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村谷のレポート

<3月1日(日)“JTB とっておきソウル 4日間”(送迎あり、食事は機内食のみ、立ち寄りなし、観光なし、出国を午後の早めに、帰国を夜にアレンジして)の第1日 (成田空港~仁川空港~ソウル市内)>


 韓国では 三一節(1919年3月1日、日本の植民地支配に抵抗して、宗教指導者や市民たちが独立を願って行なった運動をたたえた祝日) の朝、10時30分曇天の 成田空港 第1ターミナルビル南ウイング4階にある JTB カウンター前に、 台北旅行   韓国縦断ツアー でお馴染みになった三浦・田幸・山本・村谷・井上の5人が集合。

 12時30分発の アシアナ航空 OZ101便に搭乗するため、朝はゆっくり家を出ればよかったので、のんびりと挨拶を交わす。

 荷物を預けてチェックイン。出発ゲート近くの店に入り、大小の生ビールやコーヒーなどで近況の情報交換を行う。窓外に見える機体は意外に小型だ。

 5週類の朝刊を取ってから2人と3人に分かれて着席する。
定刻通り出発。

 程なく昼食が出された。チキンがメインの軽食だが、パンやデザートも美味しく丁度良いボリュームだった。飲み物はビールとマッコリに分かれ、糖質抑制中の村谷はワインを希望したが「近距離のため、ありません」とのことで、マッコリを選ぶ。

 入国カードと旅行者携行品申告書も漢字が多く記入は簡単だった。
15時、定刻通りに 仁川空港 に到着、トラブルなく出場、ホテルまで送迎してくれるガイドのユンさんに会う。
スモーカー3人はたばこ休憩。
 残る2人がガイドさんに天気を尋ねると本日の予報は雨か雪だったが、現在は晴れており明日も順調。
但し火曜日は雪か雨の予報とのことでした。

 ホテルまで1時間の道程は、親切な注意事項の伝達と質疑であっという間だった。
  「円安・ウォン高の影響もあって、すべての物価は日本より高いですよ。」
  「特に牛肉は味が劣るので日本で食べてください。ソウルでは豚肉がお勧めです。」
  「刺身等の生ものは厳禁です。特に屋台では食べないでください。」
  「免税店以外は品質の保証はできません。」
  「海苔は中国産が多いので、市場の物は信用できませんよ。」
  「昔の喫茶店が少なくなりスタバなど明るいコーヒー店が増えていますが、値段は日本より高いですよ。」など。

 そのうちに もやった 漢江 が見えてきて、靄は隣の国からの贈り物、黄砂+αによるものとのこと。
漢南に聳え立つマンション群が出現し、1年ぶりのソウル中心地に着く。
ソウル市庁のすぐ裏側にある「BEST WESTERN NEW SEUL HOTEL」に到着した。

 これから3泊お世話になるが、まさに首都ど真ん中で交通至便だ。
喫煙室と禁煙室は別フロアー、荷物を解いてからロビーに集合する。

 …部屋は日本のビジネスホテル並 ちょっと狭いが、完全リニューアルしているので内装はもちろん、暖房便座付き(見知らぬメーカー製だが)温水洗浄便座が設置されているなど設備も新しい。テレビでNHKも見られた。
 ただ、女性たちの部屋は窓が小さくて暗かったと。
 カウンターには日本語ができるスタッフがおり、日本人客が非常に多いそうだ。

 先ずはこの旅を企画した三浦リーダーの先導で、隣接のニュー 国際ホテル横にあるコンビニ「GS25」に行き、地下鉄・バス乗車、コンビニなどでの買い物用に使える交通系ICカードT-MONEYカード(ティモニカドゥ)を各々購入する。


 チャージを済ませてから、ソウル地下鉄1号線の 市庁駅 に入場。日本と同じタッチ式だ。市内は9号線まであり、夫々固有の色と駅番号が決まっているのも東京メトロと同じだ。
 カードは100ウオン引きで利用できるのがメリット(運賃は10kmまで1,050ウオン)。運行間隔も数分単位と東京メトロ並。

