2014年6月18日〜21日「韓国縦断、釜山〜慶州〜ソウル」

   「アリラン」の歌(You Tube)…この歌を聴きながら、別ページでこのページを閲覧すると、朝鮮滞在気分 (^^♪

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村谷のレポート

<6月18日(水)第一日;成田空港〜釜山>   釜山の地図   釜山の地図  大韓民国

 10時30分、成田国際空港第一ターミナル北ウイング4階の、JTBカウンター前に経験豊かな三浦班長、積極派の山本・井上両嬢と韓国は初体験の村谷の4人が集合した。

 昨秋の台北5日間ツアーですっかり意気投合したメンバー。 
スムーズに手続きを済ませて、早々に出発ロビーに入り、まずは4日間の概要を打ち合わせる。
ビール大1、中2、アイスコーヒー1をそれぞれ片手に、安全と健康第一を誓い合う。

 定刻の12時45分に 大韓航空 716便が出発。2時間ほどの所要時間ながら、早速機内食が出てきた。
メインの牛肉ごはんのほかに、パンやデザートが付く。銘々韓国ビールを注文する。噂通り薄いがすっきりとしていて、食前酒には合う。

 空席が結構あったので、3人席を2人ずつゆったりと座りなおす。
6人のスチューワーデス嬢はいずれも日本語が堪能で、どの女性が日本人か見分けがつかなかったが、両嬢によれば肌がきれいなほうが韓国人とのこと。村谷は?

 長い髪の毛を紐のような御揃いの飾りで結んでいるのが目についたので、質問してみたら、中が韓国紙(コウゾ製)で外側が樹脂のようだった。

 そのうち 金海国際空港 に到着。通関・荷物も問題なくロビーで、2日間お世話になる南ガイドさんがにこやかにお出迎え。33歳の新婚さんで、日本の友人を訪問したりして10年間磨き上げたという日本語はなかなか見事だった。
午前中までは雨だったそうだが、着いた時にはすっかり晴れ上がっていて幸先が良い。

 12人乗りのバスでホテルに移動する。ベルト着用の指示を守り着席。台北の運転手さんとはだいぶ違い、穏やかな表情と同様の運転で一安心。

 地下鉄1号線で釜山駅から一つ南寄りの 中央洞駅 傍の高台にある老舗・ 「コモドホテル」 にチェックインし、男女各部屋に分かれて荷物を解く。
窓の正面には 釜山港  と  釜山タワー

 1時間ほど休息したのち夕食に出かける。
急階段をいくつか下り、下町の商店街を抜けて、メインストリートの中央路。三浦の提案に従い、 地下街 を行くことにした。
 台北と同様に防空壕を兼ねているが、道の両側にはずらっと商店が続く。
女性陣が立ち止まるのに合わせて、ラッシュアワーの人波を掻き分け進む。道行く人たちの服装は日本と全く変わらない。

 南浦洞駅の一番西端から地上に出ると、 チャガルチ市場 は目と鼻の先だった。
右手に続く小さな食堂のおばさんが盛んに流暢な日本語で呼び込みを行っていたが、左手のビル内に三浦が選んでいた恰好な食堂があるので振り向かないで通過。

 市場の1階は巨大な水槽が3列に並ぶ壮観な景色が広がる。タイやヒラメ等の白身魚や、巨大なカニ、アワビ、ウナギが目立つ。
ひとしきり鑑賞したところで、2階に上がり一番目立つ 「渡辺屋」 に入り、港が一望できる窓際に着席。
メイン料理だけ注文すればよいとのことから、アワビとヒラメの刺身の大皿を注文する。

 店主夫人が日本人で日本語も通じて安心だ。まずはビールで乾杯、マッコリと釜山の焼酎(真露はありませんでした)も追加。刺身は想像以上の味だった。
 キムチ始め付け合せの皿数が非常に多く、12皿までは数えたがきりがない。キムチ数種は当然として、エビとサツマイモの天ぷら、チジミ、ジャガイモ煮などなど。
絶品は 活きた小蛸の踊り喰い 。女性陣が敬遠気味だったので、ほとんど村谷が一人で食した。
        
(↑You Tube)

