8月も残り少なくなり、村谷は久々に葛飾散歩を行うため、午後12時半に京成金町線・柴又駅を出発する。
相変わらずの猛暑日の予報ながら、風は少しだけ秋の気配が漂ってきたように感じる。
「フーテンの寅」像に会釈し、線路沿いにある柴又観光案内所を覗いた。区の伝統産業品の販売を行うアンテナショップを兼ねていた。
いったん、柴又街道に出て線路沿いに北上する。京成金町駅との間の単線軌道は、明治32年(1899)に常磐線から帝釈天への参拝客用に開設され、当初の13年間は人力で運転され、その後は京成電車に変わったという歴史がある。
右手に広がる広大な金町浄水場の中ほどに位置する踏切を渡り、真言宗豊山派・良観寺で疫病除けを願った。柴又七福神の一つで、布袋尊が鎮座し南葛八十八ヶ所の第52番札所でもあるので、2017年に続き二度目の参拝。
住宅街の小路を柴又駅方面に戻り返す。日影が多くて助かる。左手に柴又八幡神社があるので、休憩を兼ねて役病退散を祈願した。
近年になって社殿裏から6世紀の作らしいハニワが出土し、帽子をかぶっているので「寅さん埴輪」と呼ばれているという。
外に出て左折し、柴又街道を渡り、右折しすぐの帝釈天参道に入った。それなりの人出はあるが、休日なのにいつもの2〜3割程度だった。
両側の商店をゆっくりと眺めながら柴又帝釈天(題経寺)に久々の参拝を行う。靴を脱いで涼しい本堂に上がって、役病退散をお願いした。
がらんとした境内を抜けて江戸川へ向かう。
信号を渡って土手に続く坂道を上っていると、後ろからグラウンドに向かう野球少年たちの自転車に追い越された。
土手を下りて、長い階段を下ってグラウンドの横の道を矢切の渡し方面に向かう。渡し場の横にある待合用ベンチが無人で、よしず張りだったので、休憩場所とした。
帽子、首筋のアイスノン、背中のタオルと靴下を取り去って胡坐座になり、冷やしておいた缶チューハイをあけて一気に飲む。汗が引いた。
定番のベビーチーズや、妻からの差し入れのレモンケーキを食べながら、最近凝っている嵐山光三郎の「新廃線紀行」を読みふける。次回のYSC散歩に予定している西国分寺駅からのコースが国鉄下河原線だという詳細な記述があり、つい長引いてしまった。
江戸川からの川風が心地よい。約30分の間に2組の家族連れが、対岸から船頭さんを呼んで乗船。様子を見ているといったん船外機で上流に向かい、そこから艪で下ってゆくのだった。
再び土手道を上り返し、南下する。正面には入道雲がむくむくとわいていて、まだ暑い。
土手の右手に柴又公園があり、屋根付きの休憩所がいくつも設置されていて、家族連れや所在無げな老人男性が占拠していた。空いていた一か所に腰を下ろして、甘い紅茶で一息入れた。
公園のはずれからは立派な遊歩道が下まで続いていて、降り立ったところに葛飾柴又寅さん記念館 ・ 山田洋次ミュージアム の入り口があった。
ミュージアムは2016年に新設されたもので、入場料金は65歳以上で400円。帝釈天参拝のついでに立ち寄るのも一興かも。
住宅街をくねくねと歩きながら万福寺(福禄寿)にも立ち寄り、再び柴又街道を横断した。
葛飾元気野菜直売所を覗くと、三十路?四十路?の女性二人が「申し訳ありません。もう売り切れました」とのご宣告で、妻への点数稼ぎがならなかった。
また、柴又街道を横断し宝生院(大黒天)にも立ち寄ってから、北総鉄道・新柴又駅に着いたのが午後2時前だった。
この先に、約150種の山野草が咲く鎌倉野草園があるのだが、熱中症予防のため省略して帰途につきました。(村谷 記)
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コース
京成金町線・柴又駅〜金町浄水場横〜良観寺〜柴又八幡神社〜帝釈天〜江戸川土手〜柴又公園〜葛飾柴又寅さん記念館・山田洋次ミュージアム前〜万福寺〜宝生院〜北総鉄道・新柴又駅
<歩行距離:5.5km±α、歩行時間:1時間30分±α>
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★8月28日、『安倍首相、辞意を表明 持病再発 「総理の地位にあり続けるべきでない」』と、 ご苦労さまでした。
★2020年 8月29日(土)役病退散祈願散歩・葛飾区第9回「柴又の寺社と公園巡り」