街道

★2011年11月17日(木)〜20日(日)「塩の道・千国街道(南小谷〜糸魚川)」

         塩の道歩きの前半はここをクリックください。

ホームへ

<11月17日(木)塩の道後半の第一日(新宿から高速バスで白馬)>
 
新宿駅西口9:00発白馬大池行き高速バスに乗車したのは、清水・西・村谷の3名。途中のバス停から山内が乗り込み、4人組が勢ぞろい。
乗客は、我ら以外には夫婦連れに一人旅の女性が3名のみ。

 今後の4日間の天候は、尻下がり?のため、ショートカットなどで時間を稼ぐことで一致した。
平日の
中央高速は順調、正面には富士山がくっきり。
 大月近くの右手車窓から、暫くご無沙汰の岩殿山のごつごつした岩肌が出現。
 村谷がまだ未踏峰の雁ケ腹摺山が大きくなると、左手にはお札と同じ壮麗な富士のお山。
長い笹子トンネルを抜けて甲府盆地へ下ったが、依然として青空が輝いている。
 左手には、松戸&村谷が2年がかりで踏破した鳳凰三山が聳える。
 若葉ジャンクションで休憩。到着後に白馬の新蕎麦を食す関係上、夫々簡単なおにぎりやパンを購入した。
 
 やがて右手に 今年 松戸&村谷&山内が登った 八ヶ岳 が偉容を現した。
長野自動車道と別れて豊科インターで一般道に下り、また休憩。順調に来て休憩も20分と長い。
 北アルプスは南側が雲で覆われていて槍や穂高方面は見えにくいが、北側の白馬方面はくっきり。正面の常念岳はわずかに山頂付近が見えただけで、次回のお楽しみ。

 定刻の午後1時40分に終点の
白馬大池バス停に到着した。バスから降り立つと冷気が押し寄せてきて、高原気分を満喫する。

 大楢川沿いに下って、先ずは本日の宿・
 ホテル白馬  にチェックイン。荷物を預けて、美味しいと教えられた 和味亭(なごみてい) まで、ゆっくりと坂道を上がると、1キロ先の長野オリンピックジャンプ台が一望できる。
 午後2時に入店し、先ずはビールで明日からの健闘を誓い合う。続いて地酒・白馬錦を追加し、蕎麦畑が隣接する環境下での新蕎麦を堪能する。

 路沿いのコンビニで白馬錦と黒霧島を購入してからホテルに戻った。
例によって、鼾の強弱で2組に分かれて、先ずは温泉へ。HP記載どおりに正面に白馬の山々が広がる。湯質も申し分がない。

 夕食は大食堂でのバイキング。空いているだろうと思ったら、労組の会議参加者や中国人観光客で8分以上の入り。地元産の食材を豊富使い、なかなかの味だ。
 軽くワインで締めて、幹事部屋で作戦会議を継続する。白馬に59あるホテルの中で13番目の格付けに相応しく、全ての面で満足との評価を下して、女子バレーチームが米国を破ったのに気をよくして就寝しました。


<11月18日(金)第二日(中土駅〜石坂越え〜北小谷駅〜天神道越え〜平岩駅。17キロ)>
 最低気温マイナス2度。朝も充実したバイキングでスタミナをつけて、ホテルのバスで
白馬駅に向う。白馬の山々が本日もくっきりと聳えている。

 駅に入ると暖房が良く効いていた。8時過ぎの南小谷駅行きに乗車する予定だったが、昨夜からの冷え込みの影響で、信濃大町から仁科三湖に向かう勾配が上がれずに30分近く遅れるというアナウンス。
ならばと駅前にいたタクシーに乗車、南小谷〜中土間の有名な難所・フスベも通行止めのため、一気に
中土駅まで行くことにした。

 ついでに駅から
塩の道までの急坂も乗ったままで、8時過ぎには池原集落に到着。夫婦揃って街道を歩くのが大好きという陽気な運転手に見送られていざ出発。

 二昔前に見たような懐かしく長閑な山村を、済みきった水と空気、きらきらと輝くような木々や花々、落ち葉を焼くらしい芳しい煙の匂いに、思わず時が経つのを忘れてしまいそうだ。
枯れ葉がいっぱい敷き詰められた足に優しい平坦な道を順調に進む。

 一旦車道に出ると、右手の小高い場所に
幸田文文学碑が立つ。明治末期に、日本三大山崩れの一つ、稗田山の土石流跡地に立つ。桁違いの土石流が、標高800mの山を押し流し、浦川に沿って標高552mの松ケ峯を乗り越えて姫川の水田地帯を埋め尽くしたという。
 北小谷の
姫川の河原には今でも10mの高さの堆積物が残っていて、グラウンドに使われている。
両側の山々には滝が幾筋も流れていて、フォッサマグナの地形が良くわかる。

 
来馬(くるま)集落を抜けて新小谷橋。渡ると北小谷駅だが、我らは左折し、下寺にある道の駅おたりへ到着。まだ10時半なので食堂が開いておらず、売店で昼食用に、コロッケ・おやき・おはぎを買い求めた。
 この付近が小谷村の中心らしく、建物が目立つ。正面には
かつて小谷小学校+中学校の校舎があった場所だが、少子化で閉鎖されていて、老人向けのクアハウスと福祉施設に変貌していた。

