンビニに入店し、ペットボトルのお茶を購入、十人以上が一度に座れるスペースがあって、半分ほど埋まっていたイートインで流し込んだ。
道の左手に緑がずっと続く乃木神社・乃木公園の中では、暑さを避けて休憩中の人たちが目立つ。
東京ミッドタウンの西端を通過、信号待ちしていた長身・痩躯で美肌の彫の深い顔立ちの白人女性は、なかなか新宿当たりではお目にかかれないレベルだった。
ベビーカーを押して通る母親たちもまた、ファッショナブルだ。
六本木交差点を横断し、さらに南進する。ドン・キホーテの横から左折し、建物の間にあったビルが6番・五大山不動院。
こちらもSECOMでしっかりとガードされていた。
外苑東通りに戻り、六本木交差点を左折し。六本木通りを西進する。六本木6丁目交差点で、今話題のテレビ朝日通りに左折し、坂道を下っていく。
六本木ヒルズの西端を通過し27番・瑠璃山正光院、に入った。六本木とは思えないほど普通の地味なお寺、出入りは全く自由だった。
背広姿の若い男性が境内で携帯電話中、門前ではアフリカ系らしい女性二人が柱に寄りかかっておしゃべりしていた。
さらに通りを南下すると、お巡りさんの数が急に増えてきて中国大使館の正面を通過する。
愛育病院と麻布中高校の間の木の下坂を有栖川記念公園の北側と並行して下る。仙台坂との分岐から新坂を下ると、以前のYSC散歩で昼食場所としてお世話になった本村公園が右手の丘の上にあった。
イラン大使館横を通過し、5番・金剛山延命院に入る。小規模で簡素なお寺でした。
すでに午後4時半を回っていたので、本日はこれまでとして、明治通りを横断し、都営三田線・東京メトロ南北線・白金高輪駅から帰途につきました。
残る南半分は明日の午前中に巡拝する予定です。
<第十回御府内八十八観音霊場巡拝(港区南部・目黒区・品川区)2018年4月20日(金)>
夏日が予想されるため午前中に終えることを目標に歩きました。
村谷は9時40分、都営三田線・内幸町駅に到着、地上に出るとすでにさんさんと太陽が照り付けていたので、極力日陰を歩くことにして、まずは外苑東通りを建て替えが発表された霞が関ビル方面に向かう。
西新橋1丁目交差点で、愛宕下通りに左折する。大きなスーツケースをガラガラと押して歩いている若い白人男女グループと横断歩道ですれ違った。
地上36階建てに建て替えられた虎ノ門10森ビルの横にも高層ビルが建築中。
愛宕1丁目交差点の角の大きなビルの2階が、67番・真福寺の本堂があった。
お参りを済ませてから交差点を渡り、裏小路にある20番・身代山鏡照院に参拝する。
小ぶりな4階建てビルの1階にある本堂は奥のご本尊までずっと見渡せる庶民的な造りになっていて、お堂内には千羽鶴が飾られていた。
再び愛宕下通りに出て南進する。ビル街が切れたが芝公園に入り日影が続いてラッキー。
公園でトイレ休憩として、水とチョコレートを補給した。
東京プリンスホテルを半周し、赤羽橋交差点で桜田通りと合流した。
三田通交番前信号を渡って、慶應義塾大学の敷地に隣接する13番・高霊山龍生院のビルの1階正面から入ると、若くてきれいな受付嬢がお二人いた。
「いらっしゃいませ」
「御本堂は何階ですか?」
「御朱印でしょうか?」
「いえ、ご参拝だけですがよろしいでしょうか?」
「それならば左手奥のエレベーターで3階へどうぞ」
とお参りを済ませました。ちょうど墓地入居者を大募集中でした。
日差しを避けて桜田通りには直接戻らず、左手から巻くこととして、坂道を上ると、長く高い塀に囲まれたイタリア大使館の建物が続く。
突き当りが綱町三井倶楽部のやはり高い塀だった。