 ソウル市内の標識のほとんどがハングルで村谷には手におえないが、三浦兄が読めるのと、多くが英語も併記されているのが頼りだ。
但し、地下鉄駅構内には日本語表記もあり、また主要駅では日本語のアナウンスもあった。

 驚いたのは東京、台北、バンコクなどの地下鉄&BTSなどでは見かけなくなって久しいが、ここでは 車内で物(今回はLED照明器具)を売っていた
(「ソウル情報局」さんのページ)り、歌舞伎町の電話ボックスに置いてあったような風俗やサラ金業者の名刺大~A6版くらいのチラシ(「ソウル市民への道」さんのページ)が、何の商売のかは分からないが、壁などにベタベタと貼り付けられていて、乗客がそれを剥がし取って読んでいるいることでした。

 また、街なかを走る車は、バスやトラックを除けば普通乗用車がほとんどで、軽自動車、バイク、自転車がごくごく少ないのも、この街の特徴だと思いました。

 車両は途中で地上に出て、漢江を渡った先にある 鷺梁津(ノリャンジン)駅 で下車。
歩道橋で線路を跨ぎ超えて、 鷺梁津水産市場 に入る。釜山のチャガルチ市場の2倍以上はありそうな広さで、各種の水産物が所狭しと並んでいる。

 この時間は小売りが中心らしく、刺身の大皿が15,000ウオン、鮭の大きな切り身が10,000ウオンと思わず買いたくなったがじっと我慢。貝類やカニ・エビ類も豊富だった。

 市場を30分ほど鑑賞したのち、狭い階段を登って市場を見下ろす位置にある2階の食堂街に移動。
おばさんの呼込みにつられて、大きな食堂
 「金鶴」(の記事がある暴躁兔女王」さんのページ)に入り上がりこんだ。

 釜山の経験で量が多いことは承知の三浦が中セットを注文。先ずは大量の突出しが並ぶ。
ビール&マッコリで乾杯。そこにヒラメやタイなどの魚、貝類主体の大皿が加わる。
 当然、ジンロも注文し、じっくりと韓国の水産品を堪能。

 締めは山本の差配で、鍋。色々な具材が加わって絶品でした。
隣りでは大学生らしい一団が9人で盛り上がっていたが、女性3人はまさに明眸皓歯で、色白・美肌・細身の美女ぞろいで、正面の村谷がメリットを享受した。

 横では店の男性オーナー?が、パソコンでインターネットの囲碁を鑑賞中だったので、傍に行き専門用語と指差しで交流を果たした。

 すっかり海鮮料理を堪能し、再び地下鉄で市庁駅に戻る。

 行きと同様若者に席を譲られた数名はありがたく着席。


<3月2日(月)第2日目 世界遺産・水原華城 と 韓国民俗村見学> 水原の地図   水原の地図

 本日はソウルの喧騒を避けて40キロほど南下し、古い韓国の家屋を集めた民俗村と、 世界遺産でもある古城・水原華城を訪ねる。
 8時にロビー集合のはずだったが、 明洞 方面に朝散歩に出かけた村谷が張り切りすぎて道に迷い、通勤途上のOLさんに道を教えていただき走って帰ってきたが、遅刻するとは不覚でした。

 昨夜、三浦兄がチャーターしておいたバンに乗車、軽妙な話術が売りのガイド?ニックネーム=田代まさし氏の案内で、先ずは朝食に出かける。
 程なく到着したのは、小公路の裏側にある「小公粥家(ソゴン チュクチプ)」、(後日付記:その後、市庁駅近くに移転しました。)という小さな店。
 メニューの下半分が日本語で表記されていて判り易い。

 各々好みの種類を注文したが、カキとシイタケの2種混合が8,000ウオン、最高級のウニ・フカヒレやアワビでも1万7,000ウオンと手ごろで、店内は日本人観光客で始終賑わっている。
キムチなどの前菜が大量に出てきたのでビール数本を頼んで朝の乾杯。迎え酒が喉から一挙に胃に流れ込む。

