<晩秋の八王子七福神 八王子八福神? のうちの四福神巡り>
京王八王子駅中央改札口前に集合したのは、滝澤・左近・百石・山岡・田幸・本橋・清水・村谷・山内の9人。
地上に上がると予報通りの晴天・微風。先ずは八王子では欠かせない参拝処・子安神社へ向かう。七五三参りの季節とあって、五歳児とその両親たちが先着していた。
其々お参りを済ませてから、七五三用に設定された撮影スポットに並び記念撮影する。
境内の御神池に悠々と泳ぐ錦鯉の一群の中に、今春誕生したらしい真っ赤な子鯉が数匹、けなげに泳いでいた。
隣接する福傳寺にも参拝する。村谷は当然、弘法大師像にもお参りした。
そのまま通りを西進する。何故か、酒場が目立つ。特にラーメンやホルモンの看板が多いように感じた。店先の看板を見る限りでは値段も安く、夕刻は混みあいそうだ。
八王子年金事務所の裏手にある伝法院に参拝した。江戸中期の宝暦年間に創立され、江戸末期の慶応元年(1865)からは成田山遥拝所として信仰されてきている。特に、明治後期に作られた石塀には、当時多摩の最大都市として栄えた八王子の700軒の店名が刻まれている。
少し先を南下し、JR中央本線沿いにある天神公園に入った。日差しを避けて木蔭の砂地に、シートを3枚重ね敷く。さらに上に新聞紙を広げて持ち寄りのつまみなどをずらりと並べる。広い公園を独占して、まずは乾杯。久しぶりの顔合わせもあり、近況報告から昼の宴が始まった。
九人十八様のおすすめ品が紹介され、なるべく九人で分けながら味わう。左近家奥様定番かつ常に好評の里いも&鶏肉&大根の柔らか煮をはじめ野呂兄提供のオイルサーデンまで、大1時間強かけてじっくりと堪能した。世界情勢から始まった談論は、本日の「いい夫婦の日」にちなみ お互いの配偶者が健康で、我らより先に逝かないで欲しいという結論で一致した。
線路を横断して、金剛院に参拝すると、まずは境内右手にある銀杏の巨木(上・右の写真)に目が惹かれる。天正4年(1576)創設の古刹で、高野山金剛峰寺の別格本山であり、市内でも有数の名刹として知られる。
金剛院の対面に時の鐘が見えたので、時宗念仏院に立ち寄り時の鐘の由緒を学び、隣の上野天満神社に参り、金剛院の塀沿いに西進し、市立第七小学校の先にある信松院に入った。
徳川家康が江戸入府した天正18年(1590)創建の曹洞宗の寺院で、武田信玄の息女として誕生した松姫が、数奇な運命をたどり当地に庵を構えていた姫に寺領を与えたのが始まり。
YSC散歩ではこれまで数々の寺院を訪れているが、これほど手の込んだ構造の建物は珍しいと一致した。また松姫は、その後の八王子の盛況の元となった絹織物の技を里人に伝えたともされている。
元和2年4月16日に松姫が逝去された翌17日に、家康も逝去するという偶然は史実である。当時家康に召し抱えられた旧武田家の家臣たちの子孫が、幕末まで千人同心として直参・旗本と同様に徳川家に忠誠を尽くしたことという。
南大通りをJR八王子駅方面に折り返す。まだ青々とした大木の公孫樹がシンボルツリーの いちょう公園の手前に位置する本立寺に参拝した。戦国期の永禄9年(1566)に身延山久遠寺の末寺として開山された。他の3寺と同様に、広大な敷地の堂々たる伽藍が聳え立つ。
八王子七福神のうち四福神のお参りを済ませ、すっかり立川並みに巨大ビルが駅前を占拠しているJR八王子駅南口から駅舎に入る。所用ある本橋と別れ、朝の集合場所だった京王八王子駅でこれまた予定がある田幸と別れ、山岡が19日&20日の「八王子いちょう祭り」見学の際に見つけておいてくれていたバスターミナルの真ん前にある午前11時30分開店の「居酒屋さんちゃん酒場」に入った。
すぐに若くて細身でぴちぴちのお嬢さんと、精悍な風貌のマスターから「いらっしゃいませ」の声がかかった。
18時までがサービス価格のレモンチューハイ150円など格安のアルコールを先ず注文して、二度目の乾杯。幅広いつまみから、各々好みを優先しても単価が安いので安心。中でも焼き鳥はマスターの腕が判るおいしさだ。また、滝澤が熟慮して選んだ二種類の馬刺しは一同文句なし。
たっぷりの二次会を終えて、再訪を約し解散した。(村谷 記)
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コース
京王線・京王八王子駅〜子安神社〜西放射線ユーロード横断〜八王子年金事務所前〜伝法院〜天神公園〜金剛院〜念仏院〜市立第七小学校前〜信松院・松姫尼公墓〜八王子消防署前〜本立寺〜いちょう公園〜JR八王子駅南口〜京王八王子駅
<歩行距離:4km±α、歩行時間:1時間10分±α>
*八王子市観光協会「八王子まちなかマップ」を参照し、その一部を歩きました。
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★2022年11月22日(火)「八王子四福神参り(京王八王子駅から周遊)」