インバウンド客が引っ切り無しに改札口からキャリーケースを引いて出てくる京急品川駅改札前に、小林・百石・田幸・清水・村谷・山内が集合した。
頭上は何やら長く大きなシートなどに覆われていて、京急線をかさ上げして通路を確保するとともに、線路下のスペースを有効活用するという大工事が進行中。リニア新幹線開通?をも見越しているようだが、ここなら無駄はなさそう。
まずは、第一京浜を西進する。左手にあった京急のガード下の飲食店街は一掃されていた。
歩道が途切れているので、御殿山ヒルズ沿いにいったん横断する。
新八ツ山橋の上から見下ろしたJR線の線路は10本。鉄道マニアには絶好の撮影ポイント。
新校舎を建設中の品川女子学園の手前のコンビニで、昼食用のつまみ調整の買い物をする。
それぞれ持参のつまみを申告⇒不足する栄養素?味付け?を買い足す作業は、もはや定番。
東海七福神最初の品川神社(ほんせんじんじゃ・大黒天)の正面から急な階段を頑張って上がり、途中の左手にある品川富士(富士塚)へ寄り道する。あいにく、6人とも本物の富士登山経験はない。
明治2年(1869)にこの塚が造成された当時は、ビルなどなかったので本物の富士山を真近に見られたことだろう。
階段との標高差があったおかげで登りと比べてずいぶん楽な下り坂を通過し、境内に降り立った。
源頼朝が文治三年(1187)に創建し、その後太田道灌や徳川家康も祈願したという東海道屈指の古社。
平日とあって境内にはほとんど人影がない。
本日の道中無事をお願いして、広々した境内の一角にあるベンチで最初の休憩。前回はなかった立派な灰皿が新設されていたのは、古社といえども氏子対策の一環かと推察した。
女坂を下りて第一京浜を横断、品川神社の参道(サクセス通り)に入る。
レンが塀の続く小路に左折し、養願寺(ようがんじ・布袋尊)に参拝した。福徳智恵の御利益があるという。
旧東海道に飛び出した正面にあるのが一心寺(いっしんじ・寿老人)。小ぶりな境内のお寺ながら、東海道の裏鬼門を守るとされている。
左手先に聖蹟公園・品川宿本陣跡があったので早めの昼食休憩。いつの間にか日差しが強まってきたので、木陰の砂場にシートを重ね敷く。まずは乾杯、昨日の雨で予定変更を余儀なくされたメンバーも多かったが、健康で本日も邂逅できたことに感謝する。
人数×2以上のヘルシーなおつまみがずらり。健康・レジャー・体力増強など話題は尽きない。
大1時間の休憩後、荏原神社(えばらじんじゃ・恵比寿)に参拝した。和銅二年(709)創建の品川宿の総鎮守。徳川家康から神領を寄進され、明治天皇も四度御幸されたという。
府中・大國魂神社の祭礼(くらやみ祭)には、今も荏原神社から品川沖に赴き、海水を汲んで 品川街道を運搬し、奉納している。
旧東海道に復帰して西進する。YSC散歩では久々の訪れで、街道の風情が残っていた建物がかなり近代的な三階建てビルに建て替わっていたのを実感する。
…村谷や清水が吉田兄に連れられて旧東海道を踏破したレポートの第一回目のページへ
ジュネーブ平和通りを横断、左手にある人気店・魚富士の店頭には、普通の魚屋さんではあまり見られない種類が割安で売られていた。
右手の品川寺(ほんせんじ・毘沙門天)に参拝する。承応元年(1652)創建の古刹で、江戸六地蔵 一番寺でもある。
本日の道中無事のお礼を申し上げてから退出する。
青物横丁駅に戻り、日高屋の2階に入店。
生ビール・レモンサワー・ホッピーセット・生吟醸酒をそれぞれ手に乾杯。
餃子・ソラマメ・コーン揚げなど軽いつまみで旧街道散歩を締めました。(村谷 記)
コース
JR東海道線など・品川駅〜第一京浜国道〜八ツ山橋〜北品川駅前〜品川神社〜養願寺〜一心寺〜聖蹟公園・品川宿本陣跡〜荏原神社〜鎮守橋(目黒川を渡る)〜街道松の広場〜品川寺〜京浜急行線・青物横丁駅
<歩行距離:4km±α、歩行時間:1時間±α>
*品川観光協会『東海七福神』を参照し、品川駅からスタート、その一部を歩きました。
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★2024年5月14日(火)「東海七福神のうちの五福神巡り(品川駅〜青物横丁駅)」