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 快晴ながらやや風が強い浦和駅中央改札付近に左近・百石・村谷の3人が集合した。
広いコンコースでは、イチゴをはじめ各地の名産品が並べられていて、早くもお客さんが詰め掛けている。リュックに空きがないわれらは通過。

 東口から出て線路沿いに東通りを南下する。コンビニで買い物を済ませた後、右手の狭い路地に入る。

 前地通り商店街は、小さな商店が道に両側に続いている。量り売りしている肉屋さんの店先には主婦らしい中年女性が3人、買い物かごを手に物色中。全国各地の名産品が格安で買えるようだ。そのほかにもいろいろな品物が売られていて、昭和の商店街のようだった。
左近の指摘で両側が下り坂になっていることに気が付く。われらは尾根道を歩いているのだった。

 長い商店街が切れたところで右折、坂道を下り柊稲荷に立ち寄った。社殿は私有地内にあるため、外からお参りする。玉垣には浦和の古井商店の名前や、東京、神奈川、大阪の商人の名前などが刻まれていて、中山道から分岐した街道筋だったことが判る。地元に詳しい百石によれば、高台のため荒川の氾濫の影響を受けない数少ない地域だったという。古くて大きな屋敷が散見されるのもそのためだろう。

 駅方面に戻る。左手に小さな食堂が営業中で、刺身定食やとんかつ定食などは480円と、昭和の値段だった。

 東通りを渡り線路際にある古刹・圓蔵寺に立ち寄る。明治19年に千葉県から移ってきた日蓮宗のお寺で、入り口にある
紅梅が見ごろだった。秋には見事な彩を示すイチョウの古木が有名。

 旧街道に沿ってガードを潜り、岸町に入った。地名の由来は旧入間川の河岸に開けた町だという。

 浦和一女高の広いグラウンドに突き当たる。若々しい歓声が聞こえてくるが、金網は全面的に網で目隠しされtれいるので、ぴちぴちした姿は見られないようになっている。

 校舎を半周し、馬場先き通りを渡り、岸町緑道に入る。常盤から白旗沼に続く水路が、住宅街の整備が進んだため四季の花々が鑑賞できる散歩道に生まれ変わった。
福だるまの石像が建つ神明社の脇から坂道を上り尾根道を右折する。最も高い場所を南北に縦走する旧中山道を横断した。吉田・清水・西の三兄らと京都まで歩いたのは遠い思い出になっている。その10年ほど後に、敬愛する清野(せいの)大兄が挑戦されたという話を伺い、お元気さに驚いた記憶がある。

 信号を渡った先に大正5年建築の関元屋が残っている。材木商・万屋として栄え、その後は米穀商として隆盛を極めたという。店先の「お助け井戸」は関東大震災や東京大空襲で逃げ延びた人たちののどを潤したと伝わる。

 広い敷地を回り込んで昼食場所の岸本公園に入り、
起志乃天神社にお参りしてから片隅にシートを重ね敷く。

 以前は乳牛が20頭いた辻村牧場があった場所。先ずは乾杯、本日も歩けることに感謝する。肉の日(2月9日)とあって、つまみのメインは村谷がフライパンで炙った豚肉のみそ漬けと、左近が地元で評判と持参した大きな牛肉コロッケだ。さらに百石が調達してきた たっぷりのポテトサラダと味行けメンマが加わり、後から加わった熱燗が順調に消化されていく。園内の滑り台では若いお母さんが幼児を遊ばせている。

 大1時間の休憩を終えて、帰途に着く。

 所要のある左近と木場坂で別れ、残る2人は岸町小の前で再び
岸町緑道に右折した。雁行する新旧中山道の間を歩き、右方向にカーブして、ウナギの名店・満寿家の横で旧中山道を渡った。

 コルソの先から線路際の商店街まで足を延ばし、久々に立ち飲み店ながら椅子が用意されている年寄りに優しい「立呑 ひとりあじ」に入り、レモンサワーとホッピーセットをそれキャッシュオンデリバリー方式で注文、冷ややっこをつつきながら、お互いに長い独身生活を享受した懐かしい独身寮の話で盛り上がった。(村谷 記)

 【管理人付記】
   今日のYSC散歩を欠席した滝澤・田幸・三浦は、山形・蔵王温泉で温泉浴&雪見酒でした。

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 コース
  
浦和駅東口〜前地通り商店街〜元文の庚申塔〜柊稲荷の玉垣〜円蔵寺〜JR線ガードを潜る〜浦和一女高を半周〜馬場先通り〜岸町緑道〜岸町神明社〜中山道を横断〜関元屋〜岸町公園・起志乃天神社〜岸町小前〜岸町緑道〜寅薬師〜あさひ通り〜浦和駅西口 
     <歩行距離:4.6km±α、歩行時間:1時間20分±α>

   *「浦和区文化の小径」「前地・岸町界隈を歩く」を参照して歩きました。

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★2023年2月9日(木)「浦和の前地・岸町歩き(浦和駅から周遊)」