台湾・台北、 十分 ・ 九 イ分 ・ 平渓線
(2017年5月21日〜24日)
「高山青(阿里山的姑娘)」の歌(You Tube)…この歌を聴きながら、別ページでこのページを閲覧すると、台湾滞在気分 (^^♪
★2019年11月〜12月 台湾・台北 猫空 ・ 九 イ分 散歩のページへ
★2018年 5月 台湾・台北 慈湖・石門水庫・大渓老街 散歩のページへ
★2016年 3月 台湾・台北 猫空・野柳地質公園・陽明山公園 散歩のページへ
★2013年11月 台湾・台北 烏来 ・ 九 イ分 ・ 北投温泉 ・ 淡水 散歩のページへ
★2009年3月 ほぼ?台湾一周 散歩のページへ
★2008年5月 台湾・台北 九 イ分 散歩のページへ
瑞芳車站 裏?口↓
【旅程概要 田幸記】 台北の地図(TAIPEI NAVI) 台北の地図(画像)
★5月21日(日)
成田空港第2旅客ターミナル キャセイパシフィック航空チェックインカウンターC・D、集合13:30 野呂・田幸・村谷・山内の4名。
成田空港発 15:40 キャセイパシフィック航空(國泰航空) CX451便
台北桃園國際空港第1ターミナル着17:25(日本時間18:25)
入国前に両替を済ませ、入国審査カウンターを通過し、税関を抜けるとH.I.S.など日本の旅行会社の代理旅行業者・三普旅行社などが運営する・ナルワントツアーのガイドがお出迎え。混載送迎バスで「喬美旅店」(「チャーミングホテル」)⇒改名し、現在は「洛碁三貝茲飯店」(グリーンワールド トリプルベッツホテル)へ
なお、2017年3月桃園機場捷運(桃園空港MRT」)が開通し、空港と台北車站が電車で結ばれました。
…喬美旅店チェックイン後、焼酎・黒霧島を1本を持って(台湾のローカル食堂・庶民的飲食店は、飲み物の持ち込み O.K)、 熱炒 (台湾式居酒屋) 「小龍飲食」で夕食…(「ファミリーマート」)「全家便利商店」で悠遊カードにチャージし…ホテル
台湾観光協会 のページ
「地球の歩き方」 のページ
4travel. 台湾旅行 観光ガイド」
台湾情報サイト 「Taipei Navi 」
H.I.S.のページ
H.I.S. 台北支店のブログ
「喬美旅店(チャーミングホテル)」 泊
★5月22日(月)
※野呂はJR2万キロを ほぼ完乗した“乗鉄”さん。今回の台北旅でも平渓線乗車を楽しみにしていました。
ホテルで朝食後、… 京華城前… 台北捷運(台北メトロ) MRT・南京三民站(駅)〜MRT松山站…地下連絡路・地下商店街…臺鐵・松山車站
松山站で「平渓線1日周遊券」(「ナカジマチカ」さんのページ)購入
※臺灣鐵路管理局のトップページ
※参考:台北から瑞芳まで電車で行き、瑞芳から 九 イ分 へ バスで行く行き方
悠遊カードを使って松山站〜瑞芳站…瑞芳站の悠遊カードの読み取り機にタッチして、平渓線月台(ホーム)横の出口、北口?裏口?を出て瑞芳老街散策…
「平渓線1日周遊券」を使って瑞芳站〜十分站(「ナカジマチカ」さんのページ)…十分瀑布など十分観光、「十分好吃 内山鶏腿飯」で昼食
…十分站〜青桐站…駅周辺を散策…平渓線・青桐站〜瑞芳站(「ぺたぺた台湾とりっぷ」さんのページ)
平渓線ホーム横の出口を出てすぐ右の階段を下り、線路下の連絡通路を通り南側の正面口?へ…警察署のすぐ先にある 瑞芳站バス停から金瓜石行きバスに乗り〜約20分〜舊道(九 イ分 老 街)バス停下車
…九 イ分 観 光(画像)…(九 イ分)好望角(珈琲館)(「レモンハートの部屋」さんのページ)でお茶や台湾麦酒を飲みながら眼下の景色を楽しむ。
※九 イ分 観 光
…「九 イ分 茶 坊」前…「阿妹茶酒館」前…「悲情城市」前、「昇平戯院」前、「九戸茶語」前…九 イ分 派出所バス停〜金瓜石行きバスに乗り〜約10分〜金瓜石バス停下車、…金瓜石観光