 かなり、酒類を追加したが、日本円で1万円未満とは驚きだ。
すっかり堪能したが、まだ午後7時で夜の気配が感じられないので、1階の波止場で夕涼み。「釜山港に帰れ」の歌碑らしい大きな石造の前で腰を下ろす。
 我らの隣席で盛り上がっていた20人ほどの会社帰りと思しき若者の一団は、さっさとカラオケに繰り出したらしい(翌日ガイドさんに教えてもらいました)。

 家族連れがまだ遊んでいたが、ようやく暗くなってきたのでタクシーで帰途に着く。
一足先に出た両嬢は 「ロッテ百貨店光復店」  に立ち寄ってきたとのこと。

 コンビニで買い出しを行い、男部屋で反省会を行ってから就寝しました。


<6月19日(木)ツアー第2日(釜山〜慶州)>   慶州の地図    慶州の地図

 本日は3食とも外食で、 釜 山  と 慶 州 の両方を観光するというよくばりプラン。
一同張り切って、集合時間の10分前の午前8時にはロビーに集合した。

 村谷が朝、韓国の地図を見ていて、釜山=大阪、慶州=京都・奈良、そしてソウル=東京と位置関係や風土が似ている気がした。

 8時10分、爽やかな笑顔でガイドの南さんが到着。バスは昨日より一回り小型で、運転手さんも若い。
本日は朝から好天で、海風が心地よい。

 先ずは朝食。車で移動して1940年創業の
「三代フグ」に入る。熱々のフグが沢山入ったスープが運ばれてきた。キムチなど付け合せが豊富なので、ビールを注文する。スープを全部飲み干した村谷はすっかり満腹になった。
 壁には色紙が数枚飾られていたがほとんどハングルで書かれていて、「金東泰」というサインがやっと判読できた。
店外で車を待ち合わせている間に、隣の細長い6階建てのビルを見ると全館がカラオケビル。

 車で小高い丘の上にある 龍頭山公園に移動し、釜山タワー に向かう。街並みが一望できる展望台の周囲には、カラフルなハート形の板に、願い事が書かれて手すりに沢山結び付けられていた。恋愛成就や入学祈願、病気平癒などが中心とのことで、日本と変わらない。
 エレベーターの乗り口で、夫婦・子供2人の家族づれのお母さんから、流暢な日本語で話しかけられた。群馬県に15年間暮らしたことがあり、子供たちにも日本語を教えているので、何か話しかけて欲しいとのこと。喜んで話すと、男の子が皆に小さなキャンディを配ってくれた。

 1974年に完成した釜山タワーの標高118mの展望台からは360度の視界が広がる。土地が狭いために山の中腹まで家々が建てられているのが見える。
 エレベーターで降りて、公園の日陰で朝寝?昼寝?している人たちの横を通過し、長い階段を下って光復路へ降り立つ。  

 チャガルチ市場は省略して、BIFF広場経由で 国際市場 に向かうが、まだ時間が早いために開いている店は少ない。それでも次々に店が開き始めて、呼び込みの声がかかってくる。いずれも堪能な日本語だ。

 村谷は、ソウルより割り安だとガイドさんのおすすめで韓国海苔「名品」を1袋購入したが、帰国後食し上々だった。
アリラン通りに出る。交換レートは空港が1万ウオン=940円、ホテルでは950円、市場では990円程度だった。

 昼食は郊外の市場の一角にある食堂でデジクッパ。地元の人たちと隣り合わせの大衆食堂だったが、キムチ等の付け合せが豊富でビールを注文した。
 豚骨スープに豚肉や野菜、丼のそこにはご飯がたっぷり。おいしくて汁まで完食した。
店の名前はすべてハングル表記のため判読できず。

 腹ごなしに市場を散策したが、後がある為買い物はせず眺めただけ。野菜の質が大小様々だった。
駆け足の釜山市内観光を終えて、約90kmの道のりを車で飛ばす。
道路は広くて整備されているが、たまにジャンプするのでシートベルトは不可欠だ。

 瓦造りの屋根が出てくると、新羅1000年の古都 世界遺産の街、慶州 に入る。
道の両側に、歴代の王と王妃の墓が古墳状に次々と出現する。
 周囲の半径500m以内の建物は古墳を超えないように制限されていて、保存状態がとても良い。
但し埋葬者が特定されていないのは、一種の知恵かもしれない。
唯一、内部が見学できる 天馬塚 に入り、ガイドさんの明快な解説を聞き、埋葬物の質の高さに驚かされる。

