YSC散歩で度々訪れている台東区を、テーマを選び巡ることにした。
1回は江戸浮世絵師の代表者の一人・安藤広重が描いた名所江戸百景を歩く。
10時40分、浅草橋駅改札を出て総武線の高架沿いに隅田川方面に向かう。昨日に引き続き快晴で、風も弱く絶好の散歩日和。
隅田川テラス入り口から右岸に降り立とうと階段に差しかかると、下流から大柄な女性が勢いよく歩いてくる。なんと上半身はタンクトップのみで下半身もショートパンツという思い切ったファッション。全身がやや浅黒いものの、170cm以上ある長身で、足はすらりと長く胸も豊かだった。さっそうと浅草方面に向かっていった。大きなサングラスをかけていて、顔付きは不明。背中から照り付ける日差しは暑いほどなので、風邪をひく心配はない。
総武線南側に神田川が隅田川にそそぐ柳橋付近に、広重の『両国花火』 と 『浅草川大川端宮戸川』が描かれた場所だ。隅田川は江戸期には浅草川または大川と呼ばれていた。
柳橋付近から駒形橋あたりが、隅田川テラスの中で最も村谷が好きなエリア。広々していて日当たりもよく、腰が下ろせる箇所も多い。また、上流の千住大橋をはじめとする数々の『名所江戸百景』のレリーフが集中的に設置されている。
幼稚園児たちが散歩中。だだをこねている年少組を保母さんが懸命に慰めている。
蔵前橋の近くでは、『浅草川首尾の松御厩河岸』の場所。蔵前の名の由来となった幕府の米蔵「浅草御蔵」がこの付近を中心に広く置かれていた。「鬼平犯科帳」の古いシリーズの冒頭に、御蔵を背景に盗賊改め方の面々が川沿いに走るシーンがあった。
「首尾の松」とは、吉原通いの舟の目印だったとされ、今宵の首尾がうまくいくよう祈ったことからその名がついたという。現在も七代目の松が健在。
この近くに厩橋『御厩河岸』が描かれている。川に面した浅草三好町に、幕府の厩があった。明治7年の架橋までは、対岸の本所へとの間に「御厩の渡し」があった。
駒形橋が近づいてきたのでいったんテラスから上がろうとしたら、先ほどのスタイルがよい女性が戻ってきた。アジア系らしい。
地上に上がり駒形堂に参拝する。『駒形堂吾嬬橋』が描かれた場所。浅草寺のご本尊・観音像が網にかかり引き上げられた場所という。
テラスには戻らず江戸通りを横断、人力車「時代屋」の横を抜けて浅草通りに出て右折する。
雷門前は大勢の観光客で隙間なく埋め尽くされている。車夫さんたちもあちらこちらから声がかかって、うれしい悲鳴状態。
なお、右手の先にある吾妻橋付近には、川の中から眺めた『吾妻橋金龍山遠望』が描かれている。吾妻橋は通称で、江戸期の正式名称は大川橋だった。
久々に仲見世を歩くと、一向に日本語が聞こえてこない。修学旅行生らしい制服の一団だけが日本語だった。
広重の『浅草金龍山』には、雪が積もった風景が大提灯とともに描かれている。
ようやく本堂に参拝し、浅草神社に立ち寄ると紋付羽織姿の花婿と打掛をまとった花嫁を囲んで写真撮影中。なかなかの美人。
いつもの通り裏道から言問通りに出て右折、いつものコンビニの先から小路に入る。昔の町名が猿若町で、広重は『猿わか町よるの景』として、江戸三座(中村座・市村座・森田座)などの芝居小屋や芝居土産品店が立ち並ぶ興行街を描いている。
吉野通りを渡り、待乳山聖天に参拝する。お供え用の大根の値段は変わらず1本200円。境内のイチョウはちょうど見ごろだった。人力車を乗り付けた和服姿の男女と入れ違いに階段を下りて、桜木の葉がすっかり色づいた公園を抜け、聖天橋から山谷堀に入った。
江戸期に音無川(石神井川)と大川(隅田川)を結ぶ水路として開削された一部を呼ぶ名称ながら、大川から 吉原 へ通う羽振りの良い客を運んだことで知られている。
広重はこの付近を『待乳山山谷堀夜景』として、夜の水辺を歩く女性を中心に描いている。
途中に、明暦の大火で日本橋・人形町にあった吉原遊郭が当地・新吉原に移った経緯が表示されていた。
聖天町から衣紋坂までの間を「日本堤」(俗称:土手八丁)と呼んでいた。広重は『よし原日本堤』として、盛んに人が行き交う様を描写している。
天丼の老舗・土手の伊勢屋を確認した。廓に登る前に体力をつけようとするお客や、差し入れ用で非常な繁盛ぶりだったという。広重は『廓中東雲』として、周囲を堀と塀で厳重に囲んだ 遊 里 を正面の大門を中心に描いている。
右折南下して、国際通りに出た。少し浅草方面に戻り、鷲神社に参拝した。酉の市が終わって参拝客の姿はない。広重は『浅草田圃酉の町詣』として、その様を面白い角度から描いている。
国際通りを戻り返し北上、右手奥に千束稲荷神社が見えたので立ち寄る。樋口一葉の『たけくらべ』ゆかりの社で、境内には聡明な面差しがうかがえる彼女の立派な石像が設置されていた。
昭和通りとの合流点が三ノ輪駅。広重の絵では『蓑輪金杉三河しま』と題して、湿地帯に鶴が飛来している姿を描いている。
時刻は0時10分、本日は1時間30分の散歩でした。
なお、周辺には腰を下ろせる場所がないため、都バスで浅草に戻り、再び隅田川テラスを目指す。
雷門前の どら焼き 亀 十 の長い行列は続いていた。
暖かい日差しを浴びながらテラス内の椅子を確保、冷えた缶チューハイをミニチーズなどをつまみに最後の?秋散歩を締めました。
西側の上野・下谷にも数か所『百景』に描かれた場所が残るものの、何度も訪問済みで距離も短いため、別なジャンルを回る際に立ち寄ることとして、次回はほかのテーマにする予定。(村谷 記)
*出典:「ようこそたいとうへ・台東ぶらり散歩」の『其の十九・広重の名所江戸百景を巡る』
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★2023年11月29日(水)『台東ぶらり散歩・第1回「広重の名所江戸百景を巡る(その1)」』