猛暑日から解放された?朝、JR秋葉原駅中央改札前に集合したのは、小林・百石・田幸・村谷・和智・山内の6人。
青果市場とその跡地だったことを知る面々にとっては、まさに隔世の感だ。
西口に通じるアーケードの両側には、国際色豊かなお店がずらり。
電気街口に出ると、お馴染みの看板も残っていてやれやれ。闇市時代にルーツを持つ秋葉原ラジオ会館ビルは健在。
中央通りに出て、左折南下する。万世橋交差点を横断、万世橋で記念撮影。
左手の中央線ガード真横にあった肉の万世本店ビルはなくなり、建て替え中。
右手の線路脇にある旧万世橋駅舎跡は、マーチエキュート神田万世橋に変身(閉館中)。
ガードを越えてすぐ先の小径へ右折。右側のJR神田万世橋ビルはかつて交通博物館があった場所。
1935年建設の鷹岡ビルを見て、を靖国通りを右折。
大きな枝垂桜の前に行列ができているのは、池波正太郎も通った蕎麦屋「神田まつや」(1925年築)。
その先右手には、国の登録有形文化財「山本歯科医院」(1929年築)。
角を左折した左手のあんこう料理専門店「いせ源」(1930年築)に、やはり行列ができている甘味の老舗「竹むら」(1930年築)、鳥すき専門店「ぼたん」(1929年築)と、昭和初期の建物が東京大空襲を免れて奇跡的に残っている。
斜め左の坂道を上ると、たっぷりとした敷地に淡路公園と高層ビル「WATERRAS」が出現。統合により廃校となった淡路小学校+αの跡地と聞き納得した。
その先右手奥に一軒の和風建築がある。関東大震災後に東京で初めて区画整理が行われた駿河台の屋敷町の面影を残す貴重な建物「高畠住宅」(1930年築)。一枚板の門扉が重厚だ。
本郷通りに出て右折する。目の前のニコライ堂を背景に撮影。山内の数ある写生スポットの一つでもある。
聖橋に差し掛かる。右手の高層ビル「御茶ノ水ソラシティ」は、かつて日立製作所本社があった場所。数人は業務で何度か訪れていた。
聖橋を渡る。長年工事中だったJR線御茶ノ水駅がすっかりお化粧直しを済ませていた。
右手の湯島聖堂に入り大成殿に参る、学問成就の願い札がずらり、外人観光客の一団が座り込んでガイドさんの話を聞いていた。
外に出て御茶ノ水公園で最初の水飲み休憩。曇り空の継続に感謝。
信号を渡り、目の前のコンビニでつまみ調整の買い物を済ませた。
神田明神に入る。お参りを済ませてから立派な売店兼休憩所でクールダウン。
外に出て右折、神社の裏手に当たる宮本公園で昼食休憩。村谷が下見していた桜の木の下のベンチは先客があったが、三谷長三郎の胸像の脇にあるベンチを確保し、シートを広げる。何とか曇り空でやれやれ。
まずは乾杯、真夏の街歩きで汗をかいたご褒美だ。つまみは 例によって多種多様。塩分をしっかりと取り戻した。
俳句や短歌などいつになく高尚な話題も含めながら、大1時間。
この先の行程について再協議、平日で人込みが多い神保町方面は避けることとし、湯島方面に転進することとする。
新嬬恋坂へ下って、千代田区から再び文京区に入り、清水坂を上り返す。
昭和のグルメブブームの先駆けとなった親子丼の名店「鳥つね自然洞」のランチは1,700円。
湯島天神に参拝した。屋根付きの休憩所で最後の水飲み休憩。
男坂を下り、湯島聖天に参り、天神様への参道「学問のみち」を東進し、台東区立 黒門小学校の先で中央通りに合流。
松坂屋上野店の入り口でクールダウンし、アメヤ横丁の西に2本目の路地、上野御徒町中央通りの「沼津港 サンパチ酒場 御徒町店」に入り、まずは生ビールで乾杯。
(裏メニューを除き)フードもドリンクも全品380円の均一料金、マグロやクジラの刺身、アジのナメロウ、水ダコのカルパッチョ、もつ煮込などをつまみに黒霧島やサワーを追加し、暑気を払い、御徒町駅にゴールインしました。(村谷 記)
コース
JR山手線など・秋葉原駅中央改札前〜中央通り〜神田万世橋〜靖国通りを右折〜神田まつや前〜いせ源前〜竹むら前〜本郷通りを横断〜ニコライ堂前〜聖橋〜湯島聖堂〜神田明神〜宮本公園〜湯島天神〜湯島聖天〜JR山手線など・御徒町駅
<歩行距離:4km±α、歩行時間:1時間分±α>
*千代田区観光協会「ちよだ歴史さんぽMAPB近代建築めぐり」の中の『神田・神保町コース』を参照し、一部カットして 文京区経由台東区へと歩きました。
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★2025年9月9日(火)「神田・神保町の近代建築巡り+湯島散歩(秋葉原駅〜御徒町駅)」