 続いて山道をどんどん登っていき、吐含山中に作られた 世界遺産、石窟寺院「石窟庵」 を訪れる。
広い駐車場横では老婦人たちが地元産のキノコやブルーベリーなどを売っていた。
 山門の左手にある大きな鐘閣の裏手から1kmほど山道を歩く。人になれた小リスが陶器製のゴミ箱に捨てられた食料を求めて大胆によってくる。
 大きな石段を少し上ると花崗岩製のドームの室内に、高さ3.4mの釈迦如来像が鎮座しておられる。額に埋め込まれたガラスの玉が冬至と夏至には東から差し込む光で輝くそうだが、修復工事で周囲が覆われていたので見られなかった。

 山門外からバスで下ると、 世界遺産、仏国寺 。新羅時代の528年の創建で、俗世と仏圀土を体験できるところだ。
 ここでも、南ガイドさんの詳細な説明を聞き、主要なポイントをすべて制覇した。駐車場には大型バスが何台も停まっていて、主力は史跡めぐりツアーを楽しむ中年の韓国人専業主婦とのこと。
。 
 新婚のガイドさんによれば、最近は住宅価格が上がって共働きが多くなったそうだ。男性観光客は我々を含めても数えるほどだった。

 仕上げに中心部まで戻り、 国立慶州博物館 に入る。
新羅王朝1000年の文化遺産が集大成され、発掘された金冠、冠帽、瑞獣型土器、聖徳大王神鐘などの国宝が展示されている。
輝かしい先祖の歴史を学ぶべく、大勢の学生や若者が指導者に連れられて熱心に見学していた。

 夕食は
 傳統韓定食「貴下」 で、松茸釜飯とチャプチェがメインの豪華版。ビール・マッコリ・焼酎もたっぷりと注文して、チジミ始め豊富なツマミを、ハードスケジュールを消化した慰労を兼ねて堪能した。

 今夜の宿は普門湖の傍にある リゾートホテル「コモドホテル慶州朝鮮」 
地下1階にある大浴場で汗を流し、コンビニで買い込んだ酒とツマミを、衛星放送のNHKテレビで日本のニュースを確認しつつ打ち上げました。


<6月20日(金)第3日(慶州〜ソウル)>

 本日も  ソ ウ ル  への移動と観光が組み込まれた強行スケジュールだが、昨夜の大浴場でのリフレッシュのおかげで、村谷は午前5時に起床した。
 同宿の三浦を起こさぬよう、カメラ片手に部屋を出る。

 現代慶州ホテルや慶州ヒルトンホテルが立ち並ぶ普門湖畔一帯は、 普門観光団地 になっていて、昔風の建造物や食堂などが整備され、湖に沿った桜並木はタータンの遊歩道となっている。早朝にもかかわらず散歩やジョギングの宿泊客が続々とすれ違う。
 湖の対岸にある小山はややけぶっていたが、本日も上天気のようだ。ホテル前のコンビニで買ったペットボトルが空になったので、戻るとちょうど午前6時半の朝食開始タイムだった。

 三浦班4名全員が揃って、朝食のバイキング会場へ。メニューは非常に豊富だったが、この後の昼食、夕食ともたっぷりなので、おかゆを主に野菜中心で抑え目に済ませた。

 8時過ぎにガイドの南さんがお出迎え。一旦、湖に沿って、普門路を下って市街地に出て、さらに2年前に開業した 新慶州駅 に到着したのは8時40分。
 
 周りは畑と丘の何もない場所には珍しい立派な建物だが、一先ず待合室に腰を下ろす。FIFAワールドカップの韓国戦が生中継中。
日本の新幹線と違い
改札がないのでそのままホームに出る。
 南さんに見送られて乗車する。

 ソウルまで約370kmを2時間余で走るという、フランスから導入した K T X  だ。途中駅に度々停車するので東海道新幹線のこだま並のスピードだったが、売店でカンビールを買い込んだ村谷は苦にならない。

