<4月29日(土&祝)第12回都内水辺散歩「鬼平犯科帳ゆかりの地をめぐる(本所吾妻橋〜両国)」>
ゴールデンウイークの初日、明日は大雨ぽい予報なので村谷は都内水辺散歩の続きを行った。
池波正太郎の 生誕100年を記念して、墨田区観光協会が1月24日(火)〜3月26日(日)まで企画開催していた「鬼平犯科帳ゆかりの地をめぐる」コースを選んだ。
観光協会が設置した高札型説明板 「鬼平情景」を 確かめながら歩く趣向。平成25年に墨田区内16か所に整備されたもので、本日はその大半を歩く。
なお、歩行距離が8.5kmとやや長いので、途中で長めの休憩タイムをとることにした。
…高札型説明板は、「鬼平情景」のほか 「江戸の町」、 「忠臣蔵」 な ど も見かけました。
午後1時少し前に都営浅草線・本所吾妻橋駅改札を出て、浅草通りに上がった。
北側の歩道を歩きだす。青空ながらかなり風が強い(帰宅後に本日の催行風速は17m/秒だと判明)ので、帽子にしっかるとあごひもを装着。
道脇に10人以上の列ができている。塩パンが人気の『パン・メゾン』おいしそうだが待つ時間がもったいないので通過。
靖国通りとの分岐点を右斜め方向に行くと賑やかな歓声が聞こえてきた。白人男女6人が、ゴーカートを運転中。一般道を走行してもよいのだろうか?
右手の頭上に大きな金ぴかのオブジェのアサヒビールが聳え立つ。吾妻橋の袂に着いた。
『隅田公園入口』という大きな石柱の横に、本日最初の高札「吾妻橋」が出現。そのままテラスに入ると赤いツツジが見頃。
すれ違う人たちのマスク着用率はほぼ半々。敬愛する勝海舟像に一礼してから、一旦テラスから墨堤通りに降り立ち、枕橋で北十間川を渡る。
渡り切った先の左手に2番目の高札「枕橋さなだや」があった。蕎麦屋として登場している。
テラスに戻り北上、言問橋を潜り抜けて少し進んだ土手の右手に3番目の高札「みめぐりの土手」があった。
4番目の高札「三囲神社」の鳥居の脇から上がった場所にあるからこの名で呼ばれていた。犯科帳には「大川の隠居」に登場している。
階段を下り、墨堤通りを横断、左手の三囲神社に参拝して本日の道中無事をお願いした。
見番通りを南下する。前回は休館中だった『すみだ郷土文化資料館』が新装開館していたので立ち寄る(入館料100円)。
1階から3階が展示室で、企画展は「すみだの歳時記 春から夏へ」<3月29日(水)〜8月6日(日)>だった。隅田川に関する歴史的な資料がたっぷりと見られる。なかでも、川に縁の版画がいくつも展示されていて写真で見るのとは大違いの迫力だった。北斎や広重、三代豊国などの著名な浮世絵を間近で鑑賞できるのはお得だ。
言問通りを横断し南下、右手の牛嶋神社は遥拝して源森橋で北十間川の真新しいテラスに入ると、若者たちや家族連れで賑わっている。テラス脇にはお洒落な飲食店などがずらり。次々にお客さんが入店していく。小梅橋で一旦テラスは途切れ、とうきょうスカイツリー駅方面に回り込む。
大門通りを渡り、東武橋でテラス北岸側に復帰すると、人出が一挙に増える。川面一面に鯉のぼりが飾られていて、頭上のスカイツリーとマッチする絶景の撮影ポイントになっている。飛び交う会話の多くは外国語で、北京語も交じっているようだ。
次の橋との中間時点には数台の放水銃が設置されていて、ちょうど放水が始まった。どんどんと堆積していく泡の上には、強風で大きく左右に揺れる鯉のぼり群が映り、あたかも鯉が滝登りしているような光景にみえる。
人波をかき分けながらおしなり橋で南岸に移り、業平二丁目交差点で浅草通りを横断した。すぐ左手には、5番目の高札「春慶寺」がある。
今もこの地に立派なビルとして現存するこの寺は、犯科帳で鬼平の盟友として度々登場する岸井左馬之助の住居に想定。左馬之助役を演じた俳優・江守徹の筆になる書が掲示されている。
