Windows 7のサポートが終了する日の穏やかな朝、JR中央総武緩行線・飯田橋駅東口改札前に滝澤・野呂・山岡・田幸・山内の5名が集まった。
まずは、九段下交差点までの目白通りに設けられた “飯田橋散歩路” 「歴史のプロムナード」 の “歴史の標柱”をたどる。
@初代黌主は榎本武揚の「東京農業大学開校の地」
A「飯田橋」
B山田顕義の日本法律学校⇒「日本大学開校の地」
Cはじめは“補充中学校”、今は“東京都立戸山高等学校”と名を変えた「東京府立第四中学校発祥の地」
D山田顕義の國學院⇒「國學院大學開校の地」
Eホテルエドモントが旧駅構内だった「甲武鉄道飯田町駅」
F「歴史のプロムナード プロローグ」
G江戸城の台所衆の組屋敷があった「台所町跡」
Hはじめは吉岡彌生の“東京女医学校”だった「東京女子医科大学発祥の地」
I榎本武揚が作った「北辰社牧場跡」
J鈴木梅吉の日本帝国徽章商会「徽章業発祥の地」
K清河八郎の「新徴組屯所跡」
L佐野常民の博愛社⇒「日本赤十字社跡」
大神宮通りへ入り、平日だが多くの女性たちで賑わう 神前結婚式創始の神社東京大神宮に参り、本日の無事を願う。
早稲田通りを北上し、牛込見附 ・ 牛込御門跡の阿波藩が積んだ石組みを拝見し、ホームを新宿寄りへ200m移転する工事中で飯田橋駅の西口が閉鎖されている牛込橋を渡る。
午前中は下り一方通行の神楽坂を左右の店先を覗きながら登る。
新宿山ノ手七福神の毘沙門天・善國寺の狛虎を愛で、南無妙法蓮華経と唱え参拝。
神楽坂上交差点で大久保通りを横切り、東西線・神楽坂駅で車椅子の利用もできるようになった1 b 出入り口 が 鳥居のすぐ手前にできた 赤城神社に参り、オリパラの成功を祈る。
この辺での昼食適所=白銀公園へ入る。
大勢の幼な子たちとその若い母親たちが遊具で遊んでいるので、人のいない北東の隅っこ、満開の水仙が咲く花壇の横にシートを広げ開宴。
薄日差す、無風の日向ぼっこ日和だ。
滝澤が日本酒を温めたあと、山岡提供のシシャモや、野呂提供のチヂミなどを焼いてくれ、山内が持参の豚バラ肉白菜鍋を温めてくれる。
持ち寄りのおかずをいただきながら、「友和」元日号、山内がレポートしてくれた「被災地応援の取り組み」ほかの記事を肴に暖かいお酒で暖まる。
食後、上り一方通行に変わった神楽坂通りへ戻り、大久保通りを渡って、路地探索へ。
兵庫横丁から本多横丁、粋な黒塀・かくれんぼ横丁とお値段高めの料飲店がならぶ通りを逍遥し、神楽坂を横切って小栗横丁を歩き若宮公園で小休憩。
隣接の東京理科大学・近代科学資料館へ行くと、残念!長期休館中。
…なお、地階の数学体験館は(月)・(火)休館で(水)〜(日)に開館しているとのこと。
外堀通りに出て所用のある山岡と別れ、「日高屋 神楽坂外堀通店」に入り一番奥の席に通され、生ビール・ホッピーセット・生冷酒に軽いつまみで打ち上げました。。
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コース
JR中央総武線の飯田橋駅東口〜歴史のプロムナード〜大神宮通り〜東京大神宮〜早稲田通り〜牛込御門跡〜牛込橋を渡る〜神楽坂通り〜善国寺〜神楽坂上交差点(大久保通りを渡り)〜赤城神社〜白銀公園〜早稲田通りを戻り〜兵庫横丁〜本多横丁〜かくれんぼ横丁〜小栗横丁〜若宮公園〜東京理科大学近代科学資料館前〜飯田橋駅西口
<歩行距離:4.5km±α、歩行時間:1時間30分±α>
*西武グループ・温故知新東京あるき「飯田橋、神楽坂」を参照して歩きました。(サイトが閉鎖されています。)
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★2020年1月14日(火)「飯田橋・神楽坂(飯田橋駅から周遊)」