 続いて湯気一杯で鉄鍋に溢れんばかりに盛り込まれたお粥が登場。香りが素晴らしいので、小皿を頼んで銘々の粥を交換する。
人気の理由がよくわかった。

 すっかり体が温まってから車に乗り込む。
約1時間の行程だが、田代?氏の丁寧で判り易い説明にソウルの発展ぶりを解説してもらっているうちに、韓国民俗村に到着。広々した駐車場に一番乗りした。

 各地から伝統的な建物を260軒ほど移築して、朝鮮王朝時代の生活を再現した一種のテーマパークだ。韓流ドラマのロケ地としてよく利用された場所でもあり、ドラマに詳しい山本が先導してくれた。

 先ずは各15,000ウオンの入場料を支払って入場しようとしたところに、大型バスで中高年女性の一団がどっと入ってきた。田代?氏が気さくに話しかけてみたら名古屋からのツアーだった。

 小川も流れる100万平方メートル(30万坪)の敷地内には、藁ぶき屋根の農家や瓦造りの 両班(ヤンバン) の豪邸が点在する。伝統工芸品の実演販売もあって飽きない。もちろん、ドラマで使用された場所には大きな写真パネルが立ち、記念撮影には便利だ。

 生きた牛付きの農家や両班の邸宅を見学していると、公演場方向から賑やかな音楽が聞こえてきて、若者による伝統芸能の公演、豊年を祈願する舞踊「農楽(ノリ)」
(「You Tube」)の第一回、10:30 開演が行われ始めたので鑑賞。
 若々しい軽妙な動きと我が身をくらべ年齢を感じて退出し、橋を渡り、川沿いに入り口方面に移動する。

 川辺には、ソウル特別市や慶州市などの多くの市鳥に指定されている カササギ (カチガラス、コウライガラス) があちこちで遊んでいた。
真っ青な青空と風一つない爽やかな空気は時間を忘れさせてくれ、外に出るのがもったいないほどだが園外に出る。

 少し移動して、世界遺産の水原華城へ。1796年に父王の慰霊の為建てられた城郭で、6km近い外郭が特徴で、41もの構築物が市街地と共存している。城壁沿いに移動できる華城列車や、かつて兵士が用いたアーチェリーのような国弓体験もあったがいずれもお休みのようだ。

 練武台観光案内所で観覧料を支払い、東将台から延々と続く外郭のうちのごく一部、蒼龍門まで散策し、四方の景色を堪能した。
昨年訪れた慶州の 石窟庵 ・  仏國寺 とソウルの 宗廟 に引き続き3つ目の世界遺産を拝観できました。

 続いて車で少しだけ移動し、1789年に八達山の東麓に建築された 華城行宮 に移る。父の為水原華城に13回も参拝した正祖王の行宮で、2003年に復元、公開された。
壮麗な建物群が続くが、母親の還暦の宴を行った
正堂・奉寿堂(「韓国ホリックかも?」さんのページ)に、人形とともに当時の70種もの正餐が再現されているのが興味深く、儒教精神を再び実感した。ここでも各所がドラマのロケ場所になっていて、「宮廷女官チャングムの誓い」 や  「イサン」 が撮影されたという。

 遅めの昼食に移動する。
水原(スオン)は、先ほどの還暦の故事との関連で カルビ 発祥の地とされていて、特製タレに漬けるヤンニョムカルビが主流。醤油は使用せず焼き塩のタレを使い、別名「王カルビ」といわれる。

 田代?氏の案内で小高い丘の上にある大きな店 
「ボシンカルビ」(「ちょっといいかしら♪」さんのページ)  = 「保信갈비」(「소소한일상」さんのページ) = 「ボシンカルビ」(「마이썬~*」さんのページ) に入ったが、2時近くになっていたためか客は我らだけでゆっくりと座る。

 6人で2台の焼き網の下に大きな炭が投入されたが、焼き網は
 “温?熱湯?パイプ式無煙焼肉ロースター”(似た製品の広告ページ) 水⇒湯⇒熱湯が流れる細いパイプが張り巡らされたもので、温度が上がりすぎないようとの工夫は、肉が焦げる心配なく、煙も全くたたないので、流石に本場だと感心した次第。

