梅雨曇りの朝、都営三田線・板橋本町駅改札前に、滝澤・山岡・田幸・村谷の4人が集合した。
地上に出て、中山道を江戸の方面に南下する。盛んに行き交う車列は完全に復帰した経済状態を示している。
信号を右折して智清寺に立ち寄って、本日の無事をお願いした。この先にある日曜寺は、幕末に皇女和宮が訪れたお寺として知られているが省略して再び中山道に戻った。
ここで山岡から、中山道と東海道で日本橋から京都まで歩いた村谷に対し、なぜ中山道というのか?という質問があった。
江戸時代の一時期(数十年間)には中仙道ともいわれていたのだがとっさに答えられなかった。
定説では太平洋岸を縦走する東海道と比べて、信州(長野県)を中心に山の中をめぐる道だという村谷の苦しい回答に何とかうなずいてもらう。
国道17号線(現中山道)を横断して、旧中山道・板橋宿に入り少しだけ北上する。
縁切榎(えんきりえのき)に参拝した。
江戸期にはもろもろの悪縁を絶えさせるご利益を願う老若男女が訪れた場所だ。われらもコロナ退散を願った。
皇女和宮は徳川14代将軍との婚礼の途上にあるため、この場所を避けて西側を迂回したという。徳川家茂との結婚生活は4年ほどだが、幸せだったと伝えられているのはほっとする。
旧中山道を南下し、板橋で石神井川を横断する。江戸からわずか10キロほどの道のりで、かつて親娘4人でハワイのフルマラソンを何度も踏破した経験がある滝澤の健脚ならば一走りと冷やかす。
旧本陣跡は大型スーパー「ライフ」が建っていて何も表示がないが、向かいの和菓子「新月堂」さんの風情が何よりだ。
天候不順との予報なので、早めの昼食休憩を求めていったん街道を左折する。
東板橋公園に入った。この付近一帯は、加賀前田藩下屋敷跡地で、緑陰もたっぷりだ。
平日なので2歳児らしい男児とかくれんぼしているまだギャルっぽい母親がベビーカーの背後に身を潜めていた。
巨木がそびえる砂場のベンチ前のスペースを確保して、持参のシートを重ねて敷き詰める。
まずは、冷たい生ビール&缶チューハイで乾杯する。曇天予報のはずが、青空が出てきた。
来月に迫った毎年恒例の信州旅行の打ち合わせなどを含めて、久々の情報交換で小1時間。
公園を出て旧道に復帰、雲行きがやや怪しくなってきたので、先を急ぐ。
平尾脇本陣跡を通過し、国道17号線を横断。
旧中山道平尾宿を通過してJR板橋駅に到着した。東口駅前の近藤勇のお墓にお参りして本日の歩きを締める。
打ち上げは前回同様に中国家常菜「同心房」。
午後1時過ぎのためランチタイムの常連もいたが、何とか6人席を確保し、定番のつまみや生ビール・ホッピーで締めました。(村谷 記)
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コース
都営三田線・板橋本町駅下りホーム側改札前(地下)〜中山道を南下〜智清寺〜旧中山道に入る〜縁切榎〜板橋(石神井川を横断)〜板橋宿本陣跡〜東板橋公園〜旧中山道〜JR埼京線・新板橋駅
<歩行距離:4km±α、歩行時間:1時間10分±α>
*「板橋区・いたばしまちあるきマップ」のうち「板橋エリア」を参照して歩きました。
地図面 概要面
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管理人追記:菅野兄が、Eテレの7月5日(日)に放送された「NHK俳句」 (選者は小澤實さん、題は水着)で、昨年10月13日放送での最優秀句入選に続き、二度目の入選をされました。
再放送は、Eテレの7月8日(水)午後3時からです。
「ジーパンを 脱げば花柄 水着かな」
★2020年7月7日(火)「旧中山道板橋宿散策(板橋本町駅〜板橋駅)」