<9月10日(土)松本駅〜穂高駅まで16キロ>
JR線・松本駅改札口に、12時丁度に集合したのは清水・西・村谷・山内の4名。
来る4日間は好天が予想されるため、できるだけ消耗を防ぎつつ、ポイントは逃さずに鑑賞しようと一致して出発。
先ずは、真夏並みの日差しを少しでも避けながら、「敵に塩を送った」という故事の証跡である牛つなぎ石を鑑賞する。
本日の宿がある穂高までは、山の道と川の道の二つがあるが、距離が短くて涼しそうな川の道を選択した。
古道とは少し離れるものの、4つしかない国宝の城(姫路城・犬山城・彦根城)の一つ 松本城 の一角に立ち寄ることとして、大手門から入る。
好天の土曜日とあって、広い敷地内には家族連れや観光客で溢れていた。
記念撮影を終えて西側から退出して古道に復帰する。
犀川に沿って北上するが、あまりの好天で北アルプスはかすんでいた。
白鳥の飛来地だそうだが、今はカルガモしかいない。
かつては熊倉の渡しがあったというあずみ橋を渡り右手の山裾を見上げると、3階建てらしい展望台が見えたが、正体は帰途の電車で同席した地元のご夫人に聞いても不明だった。
遥か文化13年(1816)に奈良井川から取水し、梓川の下をサイフォンの原理を利用して通水したという「拾ケ堰」と暫く並行で進む。玉川上水にも同様の技術を応用した川があったことを清水が思い出して、一同、江戸時代の技術水準の高さを改めて確認した次第。
今回の塩の道の特徴の一つは、石仏群の多さだ。至る所に集中して管理されていた。
豊科の目印にもなっている荒井の大銀杏を鑑賞。
自動車道に出ると残りは5キロ。先月下旬にもここを訪れた清水・山内・村谷たちが地酒を買い込んだ安売り店を右手に見て、程なく 穂高神社 の境内。
道の外から参拝して穂高駅を越えて、本日の宿・グレイスホテルに午後4時半、到着した。
先ずは各自部屋のシャワーで16キロの行程で培った汗と塩を洗い流し、摂りあえず缶ビールで水分補給した後、午後5時半にロビーに集合。
フロントで紹介された 鯛や に直行する。
先ずは生ビールで本日のハードスケジュール慰労しあう。
道中の畑で散々見慣れた枝豆を皮切りに、山海の珍味を堪能し、店の売り上げにいささか貢献したことに満足して退出する。
旅路は長く、さらなるエネルギー補給のため、地酒・大雪渓などを購入して幹事部屋へ帰着し、明日の鋭気を養ってから就寝しました。
<9月11日(日)塩の道2日目(穂高駅〜信濃大町駅まで21キロ)>
2日目の朝食は午前7時開始。和食3名と洋食1名が、夫々滞りなく終えて、午前8時にホテルを勇躍して出発する。
本日は、1日歩きで21キロと行程が短く、楽勝コースだ。
相変わらずの夏空が続き、予報よりは良いのも痛し痒し。
今回の4日間は、木崎湖まで安曇野を南から北まで歩きつくす勘定になる。
安曇族は古代を代表する海人族だったが、磐井の乱で本拠地だった北九州・福岡を追われて当地にたどり着き、大きな湖だった場所を水抜きして豊かな田畑に作り上げたとされる。
塩の道の両側には、黄金色の稲穂や真っ白な蕎麦の花が延々と続く。
穂高川と大糸線の間を縫うように歩いていくが、時折工業団地に遭遇するのも、農業だけではやっていけない時代の変化らしい。
安曇野追分駅手前で線路を横断する。松本から22キロ経過。
高瀬橋で高瀬川を横断し、右手の山の方向へ向かう。
宇佐八幡宮を通過(同27キロ地点)。
そろそろお腹が空いてきたが、食堂はおろかコンビニもない。
急坂に差し掛かると、大型の観光バスが次々にわれらを追い抜いてゆく。
国宝・仁科神明宮に到着した(32キロ)。
寛永13年(1636年)造営で、神明造りとしては唯一の国宝とされる。
大勢のバスツアー客に混じって参拝。本殿脇の巨大な旧ご神木の大きさに圧倒される。
社務所に8個入り800円の饅頭があったので喜んで買い込み、休憩所で熱いお茶をいただきながらペロリと平らげて漸く人心地をついた。
大勢の観光客が社務所の前を通過するが、饅頭に気づく人が殆どいない。
読売旅行のツアーコンダクターに尋ねると、我らとは反対に北アルプスを右手に見て10キロほど丘陵地帯を南下するそうだ。
腹も何とか満たし、これからは大町へ下りとなるので、ゆったりと進む。
相変わらず左手の北アルプスの眺望は開けないが、山裾沿いに日陰が続き、風も少しながらあるので、足取りは順調。
再び高瀬川に沿って、午後1時半、本日の宿・大町ステーションホテルにゴールインした。
オーナーが一人で運営しているらしく、朝食なし、チェックイン時間の午後3時は厳守ということで、荷物を預けて教えてもらった近くの蕎麦の名店、こばやし に繰り込む。
先ずはビールで乾杯、汗が一気に引いてしまう。
ツマミに頼んだ自家製の野沢菜が絶品だったのでお変わりし、店頭のショーケースに大瓶が飾ってあった白馬錦を注文、その味がまたおいしい。
締めにこれまた絶品の蕎麦を食したがまだ時間があるので、明日の時間を節約するため 塩の道博物館 (500円)に入場した。
往時を偲ぶ貴重な資料が数多く展示されていたが、70キロもの塩を担いで一昼夜で80キロの行程を歩いた先人の労苦を回顧した。村谷が半分の重さの荷を担いでみたが、ひざまで持ち上げるのがやっとだった。
