村谷は午前中に所用で早稲田まで出かけたので、午後には引き続き上記散歩を行うこととした。
サザンカが咲き始めた早稲田大学構内を通り抜けて、出発地点の都営荒川線・早稲田駅前に到着したのは午後12時20分。
新目白通りを横断し、神田川へ向かうと、若いカップル男女とすれ違う。男性はマスクをしていたが、連れの女性は素顔で色白、細面で目がぱっちりとした美人だった。
豊橋で神田川の左岸に渡り、南下する。
神田上水の起源は、天正18年(1590)8月1日の徳川家康江戸入府に先立ち、駿河の菓子職人でもあった家臣の大久保藤五郎を先乗りさせて、小石川付近の水源から駿河台方面に引かせた小石川上水だった。その後、井之頭池を主な水源とする江戸川(現在の神田川)の関口付近に大洗堰を設けて水位を上昇させ、水戸藩上屋敷(現在の小石川後楽園)を経て、懸樋で神田川を越えて、日本橋、京橋方面に導水する神田上水となった。江戸前期の人口急増に伴い、上水が完成してから50年後の承応3年(1653)には、さらに玉川上水が開通した。
本日は行程が短いので、神田上水ゆかりの場所は極力回ることとして出発。
肥後細川庭園の塀沿いの神田川遊歩道から、最初の立ち寄ったのは関口水門の守り神とされる水神神社。由緒によれば、宮司の枕元に水神が現れて「我を祀らば江戸の江戸町ことごとく安泰なり」とのお告げがあったという。狭い急階段を上り詰めて本日の無事をお願いした。広くない境内には3組ものカメラマンがいて、大型カメラで撮影中。参道の両側に聳え立つ二本の大銀杏の黄葉を太陽の裏側から捉えていた。
胸突坂を下って川辺の遊歩道に復帰する。
坂の反対側が関口芭蕉庵。水番所が置かれていた場所で、延宝5年(1655)からの4年間、神田上水の改修工事に工事監督として松尾芭蕉が日本橋から毎日通っていたという、いわば通勤先だった。
芭蕉の江戸俳壇デビューが翌年の延宝6年で、のちに弟子たちが往時の芭蕉を偲び現在の形の庵を建てた。高台の景勝地であることから、江戸名所図会にも描かれている。俳聖と土木工事監督では一見そぐわない感じがするが、松尾芭蕉の家は代々藤堂藩に仕えた郷士だったので、加藤清正と並び築城の達人と謳われた中興の祖・藤堂高虎の土木力の系譜を引き継いでいたのかもしれない。
まだ、黄色や紅色が残る江戸川公園に入った。大滝橋の近くに関口大洗堰で使われた石柱が残っている。
江戸川橋交差点で目白通りを横断し、神田川の北側を雁行する巻石通りに入った。文京区の旧町名解説版によれば、すでに江戸時代から水道町と呼ばれており、現在も神田川を挟む通りの南側は水道1丁目、2丁目となっている。
左手にある日輪禅寺は、細川藩お預かりとなった赤穂浪士・大石蔵之助ら十七人の遺髪塔がある。反対側の建物が水道端図書館で、神田上水を懸樋で渡した「水道端」(現在は水道橋)の名前が残っている。
小日向交差点を渡った左手にある国際仏教学大学院大学の敷地は、明治期に徳川慶喜屋敷跡があった。初代家康が築いた神田上水の横で、明治新政府下に置かれた十五代慶喜がどんな感慨を抱いていたのか興味深い。
隣接する金富小学校の正面入り口に、神田上水の解説板が設置されている。上水は江戸期には白堀(蓋のない水路)だったが、明治初期に巻石蓋で暗渠化された結果、「巻石通り」あるいは「水道通り」と呼ばれるようになった。
牛天神下交差点を横断、小石川運動場に沿って南下し、西門から都立小石川後楽園に入った(65歳以上150円)。水戸徳川家の祖・徳川頼房が寛永6年(1629)に江戸定府の拠点として中屋敷(後に上屋敷)として常住。
池と紅葉のコントラストがちょうど見ごろで、広い園内は多くの見物客が行き来している。一角には神田上水の一部が当時の姿で保存されている。特に光圀の代で築いたという得仁堂や円月橋は趣がある。広々した視野に入るのは、東京ドームの丸屋根と東京ドームホテルだけで、江戸の静謐さがそのまま保たれていた。
東門から出て小石川橋交差点で外堀通りを横断し、そのまま神田川沿いに東進する。水道橋交差点で白山通りを横断した。
道沿いに「神田上水懸樋の跡」碑を確認した。江戸名所図会の「御茶ノ水 水道橋 神田上水懸樋」はよく知られている。
順天堂前交差点で外堀通りを渡り返し、順天堂医院2号館横の坂道を上がり、久々に東京都水道歴史館に入る(入場無料)。
時刻は午後1時50分、90分の行程だった。
先ずは階段で2階の江戸上水フロアに上がり、300年近い上水とそれを使う庶民の生活ぶりを学んだ。
続いて1階に降りて、近現代の水道の歩みを確認し、先人のご苦労に感謝した。
昼休憩は、YSC散歩でも訪れたことがある、隣接の本郷給水場公苑。緩やかな長い階段を上がって、バラが咲き残る園内に入り、日当たりがよいベンチを確保した。秋葉原でよく見かけるメイド風の衣装を着けた若い女性が一人で熱心に自撮り中。
ぽかぽかとした小春日和の日差しがありがたい。持参の缶チューハイで早速、失った水分を補給する。
のんびりと大30分のお休みを終えてから、本郷通を北上し本郷三丁目駅から帰途に着いた。
休日にふさわしい大勢の人出だったが、マスク姿の人がほとんどだった。
次回は、神田川の下流部を隅田川から遡る予定。(村谷 記)
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★2022年12月18日(日)「神田上水跡散歩(都電早稲田駅〜東京都水道歴史館)」