<11月28日(火)小春日和の神楽坂散歩(飯田橋駅から周遊)>
快晴無風のJR中央総武線・飯田橋駅西口改札前に集合したのは菅野・左近・小林・百石・田幸・村谷・山内の7人。
若い女性の駅員さんが「本日は飯田橋駅西口から「駅からハイキング」 『レトロとモダンが息づくまちかど、飯田橋から始まる秋の末散歩』のご案内をしています。」とマイクで呼び込み中。北は新宿区立漱石山房記念館、南は靖国神社を経て北の丸公園に至る、歩行距離9.5kmのコース。軟弱なわれらは受付を横目に見て出発する。
牛込橋 で 外 濠 を渡り、神楽坂下交差点 で 外堀通りを左折する。
東京理科大学(前身は東京物理学校)神楽坂キャンパスの西端にある近代科学資料館、 数学体験館を訪れたが、あいにく休館中。
隣接する若宮公園で一息入れようを階段を上がったら、幼児たちの歓声が聞こえてきた。それほど広くない園内は、ちょうど保育園たちの午前の運動タイム。お邪魔しないように祖父?曾祖父?は走り回る動線を避けて通過する。
左手にあった神楽坂若宮神社に参拝して、本日の高齢者集団散歩の道中無事をお願いする。
粋な料亭が何軒もちらほらする小路を上る。ランチメニューはいずれも1,000円台と意外にもリーズナブルだったが、夜の料金は表示されていない。
道が入り組んでいて難渋していたところ、折よく巡回中のお巡りさんにお聞きして、20m先に入り口があった光照寺に入り最初の休憩。戦国時代に当地を支配していた北条氏傘下の牛込氏の居城跡だったという。
境内からの眺めが良く、むべなるかなとうなずけた。さほど広くない懐かしい井戸ポンプの水場には、檀家さんの氏名が入った桶がたくさん収納されてお寺の由緒が想像される。
またも、粋なお店が続く小路を抜け、メインストリートの神楽坂通りに出た。
神楽坂のランドマークの一つ・善国寺に参拝。阪神タイガースのシンボル・虎を応援するお寺とあって、トラキチ(失礼)の山内は特に念入りにお参りしていたようだ。
神楽坂上交差点で 大久保通りを横断、古刹・安養寺先から小路伝いに瓢箪坂を上がった目の前がお目当ての白銀公園。
広々した砂場の片隅にシートを重ね敷き、昼食タイム。休日は腰を下ろす場所を確保するのにも苦労する園内は、幼児を遊ばせる若いママさんが数人だけ。遠慮なく宴に入った。
文字通り雲一つない青空と無風のお天気に感謝しつつ、見ごろのイチョウの黄葉を横目に乾杯。
久々の再会もあり、近況報告に忙しい。食べきれるか心配なほどの数々のつまみを横目に、順調にアルコールとともに消化。
左近夫人お手製の鶏肉、玉子&大根煮が相変わらず大好評。村谷はフライパンで豚肉の西京みそ炒めを提供。山内が手練のぬる燗を三度にわたって用意してくれる。
話題は、膝や腰の鍛え方などの健康情報の交換がメイン。ようやく宴が終えて、隣に設置されていたゴミ箱をありがたく借用した。
少し坂を上り、神楽坂のもう一つのランドマーク・赤城神社に立ち寄った。隈研吾設計で十数年前にマンション建設やカフェ経営などで、財政基盤が確立された社殿はまだピカピカ。村谷は来週初めに孫の七五三で再訪予定。
参道を抜けて神楽坂通りに出て左折。
再び神楽坂上交差点を横断し 横 丁 に入る。東京では珍しくなった料亭などの風情を鑑賞。平日は若者たちですれ違うのもままならない坂道をゆっくりと下る。故・國枝(正)兄行きつけだった、左手奥にあった一同ゆかりの酒場を探索したが、ビルに様変わりしていたようだ。
神楽坂下交差点で所用のある菅野&左近と別れて、残る5人はお馴染みの日高屋に入ると、ちょうど一番奥の席を使用していた男性が勘定に立ち上がり6人席が空く。普段、神仏にお参りしているおかげと感謝して着席。
生ビール・レモンサワー・ホッピーセットに分かれて軽く餃子などで締めました。
今年最後の?秋散歩を終えました。(村谷 記)
コース
JR中央総武線など・飯田橋駅西口〜江戸城外堀跡〜牛込橋を渡る〜神楽坂下交差点〜外堀通り〜東京理科大学神楽坂キャンパス・近代科学資料館前〜若宮公園〜若宮八幡神社〜新坂〜光照寺・牛込城跡〜弁天坂〜神楽坂上交差点〜安養寺〜瓢箪坂〜白銀公園〜赤城神社〜神楽坂上交差点〜神楽坂通り〜善国寺〜兵庫横丁〜本多横丁〜神楽坂下交差点〜飯田橋駅
<歩行距離:4km±α、歩行時間:1時間10分±α>
*「新宿観光マップ・神楽坂」を参照し、その一部を歩きました。
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★2023年11月28日(火)「神楽坂散策(飯田橋駅から周遊)」