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 今日も晴天、JR・品川駅・中央改札口の京急・高輪口寄りに山岡・田幸・岡田・村谷の4名が集合。
階段を降り、京急改札口前から、学生時代に高輪プリンスホテルのプールサイドで活動していたという岡田の思い出話を聴きながら、
第一京浜国道の対面にある 話題の京品ホテル を眺めながら、風は少々強く、寒いが、快晴・無雲の下、八ツ山橋を渡る。

 
 旧東海道(「人力」さんのページ) 品川宿の入り口の標識棒で、居合わせた同年輩のサイクリング観光の方に4人揃っての写真を撮っていただく。
 ビキニ環礁での水爆実験で太古の眠りから目覚めたゴジラは、観音崎・たたら浜沖にその巨大な姿を現し、ここ品川で上陸したことを思い出しながら、 「東海道品川宿 まち歩きマップ」  に、ゴジラ上陸地点にゴジラの絵入りの大きな地図板で概要を把握する。

 三条大橋まで旧東海道を踏破した村谷だが、品川宿は駆け?歩き?抜けており、今日は当初予定の池上まで行けなくても、品川宿をそこそこ見学することに衆議した。

 旧東海道に入り、観光案内所で「しながわまち歩きマップシリーズ」のいくつかをいただき、岡田が「東海道品川宿 まち歩きマップ」 一部50円を購入し、探訪開始。

 まず、
八ツ山通りへ出て、「船清」・「中金」・「平井」・「三河屋」などの船宿と品川浦の舟だまりに屋形船が舫ってある懐かしい風景を楽しむ。

 石造りの
北品川橋を渡り、台場小学校の建つ
品川台場跡へ。
校門脇に品川沖の第ニ台場にあった
品川灯台が建っているが、これはレプリカ。
本物(重要文化財)は博物館明治村に移築されている。
本物は洋式灯台第3号だそうで、最近仏人ヴェルニーが わが国で造った4基=観音崎、野島崎、品川、城ヶ島=の洋式灯台 すべてを訪問していることに気づいた。

     ※12月に行った(洋式灯台第1号)観音崎と多々良浜のページです。 
     ※ 2月に行った(洋式灯台第2号)野島崎のページです。  
     ※10月に行った(洋式灯台第?号)城ヶ島のページで。  

 鯨塚への道を地元の方に確認し、八ツ山通り横の舟だまり南、利田(かがた)神社に到着。本日は風がおさまることを祈念し、鯨塚で「品川浦の生活」などの案内板で学習する。

 
鯨碑を記事にされた「動物園で働く」⇒「動物のお墓」さんのページを紹介します。


 次は
品川神社に向かう。京急の線路下をくぐり、第一京浜を横断して、本殿でもう1度、風がおさまるよう祈念して、社殿右に鎮座する“一粒萬倍“の泉があるという赤い鳥居が林立する阿那稲荷・八百萬神社との間の道から裏に回り込み、 板垣退助の墓 に詣でる。

 品川神社の参道階段脇にそびえる“
品川富士”にも登って見よう、と、登り、ビルに阻まれ富士山が望めないので、品川駅東口の品川インターシティ方面を望んだ。

  
 ※秀麗な富士山の写真は、2009年2月17日に行った「二宮、吾妻山」さんぽのページでご覧ください。  

 
旧東海道に戻ると、まち歩きの年金生活者たちがあちこちで蕎麦屋やご飯処を探してうろうろしている。
我らもコンビニで昼飯などを仕入れ、
目黒川品川橋で渡り、海徳寺に参り、また、風がおさまるよう祈念して、王貞治選手ゆかりの、14歳でなくなった少年を弔うために建立されたホームラン地蔵軍艦千歳殉難者之碑に手を合わせ、時間がかかる寺社立ち寄りを減らし、南下する。

 途中、静かな佇まいの
松岡畳店を村谷がパチリ。

 昼食場所に選んだ、浜松宿から来た松の木が迎える
街道松の広場 に入り、最奥のテーブル脇にシートを広げ開店。

 14日のさんぽで大好評だった岡田婦人自家製のコウナゴオカカゴマコンブ佃煮を増量して持参してくれ、17日のさんぽ時に小岡(英)兄から頂いて食べ切れず、村谷が持ち帰ったベルギー産の高級チョコレート・JACQUESを1枚、その他持ち寄ったツマミで乾杯・昼食。
南西北が民家に囲まれた立地で日向ぼっこ、ゆっくりと情報交換、ほぼ1時間の休憩ののち、
品川(ほんせん)寺に入り、風が止んだお礼を申し上げ、洋行帰りの鐘、金生七福神、推定樹齢600年の大イチョウなどを拝観させていただく。

 次に江戸時代から“品川の荒神さん”と親しまれてきたという
海雲寺に詣で、刑場の露と消える罪人と見送りの家族が最後の別れをしたという、立会川・浜川橋(泪橋)へ。
ここに“坂本龍馬像 80m”の看板があり、オナガガモやキンクロハジロが泳ぐ川面を楽しみながら
坂本龍馬像到着、説明掲示板を読む。
  ⇒坂本龍馬像は、立会川駅前に引っ越しました。

 
旧東海道に戻り、南下。幟がハタメキ、地元民が集まっているのにつられ、正一位伏見仲町稲荷神社に行くと、今日〜明日がお祭りとのこと、社殿横の小公園でお茶休憩。

 
第一京浜との合流点にある心霊ポイント? 鈴ヶ森刑場遺跡 で、斬首した首を洗った首洗井戸や、 石台の真中の穴に角材木を立て縛りつけて刺殺した磔台、石台の真中の丸穴に鉄柱を立てて縛りつけ足下に薪を積み生きたまヽ焼き殺したという火炙台などを見学すると、つくづく悪いことはしないでおこう…と思った。

 
国道を渡り、京急を潜り、桜新道を越えて、こじんまりとたたずむ湧き水スポット:二宮尊徳像や小さな池のある大井水神を経て、JR際の桜の木が多く植えられている大井水神公園、トイレ拝借。

 当初訪問予定の、安田財閥・安田善助邸だったという、往時の庭園と茶室が残る 品川歴史博物館にも立ち寄らず、大森貝塚を見て大森駅で終業しよう!と決め、
JRの線路の下をくぐり、左折し、 国指定史跡 大森貝塚=大森貝塚遺跡庭園へ。
 モース博士が明治10年6月18日に横浜に上陸し、翌日に東京へ向かう汽車の窓から外を眺めていて、この貝塚を発見したというから専門家の眼力には恐れ入る。
 公園最高地点の芝生で、すぐ下を走り過ぎて行く
東海道線や京浜東北線の列車を眺めながらの小休憩。

 
池上通りを下って大森駅前、所用のある岡田と別れ、呑み処は未開店と諦め、「熱烈中華食堂 日高屋」に入り、明日は吉田・清水兄と古代東海道のうち、聖蹟桜ヶ丘駅〜国分寺駅を歩くという村谷を思い計って?餃子・イカ揚げ・ソラマメを頼み、ビールで乾杯、お酒をチョットだけ追加し、軽く〆ました。


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 コース
  JR山手線など・品川駅〜旧東海道品川宿〜鈴ヶ森刑場遺跡〜大森貝塚〜JR京浜東北線・大森駅

   ※大森、馬込文士村文学散歩コースは2012年10月6日に歩きました。

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★2009年2月21日(土)「旧東海道・品川宿〜大森貝塚」

さんぽ