この付近が渡辺 綱の誕生の地だったようで、両側が濃い緑の木々に囲まれた急な綱坂を下る。風が心地よく夏にはぴったりの坂道だ。
慶応義塾大学とハンガリー大使館が向かい合う道を通過し、三田4丁目交差点で再び桜田通りと合流した。
通りの左側が寺町になっている。
最初は80番・太元山長延寺で、狭い門の正面に「御朱印」と「ご参拝」と書かれた表示があって、「ご参拝」は入り口でお賽銭を上げるだけで、本堂には入れない。
続く69番・龍臥山宝生院は入り口がSECOMされていて、中には入れない。
次の65番・明王山大聖院もマンションの玄関と同じ作りになっていて、これまたSECOM方式だった。
交通激しい幹線道路に面しているのでやむを得ないのだろう。
残る一つは一本裏道に面しているようなので、狭くて急な幽霊坂を上ると、道の両側に10か寺ほどのお寺が並ぶ。
簡素な木造の84番・五大山明王院でようやくゆっくりとお参りすることができた。
また、桜田通りに戻り、白金1丁目交差点で白金高輪駅に出て、さらに坂道を下る。
目黒通りとの分岐点・清正公前交差点で天狗坂に左折し旧中原街道の尾根道に出た。
東海大学高輪キャンパスの敷地に沿って南進し、高輪警察署の先から1番・高野山東京別院に入ると、本堂は大改修中ですっぽりと覆いが被されていた。
これで港区内の霊場は全て参拝し終えたが、まだ目黒区と品川区にもそれぞれ一か所ずつ未訪問先が残っている。
距離的に近い目黒方面を選択し、再び高輪警察署前交差点に戻り坂道を下る。明治学園前交差点で桜田通りを横断し、白銀小学校わきから坂道を上り目黒通りに出た。
目黒駅近くの4番・高福院への参拝を終えたのは、ちょうど正午だった。
ランチタイムで込み合う人出をかき分けて、目黒駅から山手線に乗車し品川駅乗り換えで京浜東北線・大井町駅に着いたのは12時20分、やはり電車は早いものだ。
大井町駅南側にある東大井の東芝中央病院の裏側に当たる26番・来福寺にたどり着いた。
ゆったりとした境内で、本日初めて弘法大師像にも参拝できました。
ベンチで靴下と背中のタオルを交換・収納し、水を飲んで本日の歩きを終了したのが12時40分でした。
参道を出ると第一京浜に突き当たり、そのまま南下し、すぐ左手にあった京浜急行・立会川駅に到着し、駅前でチラシを配っていた「本格的インド・ネパール料理ハニーナンハウス」に入店、ボリュームたっぷりのBランチで締めました。
<第十一回御府内八十八観音霊場巡拝(杉並区・神田川中流部)2018年8月17日(金)>
猛暑が小休憩した日、村谷は飛び地のうちの一か所を参拝した。
目的の一か寺は方南町駅から近いのだが、中野坂上駅から神田川をめぐるコースを追加し午後2時に出発。
昨日までとは打って変わって湿度が低くて歩きやすい。
山手通りを南進し、右手にある広大な敷地の成願寺を初めて参拝する。紀州熊野から江戸に出て中野一帯を開拓し「中野長者」となった鈴木九郎の屋敷跡に建てられた名刹で、いくつかもの立派な建物が点在している。本堂の両脇に大きな木をくりぬいて作ったベンチが置かれているのは初めて見た光景だ。十二社も故郷の熊野神社から勧請したという。
中野長者橋で神田川に出る。
右岸が日陰になっていたので選択、人や自転車に度々すれ違った。
真っ赤な新橋の横が中野新橋駅。流れが方向転換して日影がなくなってしまう。
中野通りを越えて佼成病院の近くに来ると左岸が日陰になった。
東京メトロ中野工場の先で善福寺川の分岐点を通過し左折する。
方南通りを横断し、江戸三十三観音霊場の17番でもある寶福寺と隣接する多田神社を再訪した。
川筋に戻り西進、環状七号線を横断する。
