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<4月22日(土)都内水辺散歩「小名木川(東大島駅〜清澄白河駅)>

 村谷は久々の水辺散歩は小名木川を選んだ。天正18年(1590)江戸入府した徳川家康が最初に命じたのが、神田上水の開削と小名木川建設だった。
当時の海岸線が現在の小名木川の右岸であったため、工事を命ぜられた小名木四郎兵衛は海面を埋め立てて左岸を築いたのだ。
 江戸の中心部を南北に並行して流れていた隅田川と旧中川を東西に結び、さらに新川(船堀川)を経て塩田があった行徳までの水路を確保することが、経済的にも軍事的にも緊急の課題であった。川の長さは4.9km。

 1時半、都営新宿線・
東大島駅から出発。入れ違いに電車に乗り込んできたギャルは、おなかが見えそうな短い上着で、マスクなしの美人だった。村谷が本日手に持つのは「江東区観光周遊MAP」

 中川舟番所資料館横を通過する。寛文6年(1661)設置された中川舟番所は、江戸の町に流出入する船荷を厳重にチェックした。武器の持ち込みや米の持ち出しが特に重要視されたという。

 旧中川川の駅に降り立つ。水陸両用バスのスプラッシュポイントになっており、SKY DUCKが時折発着している。

 番所橋から小名木川の右岸を歩く。塩の道と名付けられた遊歩道が続いている。

 塩の道橋を潜る。橋の左手から仙台堀川公園が始まっている。昭和初期までは人工河川が行き来していた名残だ。

 次の丸八橋で一旦地上に上がった。
丸八通りを渡った先にある大島(おおじま)稲荷神社に参拝して本日の無事をお願いした。

 大島という地名の由来は、この一帯が低湿地の比較的大きな島だったからという。深川漁師町にある大島町と区別するため「おおじま」と濁って読む。

 元禄5年9月末に、松尾芭蕉が門人の酒堂とともに深川から船に乗り、桐溪宅を訪れた際に参拝した時に読まれた句が
「秋に添て 行かばや末は 小松川」。句の意味を考えながら歩くことにした。
境内にはさらに小林一茶の句が句碑はないものの掲示されている。
「水売りの 今来た顔や 愛宕山」は良質の水がなく、水売りの船が往来していた。

 神田上水は神田川を越える水樋が架けられていた(水道橋の名の由来)が、流石に隅田川は越せなかった。

 再び遊歩道に戻る。川沿いに植えられた柳の木々がすっかり大きくなって、見事な緑のすだれを見せている。所々に設けられた藤棚もまさに見ごろだった。

 
進開橋で明治通りを潜り抜ける。

 JR貨物専用線を潜り抜ける。総武線の小岩駅と越中島駅を結ぶ路線で、越中島線だ。現在は1日に数本の貨物列車が通過する。

 左手にあった広大な小名木川貨物駅再開発され、大型ショッピングセンターと高層マンション群に生まれ変わった。

 親水公園になっている横十間川は、スカイツリーの絶景ポイントでもあるクローバー橋で横断する。万治2年(1659)開削されたこの川は、北十間川から南下し、小名木川と交錯し、堅川に通じる。仙台堀川に合流し右折、大横川に通じている。

 この付近で手をつないで散歩した孫はそれぞれ、今春高1と小4に成長した。

 ようやく、芭蕉の句の意味が解釈できた。奥の細道に旅立つ2年前の晩秋に、深川から小松川を向かう水路を4分の3過ぎた場所で詠まれたこの句は、人生の行く手が近づいたことを暗示しているようだ。

 
小名木川橋で四ツ目通りを潜る。

 
小松橋で正面に扇橋閘門が出現したので一旦、猿江の町内へ迂回する。動物の名が入った地名は珍しい。康平年間(1058)に「源義家臣猿藤太」と書かれた鎧を着た武士の遺体が漂着し、手厚く葬ったからだという。単身赴任中の愛知県で猿投(さなげ)という地名があったことを思い出す。

 扇橋閘門の入り口に行くと、耐震補強工事中。閘門の幅が214.5mと表示されていた。左手に広々した草むらがある扇橋河川公園があり、YAC散歩にはちょうどよい休憩場所になる。

 
尊扇橋で遊歩道に戻るとすぐ、大横川と交差する。猿江舟改番所があったことを示す立札がある。
先月中旬の桜が満開だった時に下った左岸を北上、
猿江橋渡り右岸を南下し、新高橋で遊歩道に復帰した。

 時々、釣竿を持つ少年たちとすれ違う。懇意にしている関連会社の吊り名人・OT氏によれば、江東区の人工河川は小魚の宝庫だという。

 小ぶりのザックを背負った同年配と思しき女性二人連れを追い抜く。手には「江東区観光周遊MAP」が握られていた。

 
大富橋で三ツ目通りを潜り抜けた。

 
東深川橋、西深川橋を通過。両橋の中ほどの右手に、YSC散歩で訪れた森下文化センター(田川水泡・のらくろ館)がある。

 以前、加瀬兄のご紹介で小名木川クルージングに出発した高橋乗船場の先にある
高橋(たかばし)で、清澄通りを潜る。

 小名木川水門に突当り迂回し、隅田川の合流点近くに架かる萬年橋に到着した。葛飾北斎の富岳三十六景に描かれた浮世絵は、代表作の一つとされている。

 隅田川へ回り込み、芭蕉庵史跡展望庭園に上り、芭蕉像に一礼したのは午後2時40分、70分間の小名木川散歩を終えた。

 芭蕉稲荷神社(芭蕉庵跡)にお参りして本日の無事を感謝した。

 神社から20mで
萬年橋に戻り、万年橋通りを南下、清洲橋通りを横断し、清澄庭園西側の清澄公園に入った。広い園内にはいくつもテントが張られていて、ボールやフリスビーが飛び交っている。

 木製のベンチが空いていたので足元に新聞紙を敷き遅めの昼食休憩。缶チューハイをピーナッツとともに呑み干す。

 30分の小休憩を済ませ出発。
清澄橋仙台堀川を渡る。橋ですれ違った自転車に乗った30代とおぼしき女性がマスクなしの美人だった。

 亀堀公園の先から清澄通りに出て、午後3時35分に魚三酒場の行列に並ぶ。平日より長くてちょうど50番目だった。
定刻の午後4時に1階席を確保、マグロ中落ち、アジフライ、ブリ汁を肴に熱燗数杯で締めました。

 次回は墨田区観光協会が今年1月24日(火)から3月26日(日)に企画した「池波正太郎生誕100周年・鬼平犯科帳ゆかりの地をめぐる(両国駅→本所吾妻橋駅)」を歩く予定。(村谷 記)

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★2023年4月22日(土)「小名木川(東大島駅〜清澄白河駅)」