 通路の両側は各2人席でゆったりしている。ひっきりなしに行き交う売り子さんからまたカンビールを買い込んだ。

 ソウル駅に到着して、ホームからエスカレーターで上がると、駅中?駅外?
(KTXのソウル駅や新慶州駅には 改札がありません  ⇒  改札を機械化する日本、改札をなくす韓国)多くの店が立ち並んでいる。待ち合わせはマクドナルド前。目がぱっちりしたガイドの金さんと無事に落ち合った。

 地上に降り立って、駅前で停車中のマイクロバスに乗り込み、世宗路を北上する。流石に首都だけあって高層ビルが立ち並び車の通行量が多く、東京と変わりがない。
 車中で、ガイドさんの下の名前が日本の女優さんと同じだという話になって、珍しく村谷が苗字を教えてあげ、速スマホで写真を検索して大いに盛り上がった。

 ソウル5大宮での一つで、宗廟(チョンミョ)などととともに世界文化遺産 昌徳宮(チャンドックン)に入る。
1403年創立で度々火災に見舞われたそうだが、保存状態が良好なことでも知られる。
正門・敦化門から入り、大勢の観光客とともに宮殿内を一周する。
 南ガイドさんと 同様に、金さんの説明がわかりやすく丁寧だ。日本で暮らしたこともあるそうで、全くよどみがない。数多くの史跡の中では、水を渡って邪気を払うとされた錦川橋と、王の執務場所だった青瓦屋根の宣政殿が印象的だった。
 …大統領官邸の屋根に青瓦を載せ「青瓦台(チョンワデ)」 というのもここからきているとか。
 また、日本の梨本宮家から嫁いだ李方子女史が晩年暮らした建物だけが日本風に作られていて、とても質素だった。

 門外に出て昼食場所に移動する。全州ビビンバ、ソルロンタン、スンドゥブチゲ、カルビスープ、冷麺からの一択だったが、夕食とのバランスと、疲れた胃にやさしいスンドゥブチゲを選択し、ガイドさんが店に連絡した。

 車で着いた先が忠正路駅近くの
「高麗亭」(中区中林洞500番地)。熱々のチゲを冷たいビールや焼酎で食した。
 例によってキムチ等の付け合せが沢山並んだが、中でも岩海苔の佃煮が村谷のお気に入りで、土産に2パック購入した。(帰宅後家族に披露して好評でした)

 次に仁寺洞を散策する。伝統小物の店が並んでいて、いつの間にか女性陣の荷物が増えていた。ここの両替レートも990円だ。

 さらに車で移動して 北村韓屋村 。高台に韓屋が860棟が集まっていて、「冬ソナの中央高校」もあり韓流ドラマには欠かせない場所だ。一旦坂道を上がって、さらに階段を登ると、若い男女が大勢行き来していて、ドラマに出た場所では記念撮影に余念がない。

 今度は両嬢お待ちかねの東和免税店ソウルワールド店へ移動する。頼まれた化粧品購入に夢中の女性3人を尻目に、男性2名はすらりとした店員さんたちを眺めて待つ。

 買い物を堪能した後、 明洞 へ移動しブランドショップが並ぶメイン通りから小道まで散策。
車中から 景福宮 前で行われていた王宮守門将交代儀式を眺め、2008年に惜しくも放火で焼失し、その後再建された 南大門 前を通過する。

 続いて1万店の店が集う 南大門市場 へ。買い物は明日に回すことにして、大よその地理を学び、夕食場所に移る。
 ここではサムギョプサル、海鮮鍋、プルコギ、参鶏湯からの一択だったが、この旅では少なかった肉料理ということで、プルコギを選択する。
 例によって冷たいビール・マッコリ・焼酎で、豊富な付け合せとともに堪能した。

 最終日のホテルはソウル市庁前の 「ホテルプレジデント」 。老舗だが全館リニューアルを完了していて、部屋の広さや設備も釜山・慶州より一段上だった。

 男性陣が部屋で一息入れている間に、両嬢は市庁前広場で催されていたイベントの見学に出かけた。
まだ時間があるのでロビーに集合し、週末の明洞散歩に出かける。

 カラオケ店で韓国語に堪能な三浦が入店交渉したが、サラリーマングループが宴会を終えてカラオケに繰り出すらしいとかで、残念ながら外国人はお断り。

 雨がぱらついてきたので、ホテルに戻ることとし、南大門路を横断し、小公路に出て帰還した。
今夜は部屋単位で締めを行うこととして、三浦&村谷は、途中のコンビニだ買い込んだビール&焼酎をなめながら、窓の外に広がるネオンを肴に、12時近くまで最後の夜を噛みしめた。