…金瓜石バス停から忠孝復興站行き1062番バスに乗り〜約70分〜松山站バス停下車…松山慈佑宮、参拝…饒河街観光夜市散策、福州世祖胡椒餅など買い食い
…南京東路…南京三民站前…「佳徳糯餅」で鳳梨酥(パイナップルケーキ)を買う…八徳路で山内が見つけた魯肉飯などを出す小食堂で、山内がすぐ近くの「好頂超市」で冷えた臺灣ビール(缶)を買って持ち込んでの夕食…頂好超市で悠遊カードを使ってお買い物…ホテル
「喬美旅店」 泊
★5月23日(火)
ホテルで朝食後… MRT(以下、略)台北小巨蛋站〜中山站、乗り換え〜圓山站…孔子廟、参拝…保安宮、参拝… 鄰聖苑 (保安宮花園)の記事がある「and Taiwan」さんのページで休憩
…圓山站〜士林站…士林站バス停〜紅30番バス約10分〜故宮博物院(正館)バス停…野呂・村谷は故宮博物院入館・鑑賞
田幸・山内は… 至善園 へ、あずまやで合流。
…故宮博物院バス停〜紅30番バス〜士林站バス停…士林站〜雙連站
…民生西路…寧夏観光夜市通りにある「?鬚張 美食文化館(フーシュィジャン・ルーロウファン、FORMOSA CHANG)」で小昼食…迪化街…霞海城隍廟、参拝。
「湘帝蔘茸」(「Pane e Dolce 」さんのページ)などでど台灣芒果乾(台湾産愛文マンゴーの柔らか乾物)・カラスミ・烏龍茶などを買う
… 「湘帝蔘茸」の記事がある「Cheeky's Gardenさんのページ」
…台北地下街 Y21出入り口…Y區 地下商店街…Y4出入り口から臺鐵・台北車站 1階ホールへ
…板南線・台北車站〜龍山寺站…龍山寺、参拝…華西街観光夜市…青山宮、参拝…龍山寺站、〜西門站、松山新店線に乗り換え〜中正紀念堂站…中正紀念堂・蒋介石像、衛兵交代(YouTube)など見学
…「杭州小籠湯包」で小籠湯包各種を食す。
…小籠包の名店・「鼎泰豊(本店)」 前…淡水信義線・東門站〜台北101/世貿站
…台北101展望台には登らず、台北市政府ビル内台北探索館に入らず…市民廣場…國父紀念館・中山公園で休憩
…工事が止まったまま放置されている台北大巨蛋前…國父紀念館站、板南線〜台北車站、淡水信義線に乗り換え〜中山站
…「青葉 台湾料理」で、台湾一周旅で来台中の宮本大兄・山本大兄と合流し、夕食・懇談…中山站〜台北小巨蛋站 …ホテル
「喬美旅店」 泊
★5月24日(水)
ホテル発9:10、混載送迎バスで〜中山國中站そば・「EVER RICH DFS(昇恒昌免税店) 民権店、2019年6月30日閉店」に立ち寄り、ついでに榮星花園散策…桃園国際空港
台北発13:00(日本時間14:00)発のキャセイパシフィック航空 CX450便、なれどナント3時間半遅れ、「飲料・點心券」150元をもらい、ビールを飲みました。
成田空港17:20着予定のところ、着地20:16→税関出場20:55でした。
※今回の旅は、H.I.S.の「キャセイパシフィック航空で行く 市内観光又は自由行動から選べる! 台北4日間スタンダードクラスホテル」の2日目・自由行動選択で出かけました。
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【村谷のレポート】
<5月21日(日)台北探訪第1日目(成田国際空港〜台湾桃園国際空港〜台北市・喬美旅店宿泊)>
今回はキャセイパシフィック利用につき、成田空港・第2旅客ターミナルビル3階に野呂・田幸・村谷・山内の4人が集合した。
CX451便は15:40分発と余裕の旅につき、手続きは急がない。
田幸と村谷がキャリーケースなので、それぞれ液体などを融通・格納してからチェックイン。
並びの席が欲しかったが満席で別れ別れの席になりました。
搭乗待合室で、好みのアルコール飲料を舐めながら、行程を再確認。
搭乗後は機内食とアルコール飲料をいただき、くつろぎながら順調な飛行を楽しむことができました。
ほぼ定刻に、台湾・桃園空港に到着、今回が4度目の村谷は窓から見下ろした地形がなんとなく理解できたようだった。
