<12月29日(火)三鷹市南部の歴史探索コース(仙川駅〜吉祥寺駅)散歩>
今年も残り少なくなった年末の朝、京王線・
仙川駅改札前に菅野・滝澤・小林・田幸・山岡・清水・村谷・山内の8人が集まった。
いつもは、桐朋学園や白百合学園に通う女子学生でにぎやかな駅前だが、本日は我ら同様の高年齢男女ばかりしかいない。
駅前の京王ストアでツマミの追加調整を行ってから出発。本日も雲一つない晴天だ。
仙川橋で、京王線最古の地下駅を跨ぎ超える。
駅の南北を横断する仙川商店街:ハーモニータウンせんがわ のうちの北側部分のトランペットタウンを通過して、甲州街道を横断する。
すぐ右手には、吉田兄と清水・村谷が歩いた
甲州街道・ 仙川一里塚跡碑(「風のふくまま」さんのページ)があり、左手は小田急バスの本社ビル。
そのまま白百合学園通りを北上し、仙川には下らずコミュニティセンター方向へ左折する。
最初の立ち寄りどころは
春清寺 。関が原や大坂夏の陣で功労があり、仙川の地与えられた柴田勝重の菩提寺でもある。
本堂で本日の無事を願う。
境内右の金色の大仏は、東南アジアの仏像に詳しい?田幸がスリランカ風と指摘する。
広大な墓地や、最新式の幼稚園の建物は禅宗寺院としては珍しいと一同の見解は一致する。
天神山通りを下って、
中央高速道路を潜り抜けると、三鷹市内55か所の遺跡がわかる
三鷹市遺跡調査会展示室 があるのだが、昨日から1月4日までは年末年始の休暇中とあって通過する。
すぐ先の右手にある
天神山遺跡=天神山青少年広場 を探訪する。今は堀切と土塁が残るだけのコナラの樹林の城跡だが、往時の激しい攻防の歴史が垣間見られる。
仙川 に沿って北上する。清らかな川面には、遠くシベリヤ方面から渡来したらしいオナガガモの一団が羽を休めていた。何故か、日向は苦手らしく日陰に集まっている。
…仙川上流部は2007年5月1日にさんぽしました。
続いて右岸にある
勝淵神社 に参拝する。当地の領主だった柴田勝重の祖父が、織田信長の有力な武将として知られる柴田勝家だったので、その黄金の兜を祀ったといわれる兜塚がある。
隣接する広々した
新川丸池公園 は、昭和44年に丸池を、平成6年に復活した里山を活かした公園で、年末年始休暇に入った?家族連れで賑わっている。
少し先の
仙川公園 の入り口付近に、好適な芝生があったので昼食休憩とする。
先ずは、夏の日差しに近い好天に感謝して乾杯。
続いて滝澤=ヌル燗、村谷=炙り&オデン、山内=鍋と、三者三様にバーナーを駆使し、持ち寄ったツマミを何とか平らげて大70分の宴を終えた。
園内にあった
北村西望作の「平和の像」や、まだ咲いていた
アンネ・フランクのバラを鑑賞してから、仙川沿いに北上する。
病院北交差点で東八道路を、新川交差点で人見街道を横断して、そのまま吉祥寺通りを北上する。
右手の公庫運動場跡は、広大な住宅地になるようだ。
その先では
杏林大学井の頭キャンパス が来春の開校目指して工事途中、その正門前で記念撮影。
狐久保交差点で連雀通りを横断しさらに北上する。右手にはまだまだ畑が残っている。
仲町通りを超えて、
井の頭恩賜公園 に入る。
急に、散歩の人出が増えてきた。昼過ぎとあって幼児連れの若いお母さんが多い。珍しく羽子板で遊んでいる幼児たちがいた。
井の頭弁財天 で本日の好天と無事のお礼を申し上げ、先月にカイボリしたばかりの池は、すでに水が溜まってきていた。
七井橋上から池の端にいた
カワセミとゴイサギを観察して、吉祥寺駅への坂道を上がる。
打ち上げは、著名な伊勢屋と並ぶ磯丸水産第1号店を目指したが開いておらず、止む無く駅ビルを超えて北口へ移動、
磯丸水産吉祥寺北口店に入店した。
樽酒&黒ホッピーセットで、マグロの尾の身の煮付け・トマトに漬物、昼にも堪能したジャコ天や旬のハタハタなどを炙って、なかみを数杯お代わりしました。
ハーモニカ横丁を探索しながら駅へ戻り、お互いの無事と健康に感謝して、今年のさんぽを締めました。(村谷 記)
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コース
京王線・仙川駅〜弁天橋(仙川)〜白百合女子大横〜春清寺〜天神山遺跡〜 三鷹市遺跡調査会展示室 (年末休館日でした)前〜新川丸池公園〜勝淵神社(兜塚)〜仙川公園〜吉祥寺通り〜万助橋(玉川上水)〜杏林大学・井の頭新キャンパス工事現場前〜井の頭恩賜公園・井の頭弁財天〜JR中央線、京王井の頭線・吉祥寺駅
<歩行距離:7km±α、歩行時間:2時間±α>
※みたか散策マップ「7 勝淵神社コース・登録史跡柴田勝家兜埋納伝承地」を参照し、延長して歩きました。
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