浅草通りを西方向に歩きだす。ほどなく6番目の高札「西尾隠岐守屋敷」が出現。高札の真ん前にある和菓子処「みりん堂」では、商魂たくましく「平蔵せんべい(古地図付き)」が新たに登場、5枚864円はやや高い気がした。
再び東武橋に戻り、大横川の水源地点にある小公園に降り立つと、本日も子供たちが水の周りを走り回っている。7番目の高札「業平橋」を確認した。「大岡裁き」の名作の一つ「縛られ地蔵」の舞台となった南蔵院は当初この付近にあって、その後に現在の葛飾区水元公園近くに移転したという記述があった。
浅草通りを潜り抜けて、大横川親水公園に入った。連休初日の広場では、あちらこちらで家族連れが歩いたり、走ったり、水辺に竿を差し出していたり、している。
また、毎日が休日のはずの老人たちの娯楽場・釣り堀も平日よりも混み合っていた。
モッコウバラはまだたっぷりと咲き残っている。
紅葉橋の袂で8番目の高札「出村の桜屋敷」を確認した。すでに江戸期から桜の名所だったことが判る。
一旦地上に上がって、9番目の高札に登場する「法恩寺」に入った。太田道灌創建の古刹で立派な参道と壮麗な建物が辺りの寺々を睥睨している。本堂わきには鬼平犯科帳に描かれた一文が引用された詳しい掲示があった。高札を山門を出た左手で確認し、法恩寺橋から親水公園に復帰した。
目の前にJR総武線がある左手の桜並木の下に、木製ベンチがあったので休憩。日差しが強いのでサングラスをかけたままで缶チューハイを一口、水分を補給?した。ハチミツカリントウで小腹を満たして小30分。
江東橋の先の緑四丁目交差点で京葉道路を横断し、そのまま南下する。
右手に五柱稲荷神社があったので参拝した。本殿右手に「勝海舟揺籃之地」と大書されていて、海舟が8歳から23歳までを過ごした、旗本・岡野孫一郎の屋敷地だったと初めて知った。
…勝海舟生誕の地 ・ 両国公園は 18日に訪問したばかり。
すぐ先に10番目の高札「長谷川平蔵の旧邸」があった。松平定信からの信頼が厚く、佃島の人足寄せ場建設を提言したことが大きな功績として評価させている。
残る高札は3か所。馬車通りを西進し、区役所通りを突当り左折、新堅川橋で堅川を渡る。中和小学校前で右折西進し、千歳三丁目交差点脇で11番目の高札「茶店笹や」を確認した。北林谷栄が演じたお熊ばあさんが商っていた店という想定。
二之橋へ右折、北上し、渡った先左手に12番目の高札「軍鶏なべ屋 五鉄」があったとした場所。人形町の有名店「玉ひで」をモデルに 池波正太郎が創作したとされ、今年3月22日から羽生パーキングエリアの『鬼平江戸処』で、「しゃもすきうどん五鉄」がリニューアル販売されている(1,500円)。
この先は一之橋まで整備された遊歩道が続く。隅田川とは対照的に白いツツジが目立つのは、頭上を走る首都高速7号線の影響かもしれない。
千歳橋、塩原橋を経て堅川が隅田川に最も近い一之橋の袂を右折北上し、本日最後の13番目の高札「料亭 井筒」を探すが見つからない。
代わりに 「与兵衛寿司発祥の地」の説明板を発見した。初めてワサビを用いた握り寿司の元祖・華屋与兵衛が、両国回向院に近い当地に店を開いた場所。長谷川平蔵(1745〜95)は、残念ながら江戸後期の文政7年(1824)に開店した握り寿司を口にすることはできなかった。
午後3時40分、両国駅にゴールイン、160分の行程だった。
都営大江戸線両国駅から帰途に着く。祝日のため魚三酒場は開店していないので素直に帰宅しました。
次回は、横十間川〜仙台堀川を歩く予定。(村谷 記)
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★2023年4月29日(祝・土)「鬼平犯科帳ゆかりの地をめぐる(本所吾妻橋〜両国)」