 肉は手際よく給仕の女性の手で焼かれて、ハサミで切られて次から次へと供される。
カルビにはマッコリが一番合うと全員の意見が一致した。
 並べきれない ミッバンチャン(밑반찬 突き出し、オカズ) と共に、お肉をサンチュに巻いて引っ切り無しに口に運んだが、食べたいのに食べきれず全員のギブアップを確認し、残った生肉は下げていただく。

 村谷が食してきた焼肉の中では文句なしに最高で、ここ数年来もっとも食した昼食になってしまった。

 帰り際に日本語もできる女将さんと話して、同じ19××年の生まれと聴き、肌の美しさは手作りのキムチにあるようだと推察した。
心行くまで堪能したので、帰途の1時間は4人ともぐっすり。

 ホテルに戻ったが、夕食が欲しくないほど満腹のままだったので、生マッコリの大壜を購入して、田幸兄からいただいたツマミだけ食して就寝しました。


<3月3日(火)第3日(ソウル市内観光)>   ソウルの地図   ソウルの地図

 早々と目覚めた田幸&村谷は、朝飯前の散策に出かけた。
雪交じりの小雨が降っていたので、最寄り市庁駅4番口から地下街に降りる。

 7時前だが、早くも出勤する人たちの姿があちに見られ、当地の人の勤勉ぶりが窺われる。地下街で夜明かしした人たちも、段ボールを畳みはじめていた。
 地下鉄2号線と交差しさらに南下する。地上出口に突き当たり、分岐まで戻って2号線に沿って 東大門市場 まで続く 乙支路地下商店街 乙支路入口駅まで行ってからホテルへ引き返した。
 ソウル中心部はシェルターを兼ねた地下道や 地下商店街 だらけだ。

 午前9時過ぎにロビーに集合したころには、雨はすっかり上がっていた。
三浦が確認していた干鱈スープの老舗
 「武橋洞プゴグッチッ」     「ムギョドン プゴグッチッ」 まで数分歩く。
 タンパク質が豊富で、二日酔いに効果抜群との評判通りなかなか美味で、朝ビールにもぴったり。村谷はスープまで全部飲み干した。

 市庁駅から地下鉄1号線で2つ目の鐘路3街駅へ行き、3号線に乗り換えて 安国駅 で下車し1番口を出た。
目指すは、東に 景福宮  , 西は 昌徳宮 に挟まれた 三清洞・北村 だ。韓国の伝統的な建物・韓屋が立ち並び、一方でお洒落な店やカフェなども進出した若者に人気のスポット。

 安国郵便局の脇から、原宿の裏通りを思わせる小道を北上すると、女子高校が2棟続いている。突き当たりの高台にある花洞公園で小休憩。眼下に市内の中心地が一望できる。
 そのまま北村韓国村まで通り抜けようとしたが、正読図書館で行きどまり。
丁度出てこられた紳士に道を尋ねると、日本語は?英語なら、ということで村谷が道を教えてもらい、入り口から戻って広々した北村路を北上。

 韓流ドラマに盛んに登場した韓屋を鑑賞しつつ、 「冬のソナタ」のロケ地・ 中央高校 へ到着した。
入口で韓流スターのプロマイドを売っていた人から、「授業中で校内には入れません」と告げられ、門を眺めて引き返す。

 韓屋の並ぶ小路の坂を何度も上がり下がりしてちょっと疲れたので、北村路に沿った喫茶店で休憩。美人だが笑顔がないレジのお嬢さんから、「扉の裏側の席にGoing」と英語・日本語交じりで案内されて着席。
 大きくて柔らかな椅子で、大ぶりのマグカップにたっぷりのアメリカンコーヒー(3,500ウオン)をじっくりと堪能する。暖房がよく効いていて、眠くなってきた。