第一旅客ターミナル内の銀行で両替を済ませたのち、入国審査・税関を無事通過、H.I.S.の掲示板を持った「ナルワント(“こんにちは”の意)」と書かれたオレンジ色のベストを着用したガイドさんに声をかけ、ツアー客20人ほどが送迎車に乗り込んだ。
ホテルにチェックインし、速やかに夕食へ出かける。
田幸が下調べしてくれていた徒歩1分の「小龍飲食」(「食べ台湾」さんのページ)に入店する。
当地では、庶民派の店はビールも置いていない店が多いが、この店ではビールは置いてあり、その他のアルコール類の持ち込みはO.Kで、わずか20元(約80円)で氷とコップを提供していただけるので、持込みの黒霧島を堪能する。
料理は低価格で、味は高水準。特に売り物の「四川怪味鶏(四川風チキン)」にかけられた緑色の韮?葱?バジル?生姜?ニンニク?を叩いて作ったドレッシングが抜群でした。
あれこれ頼んで満腹になり、支払いは文句なしに安かった。
また、照明も明るくて広々していて、日本語のメニューもあり、内容のボリュームも文句なしでした。
明日からの旅に備えて、ファミリーマートでプリペイードカードの悠遊カード(日本のスイカ、パスモとほぼ同機能)にそれぞれ500元ずつチャージし、ついでに缶ビールと氷も購入した。
部屋に落ち着き、シャワーで汗を流してから幹事部屋に集合し、山内提供の宮崎県都城市産のイモ焼酎と野呂提供のタラの干物をはじめとする豊富すぎるつまみの一部を堪能して、初日の台北の夜を締めました。
なお、連泊したホテルの名前は、漢字では「喬美旅店」で、英語ではいやらしい?「チャーミングホテル」です。
村谷の解釈では、三国志で、魏の 曹操 が呉を攻めた際に、詩をつくり、江南の二大美人= 大喬 &小喬姉妹を侍らせたい(大喬は呉の 孫権 の妻・ 小喬 はおなじく呉の武将 周瑜 の妻)を求めた故事によるものと推定しましたがいかが?
明日朝の食事は7時と確認して、就寝しました。
<5月22日(月)台北旅行第2日目(平渓線沿線巡り)>
予報通り快晴の朝、午前7時ちょうどに開店したホテル1階の朝食会場に4人そろって集合した。
かなり広い食堂だが、われら以外は3組の日本人観光客だけで閑散としているのは、月曜日だからのようだった。
野菜中心のメニューは先ず先ずの種類が揃っており、果物やデザート類もそれなりに置かれている。村谷は例によってお粥とたっぷりの野菜を2種類のジュース・熱い豆乳・コーヒーで平らげた。
8時少し前にホテルのロビーに集合し、備え付けのホテル周邊地図を持って、帽子&サングラスを着用してから出発。
ホテル前の八徳路を東に進むと、24時間営業の超市(スーパーマーケット)「頂好」が左手に、市内最大級の大型店「京華城」を右手に確認してから左折、吉祥路を北上し南京東路に出た。
南京東路の下には今回何度か利用するMRT・松山新店線が走っていて、2014年11月に臺鐡・松山駅の横まで延伸され、非常に便利になっている。
パイナップルケーキの名店「佳徳糯餅」は、開店時間の8時30分を待つ列ができていたが、われらは帰途に立ち寄ることとする。
南京三民駅からMRTに乗車し、1駅先の終点・松山駅で下車する。
広い地下商店街を駅から駅への詳しい表示に従って臺鐡・松山駅に着き、窓口で平渓線1日周遊券を購入した。
平渓線内は1日乗り放題で80元(約320円)とは、公共交通機関の低料金には慣れているはずだが驚かされる値段だ。
下り線のホームに行くと直ぐに来たのは特急列車「自強號」、これは見送って、間もなく来た區間車(各駅停車)「蘇澳行き」に乗車する。
まだ通勤時間のため満員だったが、しばらくすると老人4人は席を譲ってもらった。
平日なのに高校生らしい若い男女の一団で込み合っていて、居眠りする暇もないほど賑やかだ。
この後訪れた各所も、平日ながら老人グループではなく、なぜか若い男女で混み合っていて、その謎は帰国まで解けず仕舞いだった。
