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<8月15日(火)盛夏の錦糸町界隈散歩(錦糸町駅から周遊)>

 台風7号が近畿地方を縦断している朝、快晴・微風のJR総武線・
錦糸町駅南口改札前に集合したのは、田幸・村谷・山内の3人。

 訪れるたびに街並みがきれいに整備されていく南口・駅ビル通り・ピアきんしちょう商店街を西進する。真新しい建物のホテルファミーinn錦糸町相鉄フレッサイン錦糸町の前を右折し、JR線の長いガードを潜る。以前は落書きだらけだった壁が、新宿大ガードと同様にすっかりと塗り替えられていて、涼やかなデザインに変貌していた。

 北斎通りに出て左折する。東武ホテルレバント東京すみだトリフォニーホールが作ってくれる日陰道を西進する。お盆休みを堪能して駅に向かう人たちとすれ違う。

 大横川親水公園に近い交差点を渡り、津軽稲荷神社に参拝。名前の由来は江戸時代にこの付近一帯が津軽藩中屋敷であったため。
かつてはうっそうと茂った巨木に囲まれた小社だったが、最近木々が伐採されて、祠も整備され、日差しが降り注ぐ明るいお社に変貌していた。まずは本日の無事をお願いする。
 田幸が本殿の右奥に小さな池と弁天様を見つけたので初めてお参りした。

 小路を東進し、錦糸小学校の先からタワービュー通りに右折する。名前の通り、東京スカイツリーがすっぽりと遠望できる絶景ポイントで、普段は錦糸町駅かスカイツリーに向かう中高年グループが目立つが、本日は無人。

 蔵前橋通りに突当り右折、次の交差点わきに すみだ江戸切子館があり立ち寄った。薩摩天満と並び称される日本三大ガラス切子の一つである江戸切子の伝統を継承していて、本日も店奥の工房で数人が体験教室中。展示されている見事な製品は、5桁から6桁の値段がついていて、われらのお小遣いでは手が出そうにないので早々に退出した。

 裏道伝いに再び西進し、当地区のランドマークにもなっている法恩寺に入った。長禄2年(1458)に太田道灌が江戸城築城に際して丑寅の方角にある平河に建立したのが創始で、山号は平河山。その後、家康の江戸開府(1590)に伴い数回の移転を重ねて、元禄元年(1688)に当地に安住?した。
また、池波正太郎『鬼平犯科帳』にしばしば登場することでも知られている。『江戸名所図会』には広壮な境内の様子が克明に描かれている。

 境内の建築物を鑑賞し、休息ののち出発。日陰に沿って東進し、四ツ目通りに突当り北上、三番目の立ち寄り処・本所防災館に入った。名前にふさわしい堅牢な建物で、1Fが地震・水害、2Fが火災・応急手当、3Fが暴風雨、4Fが防災シアターになっていて、それぞれ体験などができる。夏休み中とあり、大勢の家族連れや外人観光客?でにぎわっていた。関東大震災100年を再確認して退出する。

 日差しを避けて四ツ目通りの1本裏道を南下し、オリナスタワーの下を通過する。

 錦糸公園に入り、北隅に立派な6人掛けベンチを発見、強い日差しは桜の古木が遮ってくれる。お参りのおかげと感謝して着席する。まずは乾杯、本日も歩ける健康に感謝した。
すぐに次が控えているのでヘルシーなつまみを大きなテーブルに並べる。軽いものが飛んでしまいそうな西風を有難く受けながら宴を進める。ちょうど1時間でつまみがなくなったので、御輿を上げる。

 
錦糸町駅まで戻り返し、三度西進して午後1時ちょうどに小町食堂に到着。先着していた三浦と合流し二度目の乾杯。韓国 ・ 台湾 など行動を共にした旅の再開を誓いつつ、楽しい宴を済ませた。

 三度、
錦糸町駅に戻り散会、村谷は駅前の魚寅錦糸町店に立ち寄る。魚市場の休業日にあたるため生ものの品ぞろえが少なく、いつもより空いていてゆっくりと買い物ができる。つまみを買い足してから帰途につきました。(村谷 記)

コース
 
JR総武線・錦糸町駅南口〜北口〜北斎通り〜津軽稲荷神社〜錦糸小前〜すみだ江戸切子館〜法恩寺〜本所防災館〜オリナス(精工舎の工場跡)〜錦糸公園〜錦糸町駅
     <歩行距離:3km±α、歩行時間:1時間±α>

   *
墨田区観光協会「錦糸町エリアマップ」を参照し、その一部を歩きました。 

   *墨田区観光協会「錦糸町エリアマップ」解説ページ

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★2023年8月15日(火)「錦糸町界隈の資料館と寺社・公園巡り(錦糸町駅から周遊)」