午後3時、ホテルへ戻り、夫々部屋のシャワーを浴びたり、5時から入浴できる展望風呂などで鋭気を回復する。
午後5時半、夕食を摂る為外出。最寄の信濃屋に入ると、54年間一人で営業中の女将さんと、70代と思しきご常連数名が盛り上がっていた。
昼食が遅かったわれ等は軽いつまみと飲み物で切り上げて席を立ち、途中のコンビニで今夜の仕上げ分と、明日の朝食を購入して部屋に戻る。
残る後半戦を展望して英気を養い、疲れた順番に早めに就寝した。
<9月12日(月)塩の道3日目(信濃大町駅〜白馬駅まで28キロ)>
昨日までに松本から38キロを消化し、本日は行程が長いので7時半過ぎにスタートした。
早朝、村谷の旧知・W氏から差し入れいただいた白馬錦&黒部の4合ビン2本と地元のトウモロコシ6本が加わったため、荷物が重いが今夜の楽しみに頑張る所存。
仁科3湖の一番近い木崎湖まで6キロの道程は平坦だが、通勤の車や男女と引っ切り無しにすれ違って、本日が月曜日だと気がついた。
相変わらずの青空だが、昨日よりは北アルプスの展望が好転していて、明日朝の日の出が楽しみだ。
鹿島槍が少し見えてきた。
木崎湖の手前で東西に稲尾道と南平道に分かれるが、われ等は趣き深い西側の南平道を選択した。
キャンプ場脇の湖岸に到着(45キロ)、湖ではブラックバスを丁度吊り上げたボートやモーターボートを走らせる若者がちらほら。われらとすれ違うサイクリング客は少ない。
木陰道が続き、次の小ぶりな中綱湖(51キロ)を順調に通過する。
3番目の青木湖に差し掛かると昼食時間。いくつもホテルやレストランがあるが、スキーシーズンではないし、夏休みを過ぎているためどこも営業していない。
そろそろ湖も終わりになる頃、ロッジ珈楽待を発見し、すぐに入店した。先ずはビールで乾杯、おいしい手打ち蕎麦を注文する。
無口な職人気質のご主人と違って東京育ちの奥様から、よそとは違って冬場には営業しないとの話を聞きだした。清水がお礼にと手作りのケーキを購入。歩き途中の格好のデザートになった。
三十三観音像が林立した佐野坂越えは標高差が少なく楽勝。白馬さのさかスキー場下にあった神社(55キロ)で冷たい水も補給できた。
白馬村に入ると一段と道標が整備されていて迷うところがなく、村谷の経験した四国遍路に劣らず親切だ。
スキー場の民宿を縫うように標高を下げ、神城駅(58キロ)手前の踏切を横断した。
飯森駅(60キロ)手前の踏切を横断、少し先のオリンピック道路を横断すると、左手に長野五輪で日本中を沸かせたジャンプ台が大小2台お出迎え。
夕方の気配が漂い始めた午後4時半、今夜の宿・ 白馬ロイヤルホテル にゴールイン。
今夜は和室のため、清水・西と村谷・山内に分かれる。
大浴場で汗を流した後、夕食まで山内が駅前まで出かけて買ってきてくれた缶ビールとツマミで疲労を取り戻す。
午後6時からの夕食は、別館で浴衣姿で食すことができる。
広いテーブル一杯にこれでもかというぐらい並んだご馳走だったが、生ビールと締めの蕎麦やデザートまで完食した。
部屋での仕上げは今日1日背負ってきた差し入れの地酒2本、今夜も疲れた順に床に就きました。
<9月13日(火)塩の道最終日(白馬駅〜南小谷駅まで13キロ)>
夫々5時や6時に早起きした甲斐があり、ほぼ八分どおり北アルプスの朝焼けを堪能し、昨夜と同じ会場で朝食に臨む。
たっぷりの量だったが平らげて、8時前に出発する。
夕刻の所用の関係で、6キロほどの車道歩きをショートカットすることにして、駅前からタクシーに乗車した。
瀬戸の橋(68キロ)で下車し、坂道を上がると木々に囲まれた旧道がお待ちかね。
車道に出たり旧道に入ったりしながら栂池高原スキー場のゴンドラ(70キロ)下を順調に通過する。
白馬岳脇で山道を下り終えると 千国の庄資料館 (73キロ)。広々した休憩所で一息入れる。
小谷小学校で少し迂回させられたが、草で足元が覆われた心地よい道が続く。
暑さに負けず鎌で道脇の草刈をしていた老婆からご苦労様と言われて、かえって恐縮した。大別当(75キロ)、坪山下(76キロ)と順調にたどり着き、塩の道と別れ街中に戻り、まだ11時前に南小谷駅にゴールイン。
松本行き電車の時刻まで1時間以上あるので、「 駅前食堂 」に入る。もはや歩く必要がないので、大ジョッキ(800円)を頼んだら、まさに巨大だった。珍しい鹿肉のジャーキーを2袋や、手作り野菜などを堪能し、当然に蕎麦で締めました。
12時07分発の松本行きは、思いのほか乗客が多く、ボックス席ながら、我らのみ飲むのは気が引けた。
松本駅で午後2時30分発のあずさに乗り換え、後半は年内に仕上げるよう日程を調整するよう誓い合って散会しました。
後半戦は、11月中旬スタートの予定です。
木曾路と同様に、水がおいしかったと意見が一致しました。
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★2011年9月10日(土)〜13日(火)「塩の道・千国街道(松本〜南小谷)」
塩の道歩きの後半はここをクリックしてください。