 充分休憩を取って出発。45分で標高差200mを歩いて
最高地点・ 城の越 (600m)に着く。
昔は茶屋があった場所で、木のベンチが2本あったので早めの昼食とする。本日の弁当は、昔の茶店にあったメニューに近く、まだ暖かなコロッケが体に優しい。

 石仏が多いのが塩の道後半の特徴の一つだ。険しい山道を50キロ以上もの荷を背負って往来した名残だろう。
 
湯原集落を過ぎると自動車用の休憩所があり、草むらで足を伸ばして休む。敷地が広いのにトイレが設置されていないのが不思議だ。
国道はここから長いトンネルに入る。我らはトンネルの上を走る旧国道を歩くことになる。青空の下、強い日差しに照り付けられて、汗だくで登りつめると、
姫川の流れが遥か下になった。旧道沿いには廃業したドライブインやレストランの建物が、朽ちるように残る。

 
蒲原集落を過ぎると葛葉峠だが、それらしい急坂もなく眼下に姫川と平岩駅が見えてきた。
 西が何やら白い建築物を見つける。かなり大きい白馬大仏で、新興宗教の手になるものらしいが、傍らの宿泊施設が廃業した為、訪れる人はいないらしく、蜂の巣が大仏の頭の上に陣取っていた。

 葛葉峠は難なく通過し、平岩駅に近づくと川沿いに立派なホテルが建っている。
姫川の左岸が新潟県・糸魚川市、右岸が長野県・小谷村だが、平成8年の姫川の洪水で対岸から移ってきたそうだ。
 
平岩駅に到着。駅前に唯一ある店で、晩酌用の謙信(紙パック)を購入する。

 橋を渡ったところが本日の宿・
 姫川温泉 朝日荘  だ。到着時刻は午後2時過ぎ。ショートカットの効果だ。
 巨大な岩を覆うように建てられた天然温泉で、もちろん24時間入浴可能、飲用が売り物だ。かつては賑わったらしいが、トンネル新道が出来てからは寂れているようだった。白馬の山々への登山口の一つでもあるが、白馬駅方面からの利便性には到底及ばない。我らには鄙びた環境で、他に男性2名連れが1組だけだった。
 先ずは自慢の岩風呂へ。天井からたっぷりとお湯が落ち続ける。隣のホテルと2軒しか残っていないため、お湯は余っていて雪解け用に少し使う以外は捨てているとは、豪儀なことだ。一応混浴だが、本日は女性客はなし。

 夕食は広々した宴会場。糸魚川から車で30分とあって、山海の珍味揃い。大瓶のビールに、銘柄は不明な熱燗を追加した。
 夕食までに時間が余ったため、
姫川の洪水で流されたという露天風呂を別棟に再建したときき、清水と村谷が鉄製の階段を上り、トライした。
眼下には めったに列車が来ない大糸線、四方は険しい山々と景色には文句がなかったが、やはり寒く早々に部屋に戻った。
 充分に暖房の効いた部屋で、道の駅で購入したつまみには、きりっとした謙信がぴったり。本日は、日本シリーズを肴に謙信を空けてから床に着きました。


<塩の道第三日(平岩〜列車で移動〜糸魚川市内散策〜バスで山口へ移動)>
 6時半に、昨夜と同じ大広間で、なかなか豪華な朝食を済ませた。天気予報によれば午後から降雨の可能性が大ということで、再び協議する。

 標高差500mの大網峠越え、地元の「小谷ぐるーりマップ」等に「要ガイド」とあったため見送った。
代案として11月5日(土)に地元小谷村で実施したという「雨飾山の絶景を愛でながら鳥越峠の遊ぶ」標高差200mで途中の長者平まで車利用の鳥越峠越えを選択することも考えたが、昨日と同様に滑りやすい石畳がありそうなので、これも見送りとした。
 先ずは列車で糸魚川駅に出て市内を探訪し、バスで宿泊予定の山口へ戻り、
 塩の道資料館  を見学することに変更した。

 出発まで時間があるので、風呂好きは再び岩風呂へ、探索好きは姫川温泉街へ。
ホテルの車で平岩駅まで送ってもらい、9時49分発の糸魚川駅行き列車に乗車した。平岩駅から乗車したのは、我ら以外 男子高校生1名のみだったが、車内は結構な込みようだ。
 
姫川の急流を間近に鑑賞した後、列車は峠を越えて水田地帯に入る。
    
 10時20分
糸魚川駅到着。駅ビルの観光案内所で、土日祝日のみ運行の糸魚川街めぐりバスのポスターを発見、10時30分発があったので即乗車、山の上の高台にある フォッサマグナミュージアム  を1時間ほど見学することにした。
  日本初のジオパーク に認定されたのを契機に建設された施設で、古代から日本一の産出量を誇るヒスイ始め、世界各地の岩石、鉱物、化石などが約1,000点も展示されていた。何故、フォッサマグナが形成され、そして当地にヒスイが多く産出されるのかをじっくりと勉強した。館内は撮影自由なのもありがたい。