沿線の両側には10数階もあるマンションがぎしりと立ち並び、当地の住宅事情が窺えるが、地震も少なくないはずなので、高所が苦手な村谷&山内はとても居住できないと意見が一致した。
線路際の草地には朝顔によく似た青紫の花がずっと続いていた。
瑞芳駅で平渓線に乗り換えるが、3番線からの出発時間にはまだ40分近くあったので、駅舎の壁に記載された簡単な地図を頼りに後半の金瓜石行きのバス停を探しながら、老街を散策する。
若い女性観光客や通りすがりの中年男性から教えていただき、瑞芳高級工業職業学校前にバス停を発見したが、田幸が下調べしていた停留所とは周辺の様子が異なるので首をひねりながら駅に戻る。
すると、背の高い駅員さんが日本語で話しかけてくれ、お目当てのバス停は反対側の出口・正面口?の先にあると教えてくれた。彼は自転車で日本をぐるっと回った経験があるという日本人大好きの好青年だった。
平渓線の列車の最先頭車両の一番前のドアから乗り込み着席するとハプニングが二つ。先ず制帽を被り乗り込んできた運転手は先ほどの駅員だった。さらに、カメラを担いだ日本人クルーが乗車してきて、運転席横に堂々とカメラを設置して終点まで撮りまくっていた。
単線のため待ち合わせ時間が多く、サービス精神が旺盛な運転士さんは、そのたびに日本人観光客に声をかけて記念撮影に応じていたので、鉄道マニアの野呂はお互いの帽子を交換して先頭列車の前で撮影した。
先ずは十分駅で下車する。商店街の真ん中を線路が走っているため、好適な撮影ポイントだ。
また、大きな天燈(ランタン)に願い事を書き大空に放つのがブームとなっていて、日本のテレビでも盛んに放映されるようになった。料金は150元(約600円)で、願い事の種類によって色が異なるのが面白い。われらは特にお願いがないので、見物に回る。
ずらりと並ぶ土産物屋で、野呂がLED照明で点滅するミニ天燈を150元で購入した。
続いて十分瀑布まで散策に出る。つり橋を渡り、線路沿いを歩く楽しい行程で、大勢の観光客とすれ違いながら進む。
瀑布は3段に分かれていて、台湾のナイアガラと呼ばれるのは一番奥のようだが、小ぶりながらも見事な眺めだった。
駅近くまで戻ってからやや遅めの昼食とする。まずは自分たちで台湾麦酒を冷蔵庫から取り出してきて、牛ばら肉入りの麺を頼んだ。どこの店でも日本語のメニューがあり便利だ。
ピリ辛と通常の味に2対2に分かれたが、スープは濃厚でおいしかった。
麺はうどんに似ていたが、腰がない。当地では打った後に一晩寝かせる習慣がないためか?と推測した。
2時間の途中下車ののち、再び下り列車に乗ると、数少ないボックスシート席に座れた。
終点の青桐駅で下車。折り返し電車まで1時間ちょっとあるので、老街をぶらぶらする。
この駅でも天燈は売られていたが、それより 願い事を書いたやや長めの丸竹が家の壁や線路際の柵などに沢山ひもでぶら下げられていたのが目立った。
当駅は、石炭の積み出し用に1931年開設されたもので、駅舎の一角が鉄道博物館兼鉄道関連グッズ売店になっていて、各種の土産品が販売されていた。
早めにホームに並び、先ほどのボックスシート席を狙ったが、この列車は全席長いシートばかりだった。
途中の平渓駅や十分駅で大勢の客が乗り込んできて通勤電車並みの混雑になりました。
ガイドブックに土曜日・日曜日の十分観光は避けるように書いてあったが、その通りだ。
瑞芳駅に戻り、今度は教わった地下道をくぐって正面改札口に出て、広い通りを左折、警察署横のバス停に無事に到着した。
引っ切り無しにやってくる九 イ分方面行きバスに乗り込むと、かなりのスピードでどんどん山道を登っていく。慣れた運転手さんが九 イ分 老 街に便利な旧道停留所へ一直線。
中国本土からの客が半減したとはいえ、十分をはるかに上回る観光客でぎっしり。狭い道の両側にバライティに富んだ商店が並ぶ坂道をグングン上る。