 中休憩後に、安国駅(2番口)まで戻って1駅乗車し、 景福宮駅  で下車、2番口から地上へ。
紫雲門ギルを少し北上し、 参鶏湯 の人気店 「土俗村(トクソチョン)」 に入る。
 鶏1羽の腹腔に高麗人参・ナツメ・糯米など30種類の薬食材を詰めて煮炊いた参鶏湯(1万5000ウオン)を頼む。
味が絶品で、淡泊ながらハクサイキムチやカクテキとよく合う。当然、マッコリやジンロにぴったり。昼時を過ぎても来店客が絶えない理由がわかった。

 ホテルに戻る3人と別れて、田幸&村谷は火曜日休業の 景福宮 に隣接する本日開業中の 国立古宮博物館 へ入り、李氏朝鮮時代の数々の芸術品をじっくりと鑑賞した。

 ぱらぱらと雨が降ってきたので、景福宮を門外から見て、世宗大路を直進し、途中 道路の中央にある 光化門広場に建つ 世宗大王像 と 李舜臣将軍像 を見上げ、ホテルに戻る。

 夕食は三浦が目星をつけてくれていた、ホテルに近い市庁裏「ムギョドンブゴグッチッ」の並び、ハングル以外の表記・表示・掲示がない、 スンデグッ 居酒屋  무교동 {武橋洞(ムギョドン)}Since 1981 名家ミョンガ 참마(참쌀)순대(국)チャンマ (チャプサル) スンデ (グッ)」』:看板、掲示などいろんな表記があったので正式には?なるも、田幸兄の読み)」
(「INFOMATION FACTORY」さんのページ) へ入る。
豚?の血たっぷり、ひき肉少々に人参ほか各種野菜のみじん切りを腸に詰めた スンデ を、ニラなどの野菜と鍋にして、ジンロなどとともに内側から体を温めた。
 満席で客の入れ替わりがあったが、店員を含め韓国語以外の言葉は全く聞こえてこなかった。

 ホテルに戻り三浦の部屋に集合。
マッコリ・焼酎・ビールと好みの酒で三日間を振り返ってから就寝しました。


<3月4日(水)第4日(ソウル市内観光~仁川空港~成田空港)>   ソウルの地図   ソウルの地図

 最終日はホテル出発が午後3時と余裕があるので、各自、観光・買い物・休息と時間を過ごした。

 田幸&村谷は一昨日の朝にも堪能した
 「小公粥家」(その後、市庁駅近くに移転しました) を再訪することとし、快晴の街へ出かける。
徒歩のため少し手間取ったが9時過ぎ、プラザホテルの裏路地の店にたどり着くと他の客がいない。
 ウニ入り粥(1万7000ウオン)を注文し、突き出しのキムチをお茶で食しながら待つ。店主夫妻は後の席で遅い朝飯を食べながら接客中。ほどなく出てきたウニ粥はアツアツで香りが引き立ち期待通りだった。
 そのうち、他の客も入ってきた。

 市庁駅でTマネーに2,000ウオンずつチャージして、地下鉄に乗り込む。
次のソウル駅で4号線に乗り換えると、空席があったので座る。
 村谷がガイドブックの国立中央博物館の箇所を見ていたら、隣席の婦人が二村(イチョン)で降りるよう教えてくれた。

 4つ目の二村駅で下車し、2番口から地上に出ると9万坪もの敷地がある龍山家族公園が目の前に広がっている。その一角に、2005年に移転・リニューアルオープンした総面積4万坪の 国立中央博物館 が、13万5千点もの展示物を公開している。

 いくつもの建物があり入口の傍らにいた男性に尋ねたら、親切に案内していただけた。
ここも昨年6月に訪れた 国立慶州博物館 、昨日訪問の国立古宮博物館と同様無料で、扶余や光州など国立博物館はすべて無料らしく大英博物館と同じ。日本も見習って欲しいものだ。