弁天橋で神田川と別れて坂道を上る。
高台にある88番・文殊院に到着した。境内はやや狭く建物も簡素だった。
御大師様の石像に本日の無事走破のお礼を申し上げて退出した。
弁天橋を横断し、方南通りに出て右折、方南町駅に着いたのが午後3時半だった。
神田川の橋が随分新しく整備されていたのが印象に残った。
残りは日野市の長楽寺と蓑毛の仏乗院の2か所です。
<第十二回御府内八十八観音霊場巡拝+七生丘陵東コースウオーキング(多摩動物公園駅〜百草園駅)(杉並区・神田川中流部)2018年11月2日(金)>
村谷は午前10時半、好天の京王多摩動物公園線・多摩動物公園駅に下車。子供連れや若い男女ペアの中に唯一リュック姿の浮いた存在で目立つ。
多摩都市モノレールの高架をくぐるとすぐ目の前に、頑丈な鉄柵に囲まれた広大な敷地の25番・六所山長楽寺があった。
開門は午前九時から午後四時までで、月曜日は閉鎖されている。監視カメラとセンサーがあるようで、一歩入るとベルが鳴った。
急坂を上り寺務所へ向かうと入り口に弘法大師像があったので、久々にお参りする。
本堂へお参りするためには、寺務所を通る必要があるらしく省略し、霊場参拝者用に玄関前に設置されたもう一つの弘法大師像にお参りしてから退出した。再びベルの音がした。
残った第七十七番札所・仏乗院は秦野市・蓑毛にあるため改めて参拝することとして、駅横に七生丘陵東コースの入り口があるので、久々に挑戦することとした。日差しが強いので持参したサングラスを取り出す。
多摩動物公園駅の南側に沿って、住宅街の急な坂道を登りつめた突き当りが明星大学の広大な敷地だ。
校舎を囲む高い塀に沿って東進する。
正門前に、本日から日曜日までの三日間、学園祭が行われるという表示があったが、まだ午前中だったためか何の動きも感じられなかった。
児童遊園前から坂道を下ると、右手正面に木の階段が現れた。土の遊歩道が始まる地点が富士山が見える絶景ポイントだが、天気が良すぎて見られない。散歩に来ていた幼稚園児と前後しながら、道を譲ってもらい先行する。日野第三中学校の敷地に沿って進む。
途中でリュック姿の同年配の男性5人とすれ違ったが、女性には人気がないコースのようだ。
舗装道路に降り立ってさらに進む。
YSC散歩でたびたび使用した百草台自然公園で昼食休憩を摂るつもりだったがあいにく清掃中。
「全国合唱コンクール六年連続金賞受賞」の表示がある七生緑小学校前を通過し、三角点公園のベンチをお借りした。
持参のお湯を温めなおし、やきそばを作成、温泉卵とともに、缶チューハイで、色づき始めた銀杏を鑑賞しながら食した。
昼休みに入った小学校から、生徒たちの話し声が聞こえてきた。
百草八幡神社に参拝し、百草園は省略して、百草園駅にゴールインした。
結願となる蓑毛の仏乗院へは、菅笠・白衣・金剛杖姿で参拝する予定です。
<第十三回御府内八十八観音霊場巡拝(秦野市蓑毛)結願 2018年11月23日(金&祝)>
小春日和の好天に後押しされて、村谷は標記の札所を参拝して結願しました。
家を出てから約2時間、午前9時過ぎに小田急小田原線・秦野駅改札を通過した。
ホームのベンチでリュックを広げ、白衣・頭陀袋を着用し、金剛杖を手に持った。菅笠は大きすぎるので省略したが、結願に備えての正装だ。
富士山と大山が快晴の空に大パノラマを展開していて、駅構内をバス停に向かう女性たちからは感嘆の声がしきりだった。
祝日とあって大勢の山登り客に交じりながら、改札前の小田急OXで飲み物を買い込んで出発する。
目指すは、御府内八十八か所で最後に残した仏乗院だ。