 ぴったり1時間後の11時50分発のバスに乗車すると、先ほどと同じ運転手さん。明日ゴール予定の塩の道の終点傍を右折して加賀街道を通り広小路通りとの交差点で下車した。

 教えて頂いたとおり、加賀前田侯本陣をそのまま残す加賀の井酒造
、寝酒を購入。広いガンギ造りの商店街が,積雪量の多さを想起させる。雨がぱらついてきたため、「都の西北」の作詞者・相馬御風記念館は入場せずに通過し、これまた運転手さんのお勧めの「
手打ち蕎麦処・金七」に入店する。雨で冷え切った体をアルコールと熱々の鍋焼きうどんで暖める。

 今度は駅前からバスに乗車し、宿泊予定の山口集落へ向かう。小高い丘の上にスキー場が見えてきて下車、 塩の道温泉・ホワイトクリフ  にチェックイン。まだ3時前、塩の道資料館が4時まで開館していることを確認して、出発。

 急坂を5分ほど登り、 「塩の道資料館」 (入場料500円)に入る。3階建ての庄屋の館をそっくりそのまま移築したもので、信濃大町と同様に昭和30年代後半まで使用されていた品々などが展示されている。
村谷が塩50キロ入りのショイコに挑戦してはみたものの、僅かに持ち上がっただけだった。

 低い天井や急な階段がそのまま保存されていて、往時を偲ぶ風情がよい。あかあかと燃える囲炉裏のそばで、ちんちんに沸かした鉄瓶の湯で入れていただいた薄いお茶をいただき、身も心も温まる。
われらと同年輩の地元の女性4人が交替で館の運営に当たっているそうだが、本日の来館者は午前中に車で来た夫婦1組だけ。お蔭様でじっくりとお話が伺えました。
歴史に関心が深い清水は、塩運搬のボッカ体験者から聴取したレポートを熱心に読んでいた。

 表に出るとすっかり雨が上がっていた。先ずは温泉で、疲れを?癒し、夕食までは軽くビールに留めておく。
 6時から大食堂で夕食。団体客もいて結構賑やかだった。前の2軒と比べると,品数は多くはないが味はよく、量はちょうど良かった。
 部屋に戻り明日の行程をチェック。購入した加賀の井を、これまた前の2銘柄と比較したり、テレビを見ながら早々に就寝した。


<塩の道最終日(山口〜糸魚川、14キロ>
 雨が降ったり止んだりしている朝。7時30分から食堂で朝食。夕食と同様に過不足なく、味が良い。
 冷蔵庫でよく冷やしたデザートのヨーグルトを、それぞれ食事の終わる時間に合わせて配ってくれた気遣いは素晴らしい。

 8時30分、何とか傘は差さずに 済む天候に感謝しながら、バス通りから離れて旧道へ。川からは離れた山裾の道を進む。真近い山々にも尾根に雪が積もっているのが良く見える。雨が上がって、虹が出てきたのはうれしい。根知城跡(標高525m)を左手にみて車道に向かって下りて行くと、所々に写真入で「熊に注意」の看板 が立っているが、当地ではどんぐりが豊作だったという情報に安心?

 
根知川を渡り、飯綱神社前から、中山峠に向かう山道に入る。舗装道路と、昔の風情がそのままの国史跡・松本街道が並行する。
極力旧道を歩いたものの、昨夜来の雨でかなりぬかるんでいたため峠手前で新道へ移動した。
眼下には日本海が見えてきて、昔人と同じ感慨を味合う。旧道と合流する地点にある立派な休憩所で最後の休みを取る。あと5キロでゴールだ。

 ところが、大野神社を過ぎた頃から、一転空が掻き曇り、強い雨が降り注ぐ。本来の道は、再び丘に登り、昨日見学したフォッサマグナミュージアム脇を通過するのだが、傘を差しても防げないほどの降りになったため、国道148号線にエスケープし、道脇のセブンイレブンに駆け込んだ。

 帰途のバス予約時間の関係もあるので、タクシーを呼んでもらい糸魚川駅へ。昨日、街めぐりバスで通過したコースに沿って11時30分駅前に到着。

 昨日西が覗いて店主と目が合った「
食事・喫茶 河童」に入店し、昼食&打ち上げとする。
ご自慢の揚げ物などをビール&焼酎で堪能し、
糸魚川駅から帰途に着きました。

 3軒の宿の評価は、設備では初日のホテル白馬、温泉は二日目の朝日荘、ホスピタリティは3日目のホワイトクリフ。
酒は夫々美味しかったが、白馬錦と謙信がやや勝るとの判定でした。

 次回は、可能ならば年明けから、雪の影響がない旧東海道の姫街道(静岡県磐田市見付宿〜愛知県御油宿の60キロ)を歩く予定です。

  ※旧・東海道の姫街道は2012年3月13日(火)〜15日(木)に歩きました。

                          このページのトップに戻る

                        前のページへ  次のページへ
.
.
.
.