臭豆腐 の店がほとんどなく、ありがたい。
メインストリートの基山街をかなり奥まで進み、東シナ海を眼下に見下ろす「好望角」という崖地に建つお休み処でお茶とビールに分かれて一休み。雲がどんどん上がっていく。
ちょっと戻って、映画「悲城夜市」や「千と千尋の神隠し」などの舞台、着想のもとととなった?階段を下る。
九戸茶語横の階段には相変わらず猫や犬が横たわっていたり悠々とお散歩中。
階段を下りきり、九 イ分 派出所バス停から金瓜石行きのバスに乗車、1930年代にはアジア有数の金山として栄え、日本人職員や台湾人坑夫とその家族、計1万5千人以上が暮らした町だった。
1970年代に金鉱が閉鎖され、現在は観光地として賑わっている。
かつての金鉱内部が見学できる「黄金博物館」は17:00の閉館時間を過ぎていたが、周辺の日本風建築物などを観察した。
始発のバスに乗り、台北市内を目指す。途中の九 イ分では大勢の客が乗車待ちだったが、満員で積み残こす。
終点まで行って、始発で帰ろうとの田幸の読みがぴったり。途中駅の大半を満員通過したため、順調に市内に戻り、松山駅前で下車するとこれまたちょうど松山慈佑宮前。
本殿で本日の無事に感謝し、すぐ横の饒河街観光夜市に入る。入り口で目立つ「福州世祖胡椒餅」の行列に並び、野呂&田幸はたっぷりの青ネギと豚肉が入った餅(50元≒200円)を購入し、食べ歩く。
アルコール類がほとんど売られていないのは残念だったが、一直線の広い道は歩きやすい。
そのまま夜市を抜けて基隆路経由で環東大橋横から南京東路に入り西進、朝方に目をつけていた「佳徳需餅」で、大人気のパイナップルケーキを各々購入し、ホテルに向かう。
八徳路の小店で魯肉飯と、「頂好」で調達した缶ビールで小腹を満たしてご帰還。
シャワーで汗を流したのち、昨夜に引き続き、干しタラ始め豊富なつまみと、焼酎・紹興酒などで、NHKを見ながら締めました。
本日の歩行距離は2万6000歩でした。
<5月23日(火)台北市内散策>
部屋のテレビで見た天気予報によれば、本日は東部地区に雨が移動し、西部地区は晴れてくるとは幸先が良い。
本日も7時からの朝食に勢ぞろいして、ヘルシーな朝食を摂った。村谷は美味しそうなケーキを2個追加してスタミナを蓄えた。
南京東路沿いのMRT松山新店線・台北小巨蚕駅から乗車し、中山駅経由で昨年3月に何度も利用した圓山駅で下車し、まずは孔子廟へ向かう。入り口にあった日本語のパンフレットをいただいて勉強し、廟内を見学・参拝する。
続いて隣接する保安宮にも参拝し、前にある鄰聖苑 (保安宮花園)の池のそばのベンチで休憩。
圓山駅に戻りMRT淡水信義線に乗車し、士林駅で下車、バスで10分の故宮博物館正門で下車した。
野呂&村谷は250元(約1,000円)の入場料を支払って入館し、田幸&山内は隣接する至善園を散策。
1時間半という駆け足ながら有名な白菜の置物などを鑑賞した。村谷が最も感銘を受けたのは特別展で見た清の乾隆帝時代の西湖を描いた大きな絵で、 昨年末の上海・江南旅行 で行った西湖を思い出した。
至善園の池畔の東屋で合流し、バスで士林駅に戻りMRT淡水信義線に乗車し、4駅目の双連駅で下車、民生西路を西進、寧夏観光夜市の入り口付近にある顎髭の男性の看板が目立つ「?鬚張 美食文化館 (FORMOSA CHANG)」に入店、すぐに出てきた日本語のメニューを見て軽めの魯肉飯と A菜炒め を注文した。
残念ながらアルコールは置いていない。近くにコンビニが見当たらないので諦めた。
迪化街に入り、縁結びにご利益がある霞海城皇廟に参拝する。もう無縁のわれらとは異なり、若い男女が真剣に参拝中。
3人は道路の反対側にある湘帝参茸に入店し、カラスミや干しマンゴーなどを、1人は別の店でお茶を夫々予定通り購入した。