大山登山ではおなじみの蓑毛バス停から程近くにあるが、遍路にふさわしく歩いて参拝することとし、久しぶりに昭文社・山と高原地図「28丹沢」を持参した。
大山橋で金目川を渡り北進する。
いったん左折し蓑毛経由ヤビツ峠由紀バス通りに出る。
246号線を横断する名古木(ながぬき)交差点前にあったセブンイレブンの店舗裏で、サイクリストたちに交じって水飲み休憩とする。日差しが強いのでサングラスを装着した。
ここからは関東ふれあいの道にも指定されている登り道が始まる。
休日のためか臨時便が多いらしく、何台ものバスに追い抜かれすれ違うが、歩くしかない。
たわわに実った柿や柚子、夏ミカンが続く。野菜の直売所も左右に沢山設置されていて、若いお母さんが何か所も見比べて購入していた。
紅葉もそれなりに進んでいて、コスモスや十月桜、ススキに冬の椿などが乱立?乱咲き状態だった。
「11月23日実朝まつり」の幟が続いていたので、帰りに立ち寄ることとした。
1時間余りで小蓑毛バス停に着いた。
この先は歩道がないので白線が頼りだ。傾斜も一段ときつくなる。
10時半に蓑毛バス停に到着した。大山が目の前にドシーンとお出迎え。
ここでバス道路とは分かれて、阿夫利神社下社に向かう登山道だ。YSC散歩(山歩)でも何回か逆に下ったことがある道だ。
五百メートルほど上った先の左手に相生山・千元院の看板があり、御府内八十八ケ所・第七十七番札所高嶋山・仏乗院の御朱印を代行している旨のポスターがあった。
仏乗院はバブル華やかなりし昭和六十二年に港区三田の寺町から当地に移転したお寺で、現在は千元院が建物を管理しているとのことだった。
お堂に参拝する。東京に出てきてから五十年、今年夏に逝去された同期の青木君・篠原君はじめ交流があって逝去された諸兄姉のご冥福を祈った。
まだ11時前なので、久々に山道に挑戦しようと思い、蓑毛越までの急坂を目指した。
月1回目標の高尾山健康登山を、不安定な天候のせいにしてさぼってきたツケが回って、息が苦しく足取りも重い。
何とか蓑毛越の休憩所まではたどり着いたが、阿夫利神社下社や浅間山は次回に繰り延べして蓑毛バス停に戻った。
バス通りを下る。先ほど登りの途中で見かけた青年橋バス停そばにある「自然観察の家」に立ち寄り、古民家を再建した広い広場の一角にあったベンチに腰を下ろして昼食休憩とした。
先ずは背中のタオルを取り去り靴下を脱ぎ去り、裸足になる。心地よい風とあたたかな日差しを受けて快適だ。
持参のバーナーで島田屋の焼うどんを炒めながら、キュウリのキューちゃんをつまみに、ライム割り焼酎ロング缶を開ける。ちょうど正午のチャイムが聴こえてきた。
駐車場に隣接したトイレを借りに来た地元のご夫婦から、白衣の「同行二人」との関係を尋ねられ、この先の仏乗院が江戸の八十八か所の一つとされたいわれを説明して驚かれた。「大日堂などいろいろといいお寺や神社がありますよ」と親切に教えられてお礼を申し上げた。
藤棚バス停の手前の信号を左折し、本日開催の「実朝まつり」の会場に向かう。
鎌倉幕府第三代将軍・源実朝公御首塚がある田原ふるさと公園は、広大な敷地いっぱいに駐車場・農産物直売所・各種模擬店などが設置されていて、大勢の地元民で溢れかえっていた。
お茶席でお饅頭とお抹茶を頂戴してから退出する。
会場を出て、秦野駅方面に下っていくとちょうどバスが来たので乗車し、駅に到着すると午後2時15分発の快速急行に間に合って帰宅しました。(完)
このページのトップに戻る
前のページへ 次のページへ
.
.
★2017年12月2日開始の「御府内八十八ヶ所霊場めぐり」
…寺社の案内は、その道に詳しい「猫の足あと」さんのページにリンクさせていただきます。