 1階から3階までが展示コーナーで、日本や中国などのアジア館もあるが、メインは先史時代から李氏朝鮮王朝時代までの遺物が時代別、文化財別に並ぶ。仏教彫刻や青磁・白磁が特に多いが、村谷が最も気に入ったのが、3階305号室に飾られた大きく真ん丸な 白磁・「月瓶」
(「穏やかな時を求めて」さんのページで「円壷(タルハンアリ)」)と表記された丸い壺)でした。

 季節ごとに展示物が入れ替えられるので、再訪の機会が欲しいと感じた。

 国立中央博物館が 景福宮の南門である光化門と、豊臣秀吉の朝鮮侵略の際の混乱時に燃失・その後再建された景福宮との間に日本政府が建てた名建築、
 旧・朝鮮総督府  ビルにあった頃の1990年に行ったことがあるという田幸は感慨深げだった。

 …台北の総督府と違って建てた場所が悪い、悪すぎる。世宗大路から見ると王宮を覆い隠すべく遮る場所、日本で例えれば皇居前か、京都御所前。

  …旧・朝鮮総督府の建物は、 “ 植民地の残滓の清算を象徴する事業として ” 解体撤去
(「ium」さんのページ)、 尖塔部分など一部部材を天安市郊外の “ 韓国人の民族魂が息づいている  独立記念館” の敷地内に、“ 民族のルーツ ~ “ 日帝強占期の多様な独立運動 ”の展示館とともに朝鮮総督府撤去部材展示公園を設け、地上高いところにあったものを、観覧者が見下ろす?見下す?ようにわざわざ深く掘った穴の中の底に安置しているという。 穴の底まで降りられるので降りれば見上げられるようですが…
  ※ディリー新潮「韓国で展示される朝鮮総督府を見よ 日本統治時代の遺物をゴミ扱いするヘンな発想」

  ※ソウル市西大門独立公園に建つ「独立門」日清戦争で日本が勝利し、1895年の下関条約で清の冊封体制からの李氏朝鮮の独立を認めさせたのち 清への服属を象徴していた迎恩門を壊し、その後 清国からの独立を記念して建設したものですが、多くの韓国人は日本からの独立を記念して建てられた、と誤解しているとか?


 帰りは地下歩道伝いに二村駅に戻り、今度は ソウル駅 で下車、昨年6月にも立ち寄った 大型スーパー「ロッテマート」 に入店し、残ったウオンでイカの塩辛・韓国海苔・ケーキなどを購入し、 南大門 前、 世宗大路 経由、 清渓川・清渓広場 (清渓川の上には高架道路が作られていたが、それを撤去し、公園化したとのこと。) まで散策・休憩し、ホテルに戻った。

  …※参考: 村谷が興味があった ソウル駅で売っている駅弁のページ
  …お江戸でも日本橋川の上の高速道路を撤去(し、公園化)するといいね。


 午後3時前に初日と同じガイドのユンさんがお出迎え、漢江に沿って順調に仁川空港に到着、18時50分発のアシアナ航空OZ108便に日経新聞を取って席に着く。

 ほどなく出された機内食は、牛肉中心で蕎麦とパンが付いたバライティに富んだ内容だった。
缶ビールで平らげているうちに、21時の定刻前に成田空港に到着。何事もなく帰国した。

 税関出場後、お互いの無事を祝して散会しました。

 今回もまた、お出かけしているときには天気に恵まれた海外旅行ができました。


  ※田幸追記:抗日記念・三一節の日に訪韓しましたが、ガイドから日帝強占期についての補習授業もなく、市民からの謝罪要求に接することもありませんでした。
   我らが帰国した翌5日午前7時半(日本時間同)すぎ、米国のリッパート駐韓国大使が、我らが滞在したホテルに近いソウル世宗(セジョン)文化会館で開かれた行事への出席途中、暴漢に刃物で顔を切り付けられ、江北(カンブク)サムスン病院に緊急移送されたとのこと、順調な快癒を祈ります。

           5/19 竹山蔵

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2015年3月1日(日)~4日(水)「ソウル & 世界遺産・水原華城」

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焼き網の両サイドに水を入れるタンクがあり、熱湯が細いパイプ約20本を通り、肉を焼く

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