バスの便が少ないためそのまま南下し、台北地下街の西端にあるY21入り口から広い地下街に降り立った。冷房が利いていてほっとする。
商店街の一角で野呂が台湾特有のTシャツを購入した。
一旦、台北駅1階に上がって風格ある駅舎を見学してから、MRT板南線に乗車し、龍山寺駅で下車、老人男子のたまり場になっているモンガ公園を抜けて、第二次大戦中も爆撃を免れた台北最古のお寺に参拝した。
田幸の案内で昭和の雰囲気が残る華西街観光夜市や青山宮を探訪し、駅方面に戻る途中、青山宮前の通りと龍山寺横の通りの交差点で杖を突いた高齢の男性から流ちょうな日本語で話しかけられて、暫し懇談した。
在日経験50年の方で、ご子息が一人大阪に居住しているそうだ。
MRTを乗り継いで中正紀念堂駅で下車、午後4時の衛兵交代式をじっくりと鑑賞してから、2度目の昼食、東門先にある「杭州小籠湯包」に入店した。
超人気店だがこの時間はさすがに空いていて、今回は待たずに着席。1度目の昼食を軽く抑えていたので、4種の飲茶と野菜炒めなどを冷たいビールで平らげた。
腹ごなしに隣の東門駅まで散歩、道筋にある超有名店の・鼎泰豊の本店にも行列はなかった。
MRT東門駅から乗車、台北101/世貿駅で下車して、時間の関係で「台北101」は見上げるにとどめて、市政府前から國父紀念堂へ移動し、中山公園で休憩。
ここから見上げる台北101は迫力がある。
疲れてきた1人がスマホを忘れるところだったが、親切な家族連れが教えて下さる。
午後6時を回っていたので、國父紀念堂駅からラッシュアワーのMRTを乗り継いで、中山駅に到着した。
午後7時に予約していた「青葉」に入店し、8泊9日で訪台中の田幸の知己の宮本氏とその親友の山本氏と合流した。
先ずはビールで乾杯、南国の夜の空気にぴったり。お次は紹興酒。
日本人御用達の繁盛店とあって、他のお客さんも日本人だらけ。
良き時代の思い出話や、お互いが訪問した東南アジア各国の情報交換などですっかり堪能して一人当たりのお勘定は約1,000元(約4,000円)だった。
南京西路のホテルに戻るお二人と、東京での再会を約して中山駅で別れて、MRT松山新店線で南京東路を東へ、3駅先の台北小巨蛋駅で下車、ホテルに無事に到着。
本日の歩きは3万歩。
紹興酒を買い足し、残ったツマミで乾杯、台北最後の夜を締めました。
<5月24日(水)台北旅行第4日目(台北市内〜桃園国際空港〜成田国際空港)
本日は午前9時過ぎの送迎バスを待つだけ、朝食は7時半過ぎからとゆっくりだ。
村谷は例によって早朝散歩。
初日に500元チャージしたが、半分以上余っていた悠遊カードの残額を消化すべく、毎夜通った「頂好」で紹興酒やビールを買い足す。今回は行かなかったが、徒歩5分の京華城の専門店街は午前11時の開店と確認してきた。
朝食は毎日少しずつメニューが変わっていて、本日は肉類が目立つのでそのいくつかをプレートに乗せた。
味は薄めで、好みの調味料を用いて調節するやり方は、経済的かつ合理的だ。
9時過ぎに女性のガイドさんがマイクロバスでお出迎え。行天宮に近い昇恒昌台北市区免税店に移動する。
ここで40分間の買い物タイムだが、村谷は田幸に連れられて近所の榮星公園でお散歩。
強い日差しにもめげずに、散歩や太極拳に勤しむ人が多い。
公園入り口付近でカメラ片手に散歩中の山内とも合流。
免税店に戻り、他のホテルからのお客さんと共に大型バスに乗車、1時間弱の車内で、村谷は冷やしておいたビールロング缶を飲み干した。
出国手続きを滞りなく終えて、出発ロビーに入る。
13:00出発予定のCX450便が、始発の香港からの到着が遅れて一人150元(約600円)の飲食券が配布されたので、1本120元のキリンの瓶ビール5本と交換し、村谷がまだたっぷりと残していた乾き物をせっせと片付けて時間を潰した。
成田国際空港到着時刻が3時間遅れの午後8時を回っていました。