<6月21日(土)第四日(ソウル〜成田)>

 本日は終日自由行動なので、ゆっくりして買い物に充てる予定。
それでも、目が覚めた約3人は朝の散歩に出かけた。

 チェックアウトを済ませて、ホテルに荷物を預けて出発する。
流しのタクシーを拾って一路 ソウル駅 に向かう。
 お目当ては、 土産物 の買い物に便利と最近評判になっている駅に隣接する
「ロッテマート」だ。
 2階が食料品と化粧品売り場。売り子さんに日本語が通じるほか、広い店内をタスキをかけたベテラン案内人が巡回している。
 村谷は、豊富な種類の韓国海苔の中から釜山で1袋買った「名品」と、南ガイドさんもご愛用の烏賊の塩辛(キムチ入り)をどっさり買い込んだ。両嬢は化粧品も買い増ししたようだった。

 荷物が増えたので駅前でタクシーを拾って明洞へ。
金ガイドさんも通っている評判店・「ハムチョ・カンジャンケジャン」 がお目当てだ。
地下鉄4号線・明洞駅前で下車し、退渓路を横断し一本裏側に入る。
 1階で胡桃菓子を売っていたお姉さんが、同じ系列ですよといって試食用の半個をくれて場所を教えてくれた(帰りにお礼に1箱11個入りを1万ウオンで購入したが空港売店の半額だった)。

 入口に日本語で「ハムチョ カンジャンケジャン」との看板の横から地下1階にある店舗は、われらが一番乗り。ワタリガニの醤油漬けとライスを頼むと、キムチ等がずらっと出てきたので、ビールと焼酎を求めた。
 壁上部にある大型スクリーンに、秘伝のはずのタレの作り方が詳しく上映されている。
イクラの醤油漬けの味と似ていると北国生まれの三浦&村谷の感想は、昆布を沢山入れていたので当たらずとも言えず遠からず。仕上げにカニの味噌にたれをかけて、ごはんに乗せたが、期待通り絶品で、この旅の食事の中でベストと4人が一致した。

 後で空港で入手した「ソウルあいまっぷ」をみると、地下鉄2号線・乙支路入口駅近くの「明洞ヘルムタウン&カンジャンケジャン」が本店のようだ。
なお、隣りのビルが「明洞実弾射撃場」でした。

 次々とお客が入ってきたので外に出た。腹ごなしに明洞の商店街をぶらぶらと散歩する。
村谷は大型のリュックを1万ウオンで購入して買い物を纏める。
 明洞通りのベンチで休息していると、赤い制服姿の案内ガールが数名、交差点に出現。
急に人だかりがしたので、村谷と山本が駆けつけると、韓流ドラマの女優さんのサイン会(一人1万5千ウオン)。覗いてみたが屈強なガードマンが仕切っているのであきらめて戻った。

 日差しが強くなってきたので、旧中国大使館裏の喫茶店で一休み。
大きなケーキ付で6000ウオン。食べきれないので、6名できていた隣席の女性たちにおすそ分けして国際交流に少しだけ貢献した。

 ホテルに戻り、迎えの車を待つ。
 渋滞と土曜日午後とあって、20分ほど遅れてきたマイクロバスで一路 仁川国際空港 へ。ここも込み合っていたがガイドさんに手続きをしてもらい出発ロビーに入る。

 定刻通り18時35分にKE705便が出発。
帰りの機内食も肉ごはんだったが、ビールとともに完食。成田には予定より早く20時40分に到着しました。

 豊富な経験でわれら3人の班員を先導していただいた三浦班長、随所で気配りしていただきました山本・井上の両嬢に、心からお礼申し上げますとともに、またご一緒できますようお願い申し上げます。

 また、旅程をチェックしていただき、適切なアドバイスをいただきました田幸兄に、お礼申し上げます。

 台湾やタイと同様に目標を経済的発展に絞って突き進むエネルギーを感じましたが、追いつかれてきているとは言いながら、随所に日本の優位性を感じた旅でした。

 初韓国。今回もまた、天候に恵まれた海外旅行ができました


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