田幸兄の周到な計画のおかげで、数々の立ち寄り先を無事にこなすことができ、感謝いたします。
今回もまた、天候に恵まれた海外旅行ができました。
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【野呂の感想】
台北旅行で発見したこと、
@非常に友好的な人々であること。
A物価が安いこと。
B市内の地下鉄網が発達していて、運賃が安いこと。
B電車・バスでは、誰もが高齢者には優先的に座席を譲るのが習慣となっていること。
C朝食を店先でとっている人が多いこと。
Dスクーターが非常に多く、また、タクシーは殆どトヨタ車であったこと等
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【宮本大兄の「台湾一周ぶらり旅」】
我が国は明治以来朝鮮半島を国防上の核心として国策を進めてきたが、これは今も続いている。
共産中国の経済的躍進と米国との二大国関係を目指した海洋進出の野望は、我が国に対する南方からの脅威となりつつある。この場合の地政学上の核心は台湾であり、南西諸島である。
岡崎久彦はその著書「台湾問題は日本問題(2008年海竜社)」で、「日本と台湾は運命共同体である」と述べている。
私はかねがね、中国の脅威に対する我が国の安全保障の核心は台湾であると論じてきたが、現実にその地を踏んでみたいと、過去数回訪台した経験を持つ山本君に相談したところ、彼はすぐさま快諾し実行するところとなった。
彼とは過去三回海外旅行を共にしたが全てツアー会社によるもので、今回は私の要望を入れた山本君の全くの手作り旅行であった。
平成29年5月22日、成田から台湾の桃園空港に飛び、捷運(MRT)という市内は地下を,郊外は高架を利用した鉄道で台北車站(駅)に第一歩を印した。
台北には2泊し、この間はお決まりの故宮博物院、中正(蒋介石)紀念堂等の名所旧跡を見学し、24日台湾の新幹線(高鉄)で台南へ。
台南は17世紀オランダ時代から清代に至る200年間台湾の首都で、安平古堡、赤嵌楼を始め歴史に富んだ街で、かっては旧日本海軍の航空基地で、現在は台湾空軍最大の基地がある。
25日、在来線(台鉄)で高雄へ。その日路線バスで3時間かけて台湾最南端の岬・鵝鑾鼻(オールアンビー)に至り、バシー海峡を望見し、大東亜戦争で散華した幾多の英霊を偲んだ。
高雄はかって日本海軍の根拠地で、現在も台湾海軍の最大の軍港である。ゆっくり見学すべく2泊の予定であったが、27日の花蓮行きの乗車券が入手できず、やむを得ず1日予定を早め見学時間を十分に確保できなかったのは残念であった。
後で聞くと、27日から4日間端午の節句(旧暦)を絡めて4日間の連休で切符の入手が困難であったようである。
それでも高雄港だけは眺めたいと、清時代に要塞のあった旗後砲台を訪れ港を望見した。商港であるがフリゲート艦らしき2隻が遠望された。
また二・二八事件の現場の一つとなった歴史博物館を訪れ、日本の敗戦後、蒋政権による本省人に対する弾圧の一齣を感得した。
26日午後、高雄発、途中台東で列車を乗り換えて夕刻花蓮に到着した。
花蓮で民宿を経営する夫婦(夫は日本人)の案内で、27日は花蓮市街から沿岸沿いに南下し、北回帰線を越えた先で山側に入り原住民の阿美文化村を訪れ現地気分を堪能した。
28日は、北海道の層雲峡など比較にならぬ大峡谷の太魯閣を見学した。その途中、海岸沿いの高台から台湾空軍の花蓮基地を望見できた。宿の主人主人話によると約60機の戦闘機が駐留しているとのこと。次々と戦闘機が発進し、飛行場のシェルターの中に駐機している状態も視認できた。
29日、花蓮発台北行きの特急列車に乗り、台北駅でMRTに乗り換え淡水に向かった。淡水は台北を縦断する淡水河の河口にあたり、かっては貿易港として殷賑を極めたが、土砂の堆積等により港の機能が低下し、現在は観光地として賑わいを見せている。
ここは、オランダが植民した時代の紅毛城跡があり、またイギリスが駐留した時代の領事館跡もあり歴史の流れを感じさせた。
この日は旅の疲れを癒すべく近くの北投温泉に投宿し、この旅行中初めて浴槽に入浴した。ただし温泉と言っても直径4〜5mの浴槽があるのみで、朝も10時からでないと入浴できない。日本の温泉気分とは大違いである。
30日、北投温泉街を散歩した後、MRTで台北へ帰り、体験的にと足裏マッサージを受け、桃園空港から成田に予定通り無事帰着した。
今回の旅は、山本君の綿密周到な計画と彼のパソコン能力を駆使した航空機、鉄道、ホテルすべてを予約した手作りで、他はMRTと路線バスを利用し、タクシーは台南市内で1回利用しただけの本当の「ぶらり旅」であった。
ツアー旅行と違い、直に現地の人と接触する機会が多く、幅広く見聞する機会を持つことが出来た。
東日本大震災時、台湾からの義捐金が最も多かったそうであるが、台湾の人の日本人に寄せる好意は並々ならぬものが有る。
道に迷って地図を眺めていると、近寄って片言の日本語で案内してくれたり、電車、バスに乗ると若い人が即座に席を譲ってくれたり、台湾の人の親切に終始感銘を受けた旅であった。
また、台北市内のある廟を訪れたとき、老人の男が近づいて「私は10歳まで日本人でした。日本の歌も歌えます。富士山に登ったこともあります。」と話しかけ,懐かしそうな笑顔を見せた。戦後、「犬が去って、豚が来た」時代を知る世代の人の日本に対する懐旧の想いであろう。
台湾と対比されるのが韓国である。私は過去2回訪韓し、一度は家族旅行で民衆に直に接触する機会が多かったが、民衆レベルで反感を感じることは無かった。
ただ国としてまとまった場合、反日になる風土があるのかと思う。
花蓮の宿の主人はなかなかの勉強家で、日本の台湾統治時代の話を聞かせてくれた。児玉源太郎総督の下、後藤新平、新渡戸稲造等有能な行政官、八田與一のような原住民と一体となって開拓した人たちのレガシーを、現代の我々が享受できる幸せを痛感した。
台湾のホテルは原則宿泊のみで朝から外食したが、食事は日本の半分以下の値段で交通費もそのくらいである。
台湾の人の親切さと物価の安さに良好な治安と相まって台湾リピーターが多いのもむべなるかなと思った次第である。
ちなみに今回の8泊9日の旅に要した経費は約11万円であった。
今回の旅の私の目的は、日本の安全保障の観点から台湾を実地に感得することにあった。
残念ながら一民間人としては軍事基地を見学することは叶わず、また梅雨前線の影響で台湾山脈は終始雲の中、地形も十分に観察することは出来なかった。晴れていれば、富山平野から立山連峰を望む以上の迫力が感じられたと思う。
ただ現地を歩いて感じたことは、台湾は日本と殆ど同じく高度に近代化された社会で、防衛上極めて脆弱であるということである。特に大陸に面する西海岸に平地と住民の大半が所在し、将に脅威に向けて「柔らかい下腹をさらけ出した台湾名産の蝦蛄(シャコ)」のような地勢である。蝦蛄の甲羅を為す3,000m級のピーク200を越える台湾山脈は東に偏在し、西からの脅威に殆ど役に立たない。
逆に中国が台湾を確保すれば台湾山脈を楯として、太平洋の米海軍に対して巡航ミサイルをもって大きな威圧をかけることが出来る。中国のいう太平洋を米国と東西に二分する絶好の拠点となる。
日米にとって不利、中国にとって有利な台湾の地形・地勢は日本の安全保障にとってまことに厄介な存在で、米国と共に台湾をどう防衛するか極めて深刻な問題である。
「台湾は中国の一部」と主張する中国に遠慮して、一部の識者を除いて台湾の日本の安全保障に与える影響について論じられることは無いが、防衛省を始めとして政府の要路においては真剣に検討